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ラフォルグ

ランボー<7>最後の斫断―「地獄の季節」へ

小林秀雄は
「酩酊船」の最終3連
 
想へば、よく泣きたるわれかな。来る曙は胸を抉(えぐ)り、
月はむごたらし、陽(ひ)は苦(にが)し。
切なる恋に酔ひしれし、わが心は痺れたり。
龍骨よ、砕けよ、あゝ、われは海に死なむ。
 
今、われ欧洲の水を望むとも、
はや冷え冷えと黒き池、吹く風薫る夕まぐれ、
悲しみ余り、をさな児が、蹲(うずくま)つてはその上に、
五月の蝶にさながらの、笹舟を放つ池かな。
 
あゝ波よ、ひとたび汝(なれ)が倦怠に浴しては、
綿船(わたぶね)の水脈(みを)ひく跡を、奪ひもならず、
標旗(はた)の焰の驕慢を、横切(よぎ)りもならず、
船橋(せんけう)の恐ろしき眼をかいくゞり、泳ぎもならじ。
 
を呼び出し
 
ランボオの詩弦(リイル)は、最初から聊(いささ)かの感傷の痕も持たない。彼は、野人の恐ろしく劇的な触角をもって、触れるものすべてを斫断する事から始めた。それは不幸な事であった。その初期の作る処は、その煌(きらめ)く断面の羅列なのである。
 
と解釈を加えて
「人生斫断家ランボオ」は
証明されたものとされます。
 
ランボーの歌う詩は
ことごとくが
斫断された断面
キラキラと輝く断面の羅列である、と読まれました。
 
つづけて
ボーオドレールの人生嫌厭が
人生を斫断しないのに
ランボーの人生嫌厭は
人生のあらゆる局面を斫断する
 
ベルレーヌは
無意識な生活者であったのに
ランボーは
意識的な生活者であった
 
このようなことを
韜晦(とうかい)にくるんで
思惟し
今度は
「最高塔の歌」を呼び出して
ランボー最後の斫断――「地獄の季節」への道のりをたどるのです
 
斫断の末に
ランボーは
アフリカの砂漠に消えてゆきます。
 
吾々は、はや砂漠の如く退屈な、砂漠の如く無味な、然し砂漠の如く純粋な彼の書簡集のみしか読む事が出来ない。
 
「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を
ざっとたどれば
このようになります。
 
ジンセイシャクダンカ アルチュル・ランボオ
 
何度繰り返しても
舌を噛みそうですが……
これが
アルチュール・ランボーへ接近するための
案内として
戦中戦後をくぐり抜け
今も読み継がれている思惟の書であることに
いささかの揺るぎもないのです。
 
 
(つづく)
 
*
酩酊船
 
われ、非情の河より河を下りしが、
船曳(ふなひき)の綱のいざなひ、いつか覚えず。
罵り騒ぐ蛮人は、船曳等(やつら)を標的(まと)に引つ捕へ、
彩色(いろ)とりどりに立ち並ぶ、杭(くひ)に赤裸(はだか)に釘付けぬ。
 
船員も船具も今は何かせん。
ゆけ、フラマンの小麦船、イギリスの綿船(わたぶね)よ。
わが船曳等(ふなひきら)の去りてより、騒擾(さわぎ)の声もはやあらず、
流れ流れて思ふまゝ、われは下りき。
 
怒り高鳴る潮騒(しおさゐ)を、小児等(こどもら)の脳髄ほどにもきゝ判(わ)けず、
われ流浪(さすら)ひしはいつの冬(ひ)か。
纜(ともづな)ときし半島も、この揚々(やうやう)たる混沌を、
忍びしためしはなしと聞く。
 
嵐来て、わが航海の眼醒めを祝ひてより、
人呼んで、永劫の犠牲者(にへ)の運搬者(はこびて)といふ波の上、
身はコルクの栓よりなほ軽く、跳り狂ひて艫(とも)の灯の、
惚(ほほ)けたる眼を顧みず、われ漂流ひて幾夜へし。
 
小児等(こどもら)の囓(かぶ)りつく酸き林檎の果(にく)よりなほ甘く、
緑の海水(みず)は樅材(もみ)の船身(ふないた)に滲み通り
洗ひしものは安酒の汚点(しみ)、反吐(へど)の汚点(しみ)、
船は流れぬ、錨も失せぬ。
 
さて、われらはこの日より、星を注ぎて乳汁色(ちちいろ)の、
海原の詩(うた)に浴しつゝ、緑なす瑠璃を啖(くら)ひ行けば、
こゝ吃水線(きっすい)は恍惚として蒼ぐもり、
折から水死人のたゞ一人、想ひに沈み降(くだ)り行く。
 
見よ、その蒼き色、忽然として色を染め、
金紅色(きんこうしょく)の日の下(もと)に、われを忘れし揺蕩(たゆたい)は、
酒清よりもなほ強く、汝(なれ)が立琴(りいる)も歌ひえぬ。
愛執の苦き赤痣(あかあざ)を醸(かも)すなり。
 
われは知る、稲妻に裂かるゝ空を、龍巻を、
また寄せ返す波頭(なみ)、走る潮流(みず)、夕(ゆうべ)送れば、
曙光(あけぼの)は、むれ立つ鳩かと湧きたちて、
時に、この眼の視しものを、他人(ひと)は夢かと惑ふらむ。
 
不可思議の怖れに染みし落日に、
紫にたなびく凝結(こごり)赫(かがよ)うて、
沖津波、襞(ひだ)を顫(ふる)はせ揺れ動き、
古代の劇の俳優も、かくやとわれは眺めけり。
 
まばゆきばかり雪の降り、夜空の色は緑さし、
海を離れてゆらゆらと、昇る接吻(くちづけ)も眼のあたり。
未聞(みもん)の生気(せいき)はたゞよひて、歌ふが如き燐光の
青色(あお)に黄色に眼醒むるを、われはまた夢みたり。
 
愚なり、われは幾月もまた幾月も、
ヒステリィの牛舎さながらの大波(たいは)暗礁を襲ふに従ひぬ。
知らず、若しマリヤそのまばゆき御足(みあし)のあらば、
いきだはしき大洋に大洋に猿轡(さるぐつわ)かませ給ふを。
 
船は衝突(あた)りぬ、君知るや、世に不思議なるフロリダ洲。
人間(ひと)の皮膚(はだへ)の豹の眼は、叢(むら)なす花に入り交り、
海路(うみじ)はるかの沖津方(おきつかた)、青緑色の羊群に、
太靱(たづな)の如き虹を掛く。
 
われは見ぬ、沼々は醱酵し、巨(おおい)なる魚梁(やな)のあるを。
燈心草(とうしんぐさ)は生(おい)茂り、腐爛(ふらん)せるレヴィンヤタンの一眷族(け
んぞく)。
大凪(おおなぎ)のうちに水は崩れ逆(さか)巻きて、
遠方(おちかた)は深淵(ふち)か滝津瀬か。
 
氷の河に白銀(しらがね)の太陽(ひ)、真珠の波や熾(おき)の空、
褐色(かちいろ)の入江の底深く、目も当てられぬ坐洲(ざす)のさま。
蚜虫(くさむし)に食はれたゞれたる大蛇(おろち)のあまた群がりて、
黒き香をあげ、捩(ね)じ曲る樹木よりどうと墜(お)つるなり。
 
小児等(こどもら)のあらば見せまほし、
黄金(こがね)の魚(さかな)、歌うたふ魚、青海原に浮ぶ鯛、
水泡(みなわ)がくれた花々、わが漂流を賞(ほ)めそやし、
時に、得も言われぬ風ありて、われに羽(はね)を貸しぬ。
 
