中原中也がラフォルグの詩を翻訳するにあたって
参考にした書物があったとすれば
何だろうと考えたときに
岩野泡鳴訳のアーサー・シモンズ「表徴派の文学運動」とか
辰野隆・鈴木信太郎の共著「信天翁の眼玉」とか
鈴木信太郎の「近代仏蘭西象徴詩抄」があがってくるのですが
これら著作は
中原中也が手分けして手に入れたようには
現在、一般の読者が入手できるものではありません。
そもそも
単刊発行されたこれらの著作は
現在では絶版になっていて
あったとしても
高級古書扱いですし
全集の中に収められていますから
なかなか読むことが困難なのです。
散文著作は
古書化しやすく
韻文(詩)であれば
古語文語のままでも
長い命を保つことができるという事情も
関係しているかもしれません。
となると
上田敏の「牧羊神」中のラフォルグの詩の翻訳か
堀口大学の「月下の一群」中のラフォルグ訳か
現在でも比較的に手に入りやすいのは
この2著ということになり
この2著なら
中原中也も随分と親しく読んだ書物であろうことが想像されますから
とりあえずは
この2著のラフォルグに目を通しておきましょう。
上田敏訳ラフォルグは
「牧羊神」に7作品が
収録されています。
※以下、岩波文庫「上田敏全訳詩集」より引用。
※新漢字を使用しています(編者)
◇
お月様のなげきぶし
ジュル・ラフォルグ
星の声がする
膝の上、
天道様の膝の上、
踊るは、をどるは、
膝の上、
天道様の膝の上、
星の踊のひとをどり。
――もうし、もうし、お月様、
そんなに、つんとあそばすな。
をどりの組へおはひりな。
金の頸環(くびわ)をまゐらせう。
おや、まあ、いつそ有難(ありがた)い
思召(おぼしめし)だが、わたしには
お姉様(あねえさま)のくだすつた
これ、このメダルで沢山よ。
――ふふん、地球なんざあ、いけ好(すか)ない、
ありやあ、思想の台(だい)ですよ。
それよか、もつと歴(れき)とした
立派な星がたんとある。
――もう、もう、これで沢山よ、
おや、どこやらで声がする。
――なに、そりや何(なに)かのききちがひ。
宇宙の舎密(せいみ)が鳴るのでせう。
――口のわるい人たちだ、
わたしや、よつぴて起きてよ。
お引摺(ひきずり)のお転婆(てんば)さん、
夜遊(よあそび)にでもいつといで。
――こまつちやくれた尼(あま)つちよめ、
へへへのへ、のんだくれの御本尊(ごほんぞん)、
掏摸(すり)の狗(いぬ)のお守番(もりばん)、
猫の恋のなかうど、
あばよ、さばよ。
衆星退場。静寂と月光。遥かに声。
はてしらぬ
空(そら)の天井(てんじよ)のその下(した)で、
踊るは、をどるは、
はてしらぬ
空(そら)の天井(てんじよ)のその下(した)で、
星の踊をひとをどり。
◇
月光
ジュル・ラフォルグ
とてもあの星には住まへないよ思ふと、
まるで鳩尾(みづおち)でも、どやされたやうだ。
ああ月は美しいな、あのしんとした中空(なかぞら)を
夏八月(なつはちぐわつ)の良夜(あたらよ)に乗(の)つきつて。
帆柱(ほばしら)なんぞはうつちやつて、ふらりふらりと
転(こ)けてゆく、雲のまつ黒(くろ)けの崖下(がけした)を。
ああ往(い)つてみたいな、無暗(むやみ)に往(い)つてみたいな、
尊(たふと)いあすこの水盤(すいばん)へ乗(の)つてみたなら嘸(さぞ)よからう。
お月(つき)さまは盲(めくら)だ、険難至極(けんのんしごく)な燈台だ。
哀れなる哉(かな)、イカルスが幾人(いくたり)も来ておつこちる。
自殺者の眼のやうに、死(あが)つてござるお月様、
吾等疲労者大会の議長の席につきたまへ。
冷たい頭脳で遠慮無く散々(さんざん)貶(けな)して貰(もら)ひませう、
とても癒(なほ)らぬ官僚主義で、つるつる禿(は)げた凡骨(ぼんこつ)を。
これが最後の睡眠剤か、どれひとつその丸薬(ぐわんやく)を
どうか世間の石頭(いしあたま)へも頒(わ)けて呑(の)ませてやりたいものだ。
どりや袍(うわぎ)を甲斐甲斐(かひがひ)しくも、きりりと羽織(はお)つたお月さま、
愛の冷えきつた世でござる、何卒(なにとぞ)箙(えびら)の矢をとつて、
よつぴき引いて、ひようと放(う)ち、この世の住まふ翅無(はねなし)の
人間どもの心中(しんちゆう)に情(なさけ)の種(たね)を植えたまへ。