また、ある時は殉教者、地極(ちきょく)に地帯(ちたい)に飽きはてゝ
海すゝり泣く声きけば、僅か慰む千鳥足。
黄(き)の吸角(すひだま)ある影の花、海わが方(かた)にかざす時、
われは、膝つく女の如く動かざりき。
 
わが船舷(ふなべり)をおほひて、半島は金褐色(きんかっしょく)の眼をむきて、
哮(たけ)り、嘲(あざけ)り、海鳥(かいてう)の争ひと糞(くそ)とを打ち振ふ。
せん術(すべ)なくて漂へば、脆弱(もろ)き鎖を横切りて、
また水死者の幾人(いくたり)か、逆様(さかしま)に眠り降(くだ)りゆきぬ。
 
されど、われ船となりて浦々の乱れし髪に踏み迷ひ、
嵐来て島棲まぬ気層(そら)に投げられては、
海防艦(もにとる)もハンザの帆走船(ふね)も、
水に酔(ゑ)ひたるわが屍(むくろ)、いかで救はむ。
 
思ふがまゝに煙吹き、菫(すみれ)の色の靄(もや)にのり、
赤壁(あかかべ)の空に穴を穿(うが)てるわれなりき。
詩人奴(め)が指を銜(くは)へる砂糖菓子、
太陽の瘡(かさ)、青空の鼻汁(はな)を何かせん。
 
身は狂ほしき板子(いたご)かな。
閃電(ひばな)を散らす衛星(ほし)に染み、黒き海馬(かいば)の供廻(ともまは)り。
それ、革命の七月は、丸太棒(まるたんぼう)の一とたゝき、
燃ゆる漏斗(ろうと)の形せる、紺青の空をぶちのめす。
 
五十海里の彼方(かなた)にて、ベヘモと巨盤渦(うず)の交尾する、
怨嗟(えんさ)のうめきに胸(とむね)つき、慄へしわれぞ。
永劫に蒼ざめし嗜眠(ねむり)を紡(つむ)ぐはわれぞ。
あゝ、昔ながらの胸墻(かべ)に拠(よ)る、欧羅巴(ヨーロッパ)を惜しむはわれか。
 
見ずや、天体の群鳥を、
島嶼(しまじま)、その錯乱の天を、渡海者(たびびと)に開放(はな)てるを。
そも、この底無しの夜(よ)を、汝(なれ)は眠りて流れしか。
あゝ、金色(こんじき)の島の幾百万、当来の生気(せいき)はいづこにありや。
 
想へば、よく泣きたるわれかな。来る曙は胸を抉(えぐ)り、
月はむごたらし、陽(ひ)は苦(にが)し。
切なる恋に酔ひしれし、わが心は痺れたり。
龍骨よ、砕けよ、あゝ、われは海に死なむ。
 
今、われ欧洲の水を望むとも、
はや冷え冷えと黒き池、吹く風薫る夕まぐれ、
悲しみ余り、をさな児が、蹲(うずくま)つてはその上に、
五月の蝶にさながらの、笹舟を放つ池かな。
 
あゝ波よ、ひとたび汝(なれ)が倦怠に浴しては、
綿船(わたぶね)の水脈(みを)ひく跡を、奪ひもならず、
標旗(はた)の焰の驕慢を、横切(よぎ)りもならず、
船橋(せんけう)の恐ろしき眼をかいくゞり、泳ぎもならじ。
 
(小林秀雄「考えるヒント4 ランボオ・中原中也」所収「ランボオ詩抄」文春文庫より)
※原作のルビは、( )内に記しました。編者。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ラフォルグ<13>でぶっちょの子供の歌へる・その2

中原中也の訳したラフォルグ3作のうち
「でぶっちょの子供の歌へる」を読んで
先に進むことにしましょう。
3作にざっと目を通して
この詩ばかりは
通り過ぎようにも通り過ぎることを許さないような
見て!見て! と中原中也が呼んでいるような
詩がしきりにアピールしているようで
立ち止まってしまいます。
 
原題にあるhypertrophiqueは
「心臓などの肥大した」とか「肥大性の」の意味で
直訳すれば
「心臓肥大症の子供の歌」となるのを
中原中也は「でぶっちょの」と意訳してみせましたから
太った子どもでも
元気のよいばかりではなく
心臓病をかかえて
生きていることを諦観している
シニカルな思いを抱く子の歌う歌として
読むとよいようです。
 
その子どもの母親もまた
心臓病で死んでしまったのです
医者がぼくにそう言ったんだ
――ティル ラン レール!
――かわいそうなママ
 
ぼくもあの世に行ってしまおうっと
そしてママと一緒にねんねするんだ
ホラ、ね、ぼくの心臓鳴ってる
きっと、ママが呼んでるのさ
 
こんなふうに感じる子は
通りで、みんなの笑いもの
おかしい、変だって
――ラ イ トウ!
――知るもんか、そんなの
 
でも、いわれてみりゃそうなんだ
一足歩くたびに
息切れするし、足はよろよろ
ホラ、ね、ぼくの心臓鳴ってる
きっと、ママが呼んでるのさ
 
それだから原っぱにぼくは行くんだ
夕陽を見ると泣けてくるからね
――ラ リ レット!
――泣けるんだ、目一杯
 
よく知らないけれど
夕陽ってのは
心臓を流れる血みたいでしょ
ホラ、ね、ぼくの心臓鳴ってる
きっと、ママが呼んでるのさ
 
もしも大好きなジュヌヴィエーヴが
ぼくの心臓を頂戴っていったら
――ピ ル イ!
――あいよ、だよ
 
ぼくは黄色、悲しみの色
彼女はバラ色、おまけに陽気
ホラ、ね、ぼくの心臓鳴ってる
きっと、ママが呼んでるのさ
 
だいたいみんな意地悪ばっかり
夕陽を除いて意地悪だらけだ
 
夕陽とママと
そしてぼくも
あの世に行ってしまおう
ママとねんねするんだ
ホラ、ね、ぼくの心臓鳴ってる
ね、ママ、ぼくを呼んでるんでしょう?
 
 
ダダイズムの詩「春の日の夕暮」に
物語を加えたら
こんな詩が生まれそうな
まったく無縁のはずのシーンが
重なってきませんか?
 
いや
俺には
ホラホラ、これが僕の骨だ、という詩に
繋がっていく
……
なんて
とんでもない方向に
広がっていくのは
読みが浅いというほかに
言い様がないようで……。
 
 *
 
でぶっちょの子供の歌へる
 
          ジュウル・ラフォルグ
 
お亡くなりになつたのは
心臓病でです、お医者は僕にさう云つたけが、
   ティル ラン レール!
   気の毒なママ。
僕もあの世に行つてしまはう、
ママと一緒にねんねをするんだ。
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
往来で、みんなは僕を嗤(わら)ふんだ、
僕の様子が可笑しんだつて
   ラ イ トウ!
   知るもんか。
あゝ! でも一歩(ひとあし)あるくたんびに
息は切れるし、よろよろもする!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
それで野原に僕は行くんだ
夕陽が見えると泣けて来るんだ 
   ラ リ レット!
   泣けてくるんだ。
よく知らないけど、だつて夕陽は
流れる心臓みたいぢやないか!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
あゝ! もし可愛いいジュヌヴィエーヴが
この心臓をお呉れといつたら、
   ピ ル イ!
   あいよだ!
僕は黄色で悲しげなんだ!
彼女は薔薇色、おまけに陽気さ!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
だいたいみんなが意地悪過ぎらあ、
夕陽を除(ど)けたらみんな意地悪だ、
   ティル ラン レール!
夕陽とママと、
僕もあの世に行つてしまはう
ママと一緒にねんねをするんだ……
ホラ、ね、ホラ、ホラ、僕の心臓……
ね、ママ、僕を呼んでるのでせう?
 
(「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫より)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ラフォルグ<12>中原中也が訳した3作品

山本書店に行く。堀口大学を訪ねる、留守。山内義雄に会って山本書店の言付を伝
える。三好達治の所へ寄る。(略)
 
中原中也は
昭和11年7月21日の日記に
このように記したのですが
ここに登場する山内義雄こそ
「上田敏全訳詩集」(岩波文庫)を
矢野峰人と共に編纂したその人であることが注目されます。
 
やがて
アンドレ・ジッド「狭き門」や
「チボー家の人々」の翻訳などで
フランス文学者として名を馳せることになる
山内義雄(1894〜1973年)は
晩年の京都帝大教授時代の上田敏に
直接、薫陶をうけたよしみもあって
全訳詩集の編集を担当することになった間柄でした。
 
中原中也の日記の
昭和12年5月7日には
 
呉郎、山内義雄、土田先生に詩集発送。
 
8月18日には
 
山内義雄よりブールジェ「弟子」を贈呈さる。
 
8月24日には
 
ポール・ブールジェ「弟子」(山内義雄訳)読了。
 
とあり、
終焉の地となった鎌倉在住時代に
山内との交友が続いていたことを明らかにしています。
 
中原中也は
上田敏の流れとも堀口大学の流れとも
交友の域内にあり
影響の範囲内にあったことが分かるということです。
 
上田敏と堀口大学と中原中也の3人が
ラフォルグの詩を巡って
酒を飲み交わしたなんてことはなかったのですが
 
明治7年(1874年)生まれ(上田敏)のラフォルグ訳
明治25年(1892年)生まれ(堀口大学)のラフォルグ訳
明治40年(1907年)生れ(中原中也)のラフォルグ訳
 
と、生年が20年近く異なる訳者の
3種類のラフォルグの詩、計14篇を
現在でも文庫本で
読むことができるわけです。
 
中原中也訳のラフォルグは
生前に公表されておらず
未定稿ですが
3篇を一挙にみておきます。
 
 *
 
謝肉祭の夜
 
          ジュール・ラフォルグ
 
巴里は今晩大騒ぎ。弔鐘の如く時計台、
一時を打つ。歌へ! 踊れ! 朝露の命、
すべては空しい、――、さて空に、月は夢みる
生類の、発生以前と変りもなく。
 
なんと因果なことではないか! すべては閃きすべては過ぎる。
真理だ、愛だと、巧い言葉に乗せられながら
行手はいづこだ? とどのつまりは
地球が虚空で破裂して、影も形もなくなるまでか?
 
いろいろ歴史が並べて呉れる、叫びや涙や高言の
反響(こだま)は何処で、何時するのやら、
ねえ、バビロンよ、メンフィスと、ベナレス、テーベよ、ねえ羅馬、
おまへら廃墟でけふ此の頃は、風が花粉を運んでゐるよ。
 
さてこの俺だが、あと幾日を生きるやら?
俺は大地に身を投げつけて、叫びおののく、
永久返らぬ諸世紀の、綺羅(きら)燦然(さんぜん)の目の前で、
神意も通はぬ無心(こころな)の、涅槃(ねはん)の中の只中で!
 
と、聞えるぞ、静かな戸外(そとも)に、
響く跫音(あしおと)、悲しげな歌
祭りの帰りのへべれけの、労働者かな、
何れそこらの銘酒屋に、なんとなく泊まるのだらう。
 
おゝ、人の世は、あんまり悲しい、あんまりあんまり悲しいぞ!
お祭りといふお祭が、いつも涙の種となる。
《是空(ぜくう)だ、是空だ、一切是空だ!》
ところで俺の思ふこと、――ダヴィデの死灰やいまいづこ。
 
 *
 
でぶっちょの子供の歌へる
 
          ジュウル・ラフォルグ
 
お亡くなりになつたのは
心臓病でです、お医者は僕にさう云つたけが、
   ティル ラン レール!
   気の毒なママ。
僕もあの世に行つてしまはう、
ママと一緒にねんねをするんだ。
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
往来で、みんなは僕を嗤(わら)ふんだ、
僕の様子が可笑しんだつて
   ラ イ トウ!
   知るもんか。
あゝ! でも一歩(ひとあし)あるくたんびに
息は切れるし、よろよろもする!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
それで野原に僕は行くんだ
夕陽が見えると泣けて来るんだ 
   ラ リ レット!
   泣けてくるんだ。
よく知らないけど、だつて夕陽は
流れる心臓みたいぢやないか!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
あゝ! もし可愛いいジュヌヴィエーヴが
この心臓をお呉れといつたら、
   ピ ル イ!
   あいよだ!
僕は黄色で悲しげなんだ!
彼女は薔薇色、おまけに陽気さ!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
だいたいみんなが意地悪過ぎらあ、
夕陽を除(ど)けたらみんな意地悪だ、
   ティル ラン レール!
夕陽とママと、
僕もあの世に行つてしまはう
ママと一緒にねんねをするんだ……
ホラ、ね、ホラ、ホラ、僕の心臓……
ね、ママ、僕を呼んでるのでせう?
 
 
 *
はかない茶番
 
          ジュール・ラフォルグ
 
バベルを幾つ集めても、威張つた所で泣いた所で、
人間という夢想家は、一小世界の蛆虫(うじむし)と、
とくと考へみるほどに、あんまし滑稽で仕方がない、
いくら考へ直してみても、いつも結局おなじこと。
 
それ劫初、涯なき海が造られてより、
天辺は、いつも変らぬ無辺際、
恒星は、続々々々繁殖し、その各々が
人畜棲息の惑星を、夫々引率れてゐるといふわけ……
 
いやはや言語道断な! これではあんまり可笑(おか)しくて!
と、不感無覚の空にむけ、俺は拳固を振上げた!
空の奴、随分俺を騙(だま)しをつたな?
 
誤魔化したつて知つてるぞ、我が此の地球は、
壮観な、宇宙讃歌(ホザナ・ホザナ)のその中で、
茶番の掛かる、たかゞ芝居の小屋ではないか。
 
(「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫より)
 
 
 
 
 
 

ラフォルグ<11>堀口大学が訳した4作品

堀口大学の
訳詩集「月下の一群」が発刊されたのは
大正14年(1925年)9月のことですから
中原中也が
これを入手し
何度となく読んだことは間違いありません。
 
上田敏の「海潮音」が明治38年(1905年)の発行
「牧羊神」は、死後刊行で
大正9年(1920年)のことでした。
 
中原中也は明治40年(1907年)生れで
上田敏は
明治7年(1874年)生まれで
大正5年(1916年)には亡くなっていますから
中原中也には父親の世代であり
一時代前を生きた人ですが
堀口大学は
明治25年(1892年)生まれで
昭和56年(1981年)まで生きた人で
中原中也が書いた昭和11年7月21日の日記には
 
山本書店に行く。堀口大学を訪ねる、留守。山内義雄に会って山本書店の言付を伝
える。三好達治の所へ寄る。(略)
 
という記述があるほか
堀口大学の著作を購入した記録が
日記の随所に現れますし
昭和2年4月13日の日記には
 
堀口大学、おまへがどうして男と生れて来たやら。おまへが少女と生れなかつたから
には意久地があつたものとみえる。その意久地とは蓋し品性下劣に関する。
 
などという「こきおろし」も見られます。
 
昭和のはじめから晩年に至るまで
日記に記すほどに
関心・関係を継続していたということですし
堀口大学を
中原中也は
同時代に生きていた文学者と見なす眼差しがあったから
それだけで「対等」であり
自由な批判の対象範囲にありました。
 