大洪水(だいこうずい)に洗はれて、さっぱりとしたお月さま、
解熱(げねつ)の効(かう)あるその光、今夜(こんや)ここへもさして来て、
寝台(ねだい)に一杯(いつぱい)漲(みなぎ)れよ、さるほどに小生も
この浮世から手を洗ふべく候(さふらふ)。
◇
ピエロオの詞
ジュル・ラフォルグ
また本(ほん)か。恋しいな、
気障(きざ)な奴等(やつら)の居ないとこ、
銭(ぜに)やお辞儀(じぎ)の無いとこや、
無駄の議論の無いとこが。
また一人(ひとり)ピエロオが
慢性孤独病で死んだ。
見てくれは滑稽(をかし)かつたが、
垢抜(あかぬけ)のした奴(やつ)だつた。
神様は退去(おひけ)になる、猪頭(おかしら)ばかり残つてる。
ああ天下の事日日(ひび)に非なりだ。
用もひととほり済んだから、
どれ、ひとつ、「空扶持(むだぶち)」にでもありつかう。
◇
月の出前の対話
――そりやあ真(しん)の生活もしてはみたいさ、
だがね、理想といふものは、あまり漠(ばく)としてゐる。
――そこが理想なんだ、理想の理想たるところだ。
訳(わけ)が解(わか)るくらゐなら、別の名がつく。
――しかし、何事も不確(ふたしか)な世の中だ。哲学また哲学、
生れたり、刺違(さしちがへ)たり、まるで筋(すぢ)が立つてゐない。
――さうさ、真(しん)とは生(い)きるのだといふんだもの、
絶対なんざあ、たつ瀬(せ)があるまい。
――ひとつ旗を下(おろ)して了(しま)はうか、えい、
お荷物はすつかり虚無(きよむ)へ渡して了(しま)はう。
――空(そら)から吹きおろす無辺(むへん)の風の声がいふ、
「おい、おい、ばかもいゝ加減にしなさい。」
――もつとも、さうさな「可能(かのう)」の工場(こうぢやう)の汽笛は、
「不可思議」のかたへ向つて唸(うな)つてはゐる。
――其間(そのかん)唯(たゞ)一歩(いつぽ)だ。なるほど黎明(しのゝめ)と
曙のあはひのちがひほどである。
――それでは、かうかな、現実とは、少(すく)なくとも
「或物」に対して益があるといふことか。
――そこでかうなる、ねえ、さうぢやないか、
薔薇(ばら)の花は必要である――其必要に対してと。
――話が少(すこ)し妙(めう)になつて来たね、
すべては循環論法に入(はひ)つてくる。
――循環はしてゐるが、これが凡(すべ)てだ。
――何だ、さうか、
なら、いつそ月の方(はう)へいつちまはう。
◇
冬が来る
感情の封鎖(ふうさ)。近東行(きんとうゆき)の郵船(いうせん)……
ああ雨が降(ふ)る、日が暮れる、
ああ木枯の声……
萬聖節(ばんせいせつ)、降誕祭(かうたんさい)、やがて新年、
ああ霧雨(きりさめ)の中(なか)に、煙突(えんとつ)の林……
しかも工場の……
どのベンチも皆(みんな)濡れてゐて腰を下(おろ)せない。
とても来年にならなければ徒目(だめ)だ。
どのベンチも濡れてゐる、森もすつかり霜枯れて、
トントン、トンテンと、もう角笛(つのぶえ)も鳴つて了つた。
ああ、海峽(かいけふ)の浜辺(はまべ)から駆(か)けつけた雲のおかげで、
前の日曜もまる潰(つぶ)れだつた。
霧雨(きりさめ)が降(ふ)つてる、
づぶ濡の木立(こだち)にかけた蜘蛛の網(す)は、
水玉(みづたま)の重(おも)みに弛(たる)んで毀(こは)れて了(しま)つた。
豊年祭(ほうねんまつり)のころに、
砂金(しやきん)の波の光を漂はせて、豪勢(がうせい)な景気(けいき)だつた日光は
今どこに隠れてゐる。
けふの夕方は、泣きだしさうな日が、丘の上(うへ)の
金雀花(えにしだ)の中(なか)で外套(まはし)を羽織(はお)つたまま、横向(よこむき)に臥(ね)てゐる。
薄れた白(しろ)つぽい日の目(め)は酒場(さかば)の床(ゆか)に吐散(はきち)らした痰(たん)のやうで、
黄(き)いろい金雀花(えにしだ)の敷藁(しきわら)と、
黄(き)いろい秋の金雀花(えにしだ)を照してゐる。
角笛(つのぶえ)が頻に呼んでゐる、
帰れ……
帰れと呼んでゐる。
タイオオ、タイオオ、アラリ。
ああ悲しい、もう已(や)めてくれ……
堪(たま)らなく悲しい……
日は丘の上(うへ)に臥(ね)てゐて、頸筋(くびすぢ)から取つた腺(せん)のやうだ、
日は慄(ふる)へてゐる、孤(ひとり)ぼつちで……
さ、さ、アラリ!