これは東京帝大仏文科の教官・辰野隆を
「夜襲」した関係などと
同じことでした。
 
上田敏が生きていれば
同じ風に
夜襲していたかもしれませんが
堀口大学の訳詩が
上田敏のよりも
モダンで今風に映じていたのか
より新鮮に感じられていたことも
想像するのにむずかしいことではありません。
 
中原中也にとって
上田敏は前世代
堀口大学は同時代だったのです。
 
堀口大学が
「月下の一群」の中に訳出した
ジュール・ラフォルグの詩4作品を
見ておくことにします。
 
 
新月の連祷
    ジュール・ラフォルグ
 
不眠症に
めぐまれた月よ、
 
エンデミオンの
白い頸飾(メダイヨン)よ、
 
住む人もない
化石の星よ、
 
サランボーの
ねたみの墓よ、
 
果(はて)しれぬ神秘の
波止場よ、
 
聖母(マドンナ)よ! 令嬢(ミス)よ!
ディアーヌ、アルテミスよ!
 
われ等が夜遊びの
聖(せい)みはりよ!
 
骨牌(かるた)あそびの
呪禁(まじなひ)よ、
 
露台の上の
つかれた夫人よ、
 
蛍をそそのかす
媚薬(ほれぐすり)よ、
 
最後の賛美歌よ、
窓よ、円屋根よ、
 
われ等が救ひの猫の
美しい眼よ、
 
おお、われ等が信仰の
野戦病院になつておくれ!
 
聖大赦免の
羽蒲団になつておくれ!
 
 
 
最後の一つの手前の言葉
 
宇宙かね?
――おれの心は
そこで死んで行くのさ
あとものこさずに……。
 
本当を云ふと、地球をとりまくあの天井は
大そう薄情に出来ているのさ。
 
女?
――おれはそこから生れて来てる、
魂の中に
死を抱(だ)いて……。
 
本当を云ふと、方角ちがひの二人が
一番愛し合へるのさ。
 
夢かい?
――結構なものさ
終りさへ
見られたら……。
 
本当を云ふと、人生は短かく
夢は長いよ。
 
すると
各自(てんで)が差配する
 
この肉体で
何をしたらよいのか?
 
本当に、おお、歳月よ、
この豊かな肉体で、何をしたらよいのか?
 
これや
ここや
かしこや……。
 
本当を云ふと、本当を云ふと、これだけさ。
その外は、なるやうにするがよいのさ。
 
 
 
ピエロの言葉
 
かくしの中へ両手をつつこんで
道を歩きながら
わしは聴く
百千の寺の鐘が
「貴様の知らぬ間に
時は近づくぞ」と歌ふのを!
何と! 神様なんかに、用はござらぬ!
ここはわが安住でさあ!
どうやらなつかしい
あの天井、
あれがわしのすべてでさあ。
わしはまつすぐに歩きます。
わしは曲がつた事は真平だ。
嘘の
はきだめのやうな、
歴史も、自然も、
わしは悉皆(しつかい)承知です、
ちよいと皆さんに申上げて置きますが、
わしは真面目で、云つてゐますよ。
 
 
五分間写生
 
    オフェリア  わが君、それは儚なうございます。
    ハムレット  女子(をなご)の恋のやうにぢや。
 
おや、おや! 天気が変るわい、
雷さまも遠くない、
人たちは大急ぎで
乾草をしまひこむ!
 
腫(はれ)ものがやぶれる!
夕立がふり出す!
これはしたり
洪水どもの大げんくわ! ……
 
おや! おや! これはまた、
雨傘の行列だ!
おや! おや! 破産しかけた
この自然! ……
 
私の窓で
非人情な様子の
フクシャの花が一輪
よみがへる。
 
(新潮文庫「月下の一群」堀口大学訳詩集より)
※旧漢字を新漢字に改めてあります。編者。
 

ラフォルグ<10>上田敏が訳した7作品

中原中也がラフォルグの詩を翻訳するにあたって
参考にした書物があったとすれば
何だろうと考えたときに
岩野泡鳴訳のアーサー・シモンズ「表徴派の文学運動」とか
辰野隆・鈴木信太郎の共著「信天翁の眼玉」とか
鈴木信太郎の「近代仏蘭西象徴詩抄」があがってくるのですが
これら著作は
中原中也が手分けして手に入れたようには
現在、一般の読者が入手できるものではありません。
 
そもそも
単刊発行されたこれらの著作は
現在では絶版になっていて
あったとしても
高級古書扱いですし
全集の中に収められていますから
なかなか読むことが困難なのです。
 
散文著作は
古書化しやすく
韻文(詩)であれば
古語文語のままでも
長い命を保つことができるという事情も
関係しているかもしれません。
 
となると
上田敏の「牧羊神」中のラフォルグの詩の翻訳か
堀口大学の「月下の一群」中のラフォルグ訳か
現在でも比較的に手に入りやすいのは
この2著ということになり
この2著なら
中原中也も随分と親しく読んだ書物であろうことが想像されますから
とりあえずは
この2著のラフォルグに目を通しておきましょう。
 
上田敏訳ラフォルグは
「牧羊神」に7作品が
収録されています。
 
※以下、岩波文庫「上田敏全訳詩集」より引用。
※新漢字を使用しています(編者)
 
 ◇
 
お月様のなげきぶし    
            ジュル・ラフォルグ
 
星の声がする
 
  膝の上、
  天道様の膝の上、
踊るは、をどるは、
  膝の上、
  天道様の膝の上、
星の踊のひとをどり。
 
――もうし、もうし、お月様、
そんなに、つんとあそばすな。
をどりの組へおはひりな。
金の頸環(くびわ)をまゐらせう。
 
おや、まあ、いつそ有難(ありがた)い
思召(おぼしめし)だが、わたしには
お姉様(あねえさま)のくだすつた
これ、このメダルで沢山よ。
 
――ふふん、地球なんざあ、いけ好(すか)ない、
ありやあ、思想の台(だい)ですよ。
それよか、もつと歴(れき)とした
立派な星がたんとある。
 
――もう、もう、これで沢山よ、
おや、どこやらで声がする。
――なに、そりや何(なに)かのききちがひ。
宇宙の舎密(せいみ)が鳴るのでせう。
 
――口のわるい人たちだ、
わたしや、よつぴて起きてよ。
お引摺(ひきずり)のお転婆(てんば)さん、
夜遊(よあそび)にでもいつといで。
 
――こまつちやくれた尼(あま)つちよめ、
へへへのへ、のんだくれの御本尊(ごほんぞん)、
掏摸(すり)の狗(いぬ)のお守番(もりばん)、
猫の恋のなかうど、
あばよ、さばよ。
 
衆星退場。静寂と月光。遥かに声。
  はてしらぬ
  空(そら)の天井(てんじよ)のその下(した)で、
踊るは、をどるは、
  はてしらぬ
  空(そら)の天井(てんじよ)のその下(した)で、
星の踊をひとをどり。
 
 ◇
 
月光
          ジュル・ラフォルグ
 
とてもあの星には住まへないよ思ふと、
まるで鳩尾(みづおち)でも、どやされたやうだ。
 
ああ月は美しいな、あのしんとした中空(なかぞら)を
夏八月(なつはちぐわつ)の良夜(あたらよ)に乗(の)つきつて。
 
帆柱(ほばしら)なんぞはうつちやつて、ふらりふらりと
転(こ)けてゆく、雲のまつ黒(くろ)けの崖下(がけした)を。
 
ああ往(い)つてみたいな、無暗(むやみ)に往(い)つてみたいな、
尊(たふと)いあすこの水盤(すいばん)へ乗(の)つてみたなら嘸(さぞ)よからう。
 
お月(つき)さまは盲(めくら)だ、険難至極(けんのんしごく)な燈台だ。
哀れなる哉(かな)、イカルスが幾人(いくたり)も来ておつこちる。
 
自殺者の眼のやうに、死(あが)つてござるお月様、
吾等疲労者大会の議長の席につきたまへ。
 
冷たい頭脳で遠慮無く散々(さんざん)貶(けな)して貰(もら)ひませう、
とても癒(なほ)らぬ官僚主義で、つるつる禿(は)げた凡骨(ぼんこつ)を。
 
これが最後の睡眠剤か、どれひとつその丸薬(ぐわんやく)を
どうか世間の石頭(いしあたま)へも頒(わ)けて呑(の)ませてやりたいものだ。
 
どりや袍(うわぎ)を甲斐甲斐(かひがひ)しくも、きりりと羽織(はお)つたお月さま、
愛の冷えきつた世でござる、何卒(なにとぞ)箙(えびら)の矢をとつて、
 
よつぴき引いて、ひようと放(う)ち、この世の住まふ翅無(はねなし)の
人間どもの心中(しんちゆう)に情(なさけ)の種(たね)を植えたまへ。
 
大洪水(だいこうずい)に洗はれて、さっぱりとしたお月さま、
解熱(げねつ)の効(かう)あるその光、今夜(こんや)ここへもさして来て、
 
寝台(ねだい)に一杯(いつぱい)漲(みなぎ)れよ、さるほどに小生も
この浮世から手を洗ふべく候(さふらふ)。
 
 
 ◇
 
ピエロオの詞
 
          ジュル・ラフォルグ
 
また本(ほん)か。恋しいな、
気障(きざ)な奴等(やつら)の居ないとこ、
銭(ぜに)やお辞儀(じぎ)の無いとこや、
無駄の議論の無いとこが。
 
また一人(ひとり)ピエロオが
慢性孤独病で死んだ。
見てくれは滑稽(をかし)かつたが、
垢抜(あかぬけ)のした奴(やつ)だつた。
 
神様は退去(おひけ)になる、猪頭(おかしら)ばかり残つてる。
ああ天下の事日日(ひび)に非なりだ。
用もひととほり済んだから、
どれ、ひとつ、「空扶持(むだぶち)」にでもありつかう。
 
 
 ◇
 
月の出前の対話
 
――そりやあ真(しん)の生活もしてはみたいさ、
だがね、理想といふものは、あまり漠(ばく)としてゐる。
 
――そこが理想なんだ、理想の理想たるところだ。
訳(わけ)が解(わか)るくらゐなら、別の名がつく。
 
――しかし、何事も不確(ふたしか)な世の中だ。哲学また哲学、
生れたり、刺違(さしちがへ)たり、まるで筋(すぢ)が立つてゐない。
 
――さうさ、真(しん)とは生(い)きるのだといふんだもの、
絶対なんざあ、たつ瀬(せ)があるまい。
 
――ひとつ旗を下(おろ)して了(しま)はうか、えい、
お荷物はすつかり虚無(きよむ)へ渡して了(しま)はう。
 
――空(そら)から吹きおろす無辺(むへん)の風の声がいふ、
「おい、おい、ばかもいゝ加減にしなさい。」
 
――もつとも、さうさな「可能(かのう)」の工場(こうぢやう)の汽笛は、
「不可思議」のかたへ向つて唸(うな)つてはゐる。
 
――其間(そのかん)唯(たゞ)一歩(いつぽ)だ。なるほど黎明(しのゝめ)と
曙のあはひのちがひほどである。
 
――それでは、かうかな、現実とは、少(すく)なくとも
「或物」に対して益があるといふことか。
 
――そこでかうなる、ねえ、さうぢやないか、
薔薇(ばら)の花は必要である――其必要に対してと。
 
――話が少(すこ)し妙(めう)になつて来たね、
すべては循環論法に入(はひ)つてくる。
 
――循環はしてゐるが、これが凡(すべ)てだ。
           ――何だ、さうか、
なら、いつそ月の方(はう)へいつちまはう。
 
 
 ◇
 
冬が来る
 
感情の封鎖(ふうさ)。近東行(きんとうゆき)の郵船(いうせん)……
ああ雨が降(ふ)る、日が暮れる、
ああ木枯の声……
萬聖節(ばんせいせつ)、降誕祭(かうたんさい)、やがて新年、
ああ霧雨(きりさめ)の中(なか)に、煙突(えんとつ)の林……
しかも工場の……
 
どのベンチも皆(みんな)濡れてゐて腰を下(おろ)せない。
とても来年にならなければ徒目(だめ)だ。
どのベンチも濡れてゐる、森もすつかり霜枯れて、
トントン、トンテンと、もう角笛(つのぶえ)も鳴つて了つた。
 
ああ、海峽(かいけふ)の浜辺(はまべ)から駆(か)けつけた雲のおかげで、
前の日曜もまる潰(つぶ)れだつた。
 
霧雨(きりさめ)が降(ふ)つてる、
づぶ濡の木立(こだち)にかけた蜘蛛の網(す)は、
水玉(みづたま)の重(おも)みに弛(たる)んで毀(こは)れて了(しま)つた。
豊年祭(ほうねんまつり)のころに、
砂金(しやきん)の波の光を漂はせて、豪勢(がうせい)な景気(けいき)だつた日光は
今どこに隠れてゐる。
けふの夕方は、泣きだしさうな日が、丘の上(うへ)の
金雀花(えにしだ)の中(なか)で外套(まはし)を羽織(はお)つたまま、横向(よこむき)に臥(ね)てゐる。
薄れた白(しろ)つぽい日の目(め)は酒場(さかば)の床(ゆか)に吐散(はきち)らした痰(たん)のやうで、
黄(き)いろい金雀花(えにしだ)の敷藁(しきわら)と、
黄(き)いろい秋の金雀花(えにしだ)を照してゐる。
角笛(つのぶえ)が頻に呼んでゐる、
帰れ……
帰れと呼んでゐる。
タイオオ、タイオオ、アラリ。
ああ悲しい、もう已(や)めてくれ……
堪(たま)らなく悲しい……
日は丘の上(うへ)に臥(ね)てゐて、頸筋(くびすぢ)から取つた腺(せん)のやうだ、
日は慄(ふる)へてゐる、孤(ひとり)ぼつちで……
 
さ、さ、アラリ!
熟知(おなじみ)の冬が来たぞ、来たぞ。
ああ、街道(かいだう)の紆曲(まがりくねり)に、
「赤外套(あかまんと)の児(こ)」も見えない。
ああ此間(こなひだ)通つた車の跡が、
ドン・キホオテ流(りう)に、途方(とはう)も無い勇気を出して、
総崩(そうくづれ)になつた雲(くも)の斥候隊(せきこうたい)の方(はう)へ上(のぼ)つてゆくと、
風はその雲を大西洋上(たいせいやうじやう)の埒(らち)へと追ひたてる。
急げ急げ、こんどこそ本当(ほんと)だ。
 
昨夜(ゆうべ)は、よくも吹いたものだ。
やあ、滅茶苦茶(めちやくちや)だ、そら、鳥の巣も花壇(くわだん)も。
ああわが心、わが眠(ねむり)、それ、斧の音(ね)が響く。
 