熟知(おなじみ)の冬が来たぞ、来たぞ。
ああ、街道(かいだう)の紆曲(まがりくねり)に、
「赤外套(あかまんと)の児(こ)」も見えない。
ああ此間(こなひだ)通つた車の跡が、
ドン・キホオテ流(りう)に、途方(とはう)も無い勇気を出して、
総崩(そうくづれ)になつた雲(くも)の斥候隊(せきこうたい)の方(はう)へ上(のぼ)つてゆくと、
風はその雲を大西洋上(たいせいやうじやう)の埒(らち)へと追ひたてる。
急げ急げ、こんどこそ本当(ほんと)だ。
昨夜(ゆうべ)は、よくも吹いたものだ。
やあ、滅茶苦茶(めちやくちや)だ、そら、鳥の巣も花壇(くわだん)も。
ああわが心、わが眠(ねむり)、それ、斧の音(ね)が響く。
きのふまでは、まだ青葉の枝、
けふは、下生(したばえ)に枯葉(かれは)の山、
大風(おほかぜ)に芽も葉も揉(も)まれて、
一団(ひとかたまり)に池へ行く。
或(あるひ)は猟(かり)の番舍(ばんや)の火に焼(く)ばり、
或(あるひ)は遠征隊の兵士が寝(ね)る
野戦病院用の蒲団に入(はひ)るだらう。
冬だ、冬だ、霜枯時(しもがれどき)だ。
霜枯(しもがれ)は幾基米突(いくきろめえとる)に亘る鬱憂を逞しうして
人(ひと)つ子(こ)ひとり通らない街道(かいだう)の電線を腐蝕してゐる。
角笛(つのぶえ)が、角笛(つのぶえ)が――悲しい……
角笛(つのぶえ)が悲しい……
消えて行く音色(ねいろ)の変化、
調(てう)と音色(ねいろ)の変化、
トントン、トンテン、トントン……
角笛(つのぶえ)が、角笛(つのぶえ)が
北風(きたかぜ)に消えてゆく。
耳につく角笛(つのぶえ)の音(ね)、なんとまあ余韻(よゐん)の深い音(おと)だらう……
冬(ふゆ)だ、冬(ふゆ)だ。葡萄祭(ぶだうまつり)も、さらば、さらば……
天人(てんにん)のやうに辛抱づよく、長雨(ながあめ)が降(ふ)りだした。
おさらば、さらば葡萄祭(ぶだうまつり)、さらばよ花籠、
橡(とち)の葉陰の舞踏(ぶたふ)の庭のワットオぶりの花籠よ。
今、中学の寄宿舍に咳嗽(せき)の音(おと)繁(しげ)く、
暖炉に火は消えて煎薬が匂ひ、
肺炎が各區(かくく)に流行して
大都会のあらゆる不幸一時に襲来する。
さりながら、毛織物、護謨(ごむ)、薬種店(やくしゆてん)、物思(ものおもひ)、
場末の町の屋根瓦(やねがはら)の海に臨んで、
その岸とも謂(いつ)つべき張出(はりだし)の欄干近(らんかんぢか)い窓掛(まどかけ)、
洋燈(ランプ)、版絵(はんゑ)、茶(ちや)、茶菓子(ちやぐわし)、
樂(たのしみ)は、これきりか知(し)ら。
(ああ、まだある、それから洋琴(ピアノ)のほかに、
毎週一回、新聞に出る、
あの地味(ぢみ)な、薄暗い、不思議な
衛生統計表さ。)
いや、何しろ冬がやつて来た。地球が痴呆(ばか)なのさ。
ああ南風(なんぷう)よ、南風(なんぷう)よ、
「時(とき)」が編みあげたこの古靴(ふるぐつ)を、ぎざぎざにしておくれ、
冬だ、ああ厭な冬が來た。
毎年(まいねん)、毎年(まいねん)、