きのふまでは、まだ青葉の枝、
けふは、下生(したばえ)に枯葉(かれは)の山、
大風(おほかぜ)に芽も葉も揉(も)まれて、
一団(ひとかたまり)に池へ行く。
或(あるひ)は猟(かり)の番舍(ばんや)の火に焼(く)ばり、
或(あるひ)は遠征隊の兵士が寝(ね)る
野戦病院用の蒲団に入(はひ)るだらう。
 
冬だ、冬だ、霜枯時(しもがれどき)だ。
霜枯(しもがれ)は幾基米突(いくきろめえとる)に亘る鬱憂を逞しうして
人(ひと)つ子(こ)ひとり通らない街道(かいだう)の電線を腐蝕してゐる。
 
角笛(つのぶえ)が、角笛(つのぶえ)が――悲しい……
角笛(つのぶえ)が悲しい……
消えて行く音色(ねいろ)の変化、
調(てう)と音色(ねいろ)の変化、
トントン、トンテン、トントン……
角笛(つのぶえ)が、角笛(つのぶえ)が
北風(きたかぜ)に消えてゆく。
 
耳につく角笛(つのぶえ)の音(ね)、なんとまあ余韻(よゐん)の深い音(おと)だらう……
冬(ふゆ)だ、冬(ふゆ)だ。葡萄祭(ぶだうまつり)も、さらば、さらば……
天人(てんにん)のやうに辛抱づよく、長雨(ながあめ)が降(ふ)りだした。
おさらば、さらば葡萄祭(ぶだうまつり)、さらばよ花籠、
橡(とち)の葉陰の舞踏(ぶたふ)の庭のワットオぶりの花籠よ。
今、中学の寄宿舍に咳嗽(せき)の音(おと)繁(しげ)く、
暖炉に火は消えて煎薬が匂ひ、
肺炎が各區(かくく)に流行して
大都会のあらゆる不幸一時に襲来する。
 
さりながら、毛織物、護謨(ごむ)、薬種店(やくしゆてん)、物思(ものおもひ)、
場末の町の屋根瓦(やねがはら)の海に臨んで、
その岸とも謂(いつ)つべき張出(はりだし)の欄干近(らんかんぢか)い窓掛(まどかけ)、
洋燈(ランプ)、版絵(はんゑ)、茶(ちや)、茶菓子(ちやぐわし)、
樂(たのしみ)は、これきりか知(し)ら。
(ああ、まだある、それから洋琴(ピアノ)のほかに、
毎週一回、新聞に出る、
あの地味(ぢみ)な、薄暗い、不思議な
衛生統計表さ。)
 
いや、何しろ冬がやつて来た。地球が痴呆(ばか)なのさ。
ああ南風(なんぷう)よ、南風(なんぷう)よ、
「時(とき)」が編みあげたこの古靴(ふるぐつ)を、ぎざぎざにしておくれ、
冬だ、ああ厭な冬が來た。
毎年(まいねん)、毎年(まいねん)、
一々(いちいち)その報告を書いてみようとおもふ。
 
 
 ◇
 
日曜
 
ハムレツト――そちに娘があるか。
ポロウニヤス――はい、御座りまする。
ハムレツト――あまり外へ出すなよ。腹のあるのは結構だが、そちの娘の腹に何か出来ると大変だからな。
 
しとしとと、無意味に雨が降る、雨が降る、
雨が降るぞや、川面(かはづら)に、羊の番の小娘(こむすめ)よ……
 
どんたくの休日(やすみ)のけしき川に浮び、
上(かみ)にも下(しも)にも、どこみても、艀(はしけ)も小船(こぶね)も出て居ない。
 
夕がたのつとめの鐘が市(まち)で鳴る。
人気(ひとけ)の絶えたかしっぷち、薄ら寂しい河岸(かし)っぷち。
 
いづこの塾の女生徒か(おお、いたはしや)
大抵はもう、冬支度(ふゆじたく)、マフを抱(かゝ)へて有(も)つてるに、
 
唯ひとり、毛の襟卷もマフも無く
鼠の服でしよんぼりと足を引摺(ひきず)るいぢらしさ。
 
おやおや、列を離れたぞ、変だな。
それ駆出(かけだ)した、これ、これ、ど、ど、どうしたんだ。
 
身を投げた、身を投げた。大変、大変、
ああ船が無い、しまつた、救助犬(きうじよいぬ)も居ないのか。
 
日が暮れる、向の揚場(あげば)に火がついた。
悲しい悲しい火がついた。(尤もよくある書割(かきわり)さ!)
 
じめじめと川もびっしより濡れるほど
しとしとと、訳もなく、無意味の雨が降る、雨が降る。
 
 
 ◇
 
日曜日
 
日曜日には、ゆかりある
阿(ちきやうだい)の名誦(なよ)みあげて
珠数(じゆず)爪繰(つまぐ)るを常(つね)とする。
 
オルフェエよ、若きオルフェエ、
アルフェエ川の夕波に
轟きわたる踏歌(たふか)の声……
 
パルシファル、パルシファル、
おほ禍(まが)つびの城壁(じやうへき)に
白妙(しろたへ)清き旗じるし……
 
プロメテエ、プロメテエ、
不信心者(ふしんじんしや)の百代(ひやくだい)が
口伝(くちづて)にする合言葉(あひことば)……
 
ナビュコドノソル皇帝は
金(きん)の時代の荒御魂(あらみたま)、
今なほこれらを領(りやう)するか……
 
さて、つぎに厄娃(えわ)の女(むすめ)たち、
われらと同じ運命の
乳に育つた姉妹(あねいもと)……
 
サロメ、サロメ、
恋のおほくが眠つてる
蘭麝(らんじや)に馨(かを)る石の唐櫃(からうど)……
 
オフェリイ姫はなつかしや、
この夏の夜(よ)に来たまはば
人雑(ひとまぜ)もせず語(かた)らはう……
 
サラムボオ、サラムボオ、
墓場の石にさしかゝる
清い暈(かさ)きた月あかり……
 
おほがらの后(きさき)メッサリイヌよ、
紗(しや)の薄衣(うすぎぬ)を掻(か)きなでて、
足音(あしおと)ぬすむ豹の媚(こび)……
 
おお、いたいけなサンドリヨン、
蟋蟀(こほろぎ)も来(こ)ぬ炉のそばで、
裂(き)れた靴下(くつした)縫つてゐる……
 
またポオル、 ルジニイ、
殖民領(しよくみんりやう)の空のもと
さても似合(にあひ)の女夫雛(めをとびな)……
 
プシケエよ、ふはり、ふはりと
罪(つみ)の燐火(おにび)に燃えあがり、
消えはしまいか、気にかかる……
 
 
 
 
 
 
 

ラフォルグ<8>上田敏「牧羊神」から・続

矢野峰人による
「牧羊神」の解説中の
上田敏訳のヴェルハーレン「悲哀」の引用は、
 
 権衡を知らずゆくりなき冒険を喜び、雑駁を嗜む趣味があるに於て、ラフォルグはコルビエルと旗幟を同うすれど、たゞ、しかく狂暴の乱なし。天性やや巫蠱の俤あれど思想の深遠なるを珍とす。心を独逸の理想説に浸してカント、フィヒテの遵勁荘厳なる学説を味へり。詩風やや蕪雑にして彫鏤の痕なく所謂一気呵成の趣あるが為めに哲学のこちたき術語を詩歌に挿みて甚しく人耳を聳動せざりしこそ騒客群中独特の長なりけれ。之を要するに彼は終に療す可からず。心くねり情倦じたる一介の驕児にして悲哀を視ること諧謔の如く、之を掌上に翻弄して得得たり。
 コルビエル、ラフォルグに於て、精神の擾乱は怡然たる穉気と共に並びぬ。抑ふべからざる仏蘭西気質は、破壁に匂ふ野花の如く形美しく色艶に香たとへなし。
 
で終わり、
トリスタン・コルビエルと
ジュル・ラフォルグの項に代えられます。
 
漢籍の素養がなければ
文学の創造に関わることが難しく
鑑賞することさえできるものではなく
漢語漢文まじり文語荘重体で
西欧・英米の文化文芸の動向なども
案内されるのが普通だった時代の
手本のような記述ですが
時の文学青年や学生や読書家や研究者さえもが
このような文章を貪るように読んでいたのでしょうか。
 
という問いは
中原中也も
このような文章と
日常的に接触していたのでしょうか
と問い返すことにつながってゆきます。
 
2011年現在、
「上田敏全訳詩集」は
矢野峰人と山内義雄の共同編集になっていますが
「牧羊神」に付されていた解説は削除され
新たに
昭和37年(1962年)10月の日付入りで
両人の連名による解説が掲出されています
 
その、ラフォルグの項は
簡約化され
 
ジュル・ラフォルグ(Jules Laforgue,1860-1887) 近代フランス詩界に於ける「自由詩」創始者の一人。(彼をしてその「創始者」と為(な)す人があるが、問題はまだそこまでは解決されていないので、一応の注意が必要だろ)。その詩に横溢(おういつ)するアイロニイは、特に英米近代詩人の共鳴を買い、その結果、現代にいたって大に珍重されることとなった。
 
と変更され
代わりに
訳出された7作品の初出を明らかにしています。
 
コルビエルと
ひとまとめになったような旧解説以後
研究が進んだための変更のようです。
 
この「上田敏全訳詩集」で特筆されるべきいくつかの事柄は
新たな解説の中に
記されていますが
中原中也に関わる最大のニュースは
ランボオの「酔ひどれ船」の訳出が
未定稿ながら収録されたことにあります。
 
(つづく)
 
 
 *
月光
          ジュル・ラフォルグ
 
とてもあの星には住まへないよ思ふと、
まるで鳩尾(みづおち)でも、どやされたやうだ。
 
ああ月は美しいな、あのしんとした中空(なかぞら)を
夏八月(なつはちぐわつ)の良夜(あたらよ)に乗(の)つきつて。
 
帆柱(ほばしら)なんぞはうつちやつて、ふらりふらりと
転(こ)けてゆく、雲のまつ黒(くろ)けの崖下(がけした)を。
 
ああ往(い)つてみたいな、無暗(むやみ)に往(い)つてみたいな、
尊(たふと)いあすこの水盤(すいばん)へ乗(の)つてみたなら嘸(さぞ)よからう。
 
お月(つき)さまは盲(めくら)だ、険難至極(けんのんしごく)な燈台だ。
哀れなる哉(かな)、イカルスが幾人(いくたり)も来ておつこちる。
 
自殺者の眼のやうに、死(あが)つてござるお月様、
吾等疲労者大会の議長の席につきたまへ。
 
冷たい頭脳で遠慮無く散々(さんざん)貶(けな)して貰(もら)ひませう、
とても癒(なほ)らぬ官僚主義で、つるつる禿(は)げた凡骨(ぼんこつ)を。
 
これが最後の睡眠剤か、どれひとつその丸薬(ぐわんやく)を
どうか世間の石頭(いしあたま)へも頒(わ)けて呑(の)ませてやりたいものだ。
 
どりや袍(うわぎ)を甲斐甲斐(かひがひ)しくも、きりりと羽織(はお)つたお月さま、
愛の冷えきつた世でござる、何卒(なにとぞ)箙(えびら)の矢をとつて、
 
よつぴき引いて、ひようと放(う)ち、この世の住まふ翅無(はねなし)の
人間どもの心中(しんちゅう9に情(なさけ)の種(たね)を植えたまへ。
 
大洪水(だいこうずい)に洗はれて、さっぱりとしたお月さま、
解熱(げねつ)の効(かう)あるその光、今夜(こんや)ここへもさして来て、
 
寝台(ねだい)に一杯(いつぱい)漲(みなぎ)れよ、さるほどに小生も
この浮世から手を洗ふべく候(さふらふ)。
 
(岩波文庫「上田敏全訳詩集」より)※新漢字を使用しています(編者)
 
 
 
 
 
 
 
 

ラフォルグ<7>上田敏「牧羊神」から

ジュール・ラフォルグは
どんな詩人だったのかと
それも
昭和初期に
どのように紹介されていたのだろうかと
探してみるのですが
「表徴派の文学運動」(アーサー・シモンズ、岩野泡鳴訳)とか
「信天翁の眼玉」(辰野隆、鈴木信太郎共著)や、
「近代仏蘭西象徴詩抄」(鈴木信太郎著)……などは
文庫本で読めるというわけではなく
いまだに
専門家、研究者、学者、好事家らにしか手の届かない
「高嶺の花」の状態で唖然とせざるを得ませんが
それらしきものが一つ。
 
新潮文庫の古書に
昭和28年(1953年)3月発行の「牧羊神」があり
これは
現在の岩波文庫「上田敏全訳詩集」(山内義雄、矢野峰人編)の
「前身」であろうと思われますが
この中の解説を
1952年(昭和27年)11月の日付で
矢野峰人が書いていまして
上田敏の業績のアウトラインが記されています。
 
この解説中に
ラフォルグに関するくだりがありますが
それは
上田敏が明治30年に訳出した
エミール・ヴェルハーレンの「悲哀」を引用する中のことになります。
 
上田敏訳のヴェルハーレン「悲哀」を
中原中也が読んだというものでもないのですが
(読んだかもしれませんが確定できるものでもありません)
漢文調の文語荘重体というのでしょうか
文学の言葉がこのようなものであったということを
知っていても無駄ではなさそうでもあるし
ここでこの解説の一部を読んでみます。
 
矢野峰人の解説は
トリスタン・コルビエルを案内する中で
ラフォルグにも触れ、
「悲哀」を引用しているのです。
(原文は、旧漢字・歴史的仮名遣いで表記されていますが新漢字に改めました。編者)
 
「(略)仏蘭西最近の哀観詩人、トリスタン・コルビエル、ジュル・ラフォルグは(既に没せし人のみを挙ぐれば)鬱憂の情緒に鋭利の刃を加へたり。大胆なる詩律の革新を道破して、微妙(いみ)じき成功ありしと共に根本の愁思を冷誚の文字に行りぬ。されば其最も侘しき歌を貫きて、怪しき歓、うれたき戯の走れるを覚ゆ。怜悧、人に秀れたる涙の市を、仏蘭西詩文に輸入したるは彼等なり。(略)」
 
そして
ジュル・ラフォルグの項で
 
象徴派に属するフランス詩人、その詩風は儕輩と大に趣を異にし、真の意味のユーモアとペイソスとに富み、繊細なる神経と複雑なる心理との泣き笑の状態を示す。また、フランス詩壇に於ける自由詩の開拓者としての功績も大きい。
 
と概括したあとで
「悲哀」からの引用を続けます。
 
 

ラフォルグ<6>辰野隆、鈴木信太郎

「レコード芸術」2011年7月号の
「特集・吉田秀和」の「インタヴュー1」は
「回想の1913〜1945年 誕生から終戦まで」として
吉田さんの誕生から青春時代へ
そして音楽評論家として出発する戦後までが
聞き手である音楽学者・白石美雪の問いに答えて
克明に語られています。
 
その中で
音楽の道へ進むことになる
決定的な言葉を投げかけたのが
中原中也だった、という
これはよく話されたり
書かれたりするエピソードを語るのですが
当然、中原中也が親しく交流していた
音楽集団「スルヤ」の話になり
そこで
諸井三郎というよりも
内海誓一郎に楽理を学ぶように、と
言われたことを明かします。
 