一々(いちいち)その報告を書いてみようとおもふ。
◇
日曜
ハムレツト――そちに娘があるか。
ポロウニヤス――はい、御座りまする。
ハムレツト――あまり外へ出すなよ。腹のあるのは結構だが、そちの娘の腹に何か出来ると大変だからな。
しとしとと、無意味に雨が降る、雨が降る、
雨が降るぞや、川面(かはづら)に、羊の番の小娘(こむすめ)よ……
どんたくの休日(やすみ)のけしき川に浮び、
上(かみ)にも下(しも)にも、どこみても、艀(はしけ)も小船(こぶね)も出て居ない。
夕がたのつとめの鐘が市(まち)で鳴る。
人気(ひとけ)の絶えたかしっぷち、薄ら寂しい河岸(かし)っぷち。
いづこの塾の女生徒か(おお、いたはしや)
大抵はもう、冬支度(ふゆじたく)、マフを抱(かゝ)へて有(も)つてるに、
唯ひとり、毛の襟卷もマフも無く
鼠の服でしよんぼりと足を引摺(ひきず)るいぢらしさ。
おやおや、列を離れたぞ、変だな。
それ駆出(かけだ)した、これ、これ、ど、ど、どうしたんだ。
身を投げた、身を投げた。大変、大変、
ああ船が無い、しまつた、救助犬(きうじよいぬ)も居ないのか。
日が暮れる、向の揚場(あげば)に火がついた。
悲しい悲しい火がついた。(尤もよくある書割(かきわり)さ!)
じめじめと川もびっしより濡れるほど
しとしとと、訳もなく、無意味の雨が降る、雨が降る。
◇
日曜日
日曜日には、ゆかりある
阿(ちきやうだい)の名誦(なよ)みあげて
珠数(じゆず)爪繰(つまぐ)るを常(つね)とする。
オルフェエよ、若きオルフェエ、
アルフェエ川の夕波に
轟きわたる踏歌(たふか)の声……
パルシファル、パルシファル、
おほ禍(まが)つびの城壁(じやうへき)に
白妙(しろたへ)清き旗じるし……
プロメテエ、プロメテエ、
不信心者(ふしんじんしや)の百代(ひやくだい)が
口伝(くちづて)にする合言葉(あひことば)……
ナビュコドノソル皇帝は
金(きん)の時代の荒御魂(あらみたま)、
今なほこれらを領(りやう)するか……
さて、つぎに厄娃(えわ)の女(むすめ)たち、
われらと同じ運命の
乳に育つた姉妹(あねいもと)……
サロメ、サロメ、
恋のおほくが眠つてる
蘭麝(らんじや)に馨(かを)る石の唐櫃(からうど)……
オフェリイ姫はなつかしや、
この夏の夜(よ)に来たまはば
人雑(ひとまぜ)もせず語(かた)らはう……
サラムボオ、サラムボオ、
墓場の石にさしかゝる
清い暈(かさ)きた月あかり……
おほがらの后(きさき)メッサリイヌよ、
紗(しや)の薄衣(うすぎぬ)を掻(か)きなでて、
足音(あしおと)ぬすむ豹の媚(こび)……
おお、いたいけなサンドリヨン、
蟋蟀(こほろぎ)も来(こ)ぬ炉のそばで、
裂(き)れた靴下(くつした)縫つてゐる……
またポオル、 ルジニイ、
殖民領(しよくみんりやう)の空のもと
さても似合(にあひ)の女夫雛(めをとびな)……
プシケエよ、ふはり、ふはりと
罪(つみ)の燐火(おにび)に燃えあがり、
消えはしまいか、気にかかる……