それを語るくだりを、抜粋引用しますと
 
白石 では、先生が和声学や楽典を勉強されたのは大学に入ってから?
吉田 いえ、勉強を始めたのは高校生の時です。中原中也という男と知り合いになったのですが、ある時中原が「お前、そんなに音楽をやりたいんだったら、少し楽理ってのを勉強しろ。学校がだめなら個人教授を受ければいいじゃないか。諸井三郎のところに行くのもいいけど、あいつはこの頃モダニストになって少し浮かれているから、もう少し確実なところから勉強したほうがいいんじゃないか。諸井と一緒にスルヤをやっていた内海誓一郎のところへ行って和声学を習ったらどうか」という。そして中原が内海誓一郎のところへ連れていってくれて「こいつが音楽をやりたいというんで、ちょっと見てやってくれないか」なんてことになった。で、僕は彼に和声学を習いました。
 
となり、
このあと
富永太郎の詩に
吉田さんが作曲した! などという
びっくり仰天の秘話なども
初公開されるのですが
次の
 
白石 大学に入ってから、音楽の勉強はどうされたのですか。
吉田 大学にはあまり行きませんでした。ただ、辰野隆先生の講義と、鈴木信太郎先生のフランス語の詩の講義は聞きました。
白石 では、普段は何をしていらしたのでしょうか。
吉田 つまらない音楽の本を一生懸命読んだり(笑)、和声の勉強をしたり、詩人の吉田一穂とか中原中也とかに会ったり、そういうことをしていました。(略)
 
というあたり。
この、辰野隆、鈴木信太郎の両先生が登場するあたりが
当時の東大フランス文学科の人気ぶりを
垣間見せてくれるところで
中原中也も
辰野・鈴木両先生の講義を
自主聴講する学外生だったわけですから
吉田さんとここで出くわすというようなこともあったのかなあ、と
このインタビューでは語られなかった場面を
想像してみたりします。
 
 
 
 
 

ラフォルグ<5>牧羊神、月下の一群

ラフォルグの詩が紹介されたのは
上田敏による訳詩集「牧羊神」が
初めてであろうと思われますが
「牧羊神」が出版されたのは
大正9年10月でした。
 
この中に
「お月様のなげきぶし」以下
「月光」
「ピエロオの詞」
「月の出前の対話」
「冬が来る」
「日曜」
「日曜日」の7篇が収められていますから
中原中也は
これらの訳詩を容易に読むことができました。
 
ほかには
堀口大学の「月下の一群」が
大正14年(1925年)9月に発行されていますから
この中にも
ジュール・ラフォルグの
「新月の連祷」
「最後の一つ手前の言葉」
「ピエロの言葉」
「五分間写生」の4作品があり
これらも容易に読むことができましたから
かなり頻繁に紐解いたことが想像されます。
 
このほかに
小林秀雄や富永太郎をはじめ
東大仏文科の学生とか
「白痴群」同人からとか
今日出海とか古谷綱武とか
中村光夫や佐藤正彰や大岡昇平ら
文学仲間とか
三好達治や高橋新吉や
高田博厚とか……
 
ときには
仏文科の教官、辰野隆(たつのゆたか)や
鈴木信太郎の授業への
「自主聴講」を通じてとか
大正2年発行の
アーサー・シモンズ「表象派の文学運動」(岩野泡鳴訳)や、
大正11年に発刊された
辰野隆と鈴木信太郎の共著「信天翁の眼玉」や、
大正13年発行の鈴木信太郎「近代仏蘭西象徴詩抄」を読んだり、
辰野隆には直接住まいを訪問して
フランス文学の動向などを聞いたりもしたようですから
その話の中で
ラフォルグに関しての情報を得ていたことなど
二人の会話の場面が彷彿としてきます。
 
と、ここまで書いたところで
「レコード芸術」7月号の
「吉田秀和インタビュー」で
このあたりに繋がる発言がありますから
紹介しておくことにします。
 
(つづく)
 
 *
でぶっちょの子供の歌へる
 
          ジュール・ラフォルグ
 
お亡くなりになつたのは
心臓病でです、お医者は僕にさう云つたけが、
   ティル ラン レール!
   気の毒なママ。
僕もあの世に行つてしまはう、
ママと一緒にねんねをするんだ。
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
往来で、みんなは僕を嗤(わら)ふんだ、
僕の様子が可笑しんだつて
   ラ イ トウ!
   知るもんか。
あゝ! でも一歩(ひとあし)あるくたんびに
息は切れるし、よろよろもする!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
それで野原に僕は行くんだ
夕陽が見えると泣けて来るんだ 
   ラ リ レット!
   泣けてくるんだ。
よく知らないけど、だつて夕陽は
流れる心臓みたいぢやないか!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
あゝ! もし可愛いいジュヌヴィエーヴが
この心臓をお呉れといつたら、
   ピ ル イ!
   あいよだ!
僕は黄色で悲しげなんだ!
彼女は薔薇色、おまけに陽気さ!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
 
だいたいみんなが意地悪過ぎらあ、
夕陽を除(ど)けたらみんな意地悪だ、
   ティル ラン レール!
夕陽とママと、
僕もあの世に行つてしまはう
ママと一緒にねんねをするんだ……
ホラ、ね、ホラ、ホラ、僕の心臓……
ね、ママ、僕を呼んでるのでせう?
 
(「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫より

ラフォルグ<4>はかない茶番

「でぶっちょの子供の歌へる」は
中原中也の面目躍如といった感じの作品で
幼児を主語にした内容もピタリ
ルフラン(繰り返し)や
呪文のようなオノマトペのような
ラ リ レット!といったセリフも
まるで
中原中也の世界のようで
翻訳とは思えないほどですし
 
ホラ、ね、鳴ってら、僕の心臓
 
このフレーズは
 
ホラホラ、これが僕の骨だ
(「骨」)
 
に、一直線に繋がっていくようで
わくわくドキドキしてきてしまいますね。
 
立ち止まってじっくり味わいたいのですが
それは
もう少しラフォルグの全体像を
つかんでからということにします。
 
「謝肉祭の夜」、
「でぶっちょの子供の歌へる」の次は
「はかない茶番」。
この3作品は
「地球のすすり泣き」のタイトルで
ひとまとめにされる計画のあった
ラフォルグ初期の詩群の一つ。
 
原作品は
12音節詩句=アレクサンドランで作られた
ソネットということです。
(以上、新全集第3巻翻訳 解題篇より)
 
とにかく
作品を読んでみます。
 
(つづく)
 
 *
はかない茶番
 
          ジュール・ラフォルグ
 
バベルを幾つ集めても、威張つた所で泣いた所で、
人間という夢想家は、一小世界の蛆虫(うじむし)と、
とくと考へみるほどに、あんまし滑稽で仕方がない、
いくら考へ直してみても、いつも結局おなじこと。
 
それ劫初、涯なき海が造られてより、
天辺は、いつも変らぬ無辺際、
恒星は、続々々々繁殖し、その各々が
人畜棲息の惑星を、夫々引率れてゐるといふわけ……
 
いやはや言語道断な! これではあんまり可笑(おか)しくて!
と、不感無覚の空にむけ、俺は拳固を振上げた!
空の奴、随分俺を騙(だま)しをつたな?
 
誤魔化したつて知つてるぞ、我が此の地球は、
壮観な、宇宙讃歌(ホザナ・ホザナ)のその中で、
茶番の掛かる、たかゞ芝居の小屋ではないか。
 
(「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫より)
 
 
 
 
 
 
 
 

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