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夜更の雨/ベルレーヌへの途上で

夜更の雨/ベルレーヌへの途上で<12>「舎密(せいみ)」に息を吹き込む中也

上田敏訳の「お月様のなげきぶし」を
中原中也が読んで
「夜更の雨」を作るときに参考にして
新たに魂を吹き込んで使ったということは
だれも断言できないことですが
 
上田敏が「宇宙の舎密(せいみ)が鳴るのでせう。」と訳し
中原中也が「遐(とほ)くの 方では 舎密(せいみ)も 鳴つてる。」
と歌っているところからすれば
両者の類似は疑いようになく
参照した可能性はかなり高いといえそうです。
 
宇宙・舎密(せいみ)・鳴る
遠くの方・舎密(せいみ)・鳴ってる
へと
相似的ながらデフォルメされるのですが
なんといっても
中原中也のフレーズは
 
酒場の 軒燈(あかり)の 腐つた 眼玉よ、
  遐(とほ)くの 方では 舎密(せいみ)も 鳴つてる。
 
の2行が対になり
一体のものですし
「ヱ゛ルレーヌの面影」というテーマの詩の中の
最終行であるというところに
注目しなければなりません。
 
たとえ
上田敏の訳詩を参照したとしても
ここに
中原中也が躍動していますし
舎密(=セイミ)は
「お月様のなげきぶし」の舎密を飲み込んでしまう勢いで
意味するところにも
中原中也の詩心が吹き込まれています。
 
「夜更の雨」で
中原中也は
雨に打たれて路次を行く
落魄のベルレーヌに成り変り
酒場のネオンサインの
腐った目玉や
遠くの空で鳴りはじめた
イカズチ(雷)のドラミングを
迎え入れようとしているのです。
 
 ◇
 
お月様のなげきぶし    
            ジュル・ラフォルグ
 
星の声がする
 
  膝の上、
  天道様の膝の上、
踊るは、をどるは、
  膝の上、
  天道様の膝の上、
星の踊のひとをどり。
 
――もうし、もうし、お月様、
そんなに、つんとあそばすな。
をどりの組へおはひりな。
金の頸環(くびわ)をまゐらせう。
 
おや、まあ、いつそ有難(ありがた)い
思召(おぼしめし)だが、わたしには
お姉様(あねえさま)のくだすつた
これ、このメダルで沢山よ。
 
――ふふん、地球なんざあ、いけ好(すか)ない、
ありやあ、思想の台(だい)ですよ。
それよか、もつと歴(れき)とした
立派な星がたんとある。
 
――もう、もう、これで沢山よ、
おや、どこやらで声がする。
――なに、そりや何(なに)かのききちがひ。
宇宙の舎密(せいみ)が鳴るのでせう。
 
――口のわるい人たちだ、
わたしや、よつぴて起きてよ。
お引摺(ひきずり)のお転婆(てんば)さん、
夜遊(よあそび)にでもいつといで。
 
――こまつちやくれた尼(あま)つちよめ、
へへへのへ、のんだくれの御本尊(ごほんぞん)、
掏摸(すり)の狗(いぬ)のお守番(もりばん)、
猫の恋のなかうど、
あばよ、さばよ。
 
衆星退場。静寂と月光。遥かに声。
  はてしらぬ
  空(そら)の天井(てんじょ)のその下(した)で、
踊るは、をどるは、
  はてしらぬ
  空(そら)の天井(てんじょ)のその下(した)で、
星の踊をひとをどり。

夜更の雨/ベルレーヌへの途上で<11>上田敏訳のラフォルグ「お月様のなげきぶし」

ジュル・ラフォルグとは
どんな詩人かなどとは
とりあえず問わないことにして
上田敏が「お月様のなげきぶし」の中で
「舎密=せいみ」をどのように使っているか――
 
その点に集中して
この詩をもう少しじっくり読んでみれば
 
どうやら
群れて踊っている星々が
孤独を装って澄ましている月を
踊りの輪の中に入れようとして
もし輪の中に入れば金の首輪を差し上げようと
誘うのだが
 
月は
ありがたいお誘いですが
わたしは
姉さんである太陽がくださった
地球だけで十分ですよ、と
やんわり断るのに対して
 
地球なんてのは
なんといけ好かない
思想の台にしか過ぎないものに
ぞっこんなんですね
もっとれっきとして立派な星が
いっぱいあるのにねえと
星々は恨みがましがります
 
いや、もうけっこう
これでたくさん、と月が言ったところで
どこからか、だれかの声がするのを聞くのですが
そう言った月を言いくるめるように
 
なにそりゃ、なんかの聞き違い
宇宙の舎密(せいみ)が鳴るのでせう。
 
と、それは聞き耳を立てるほどのものではなく
宇宙の塵(ちり)か何か
それは、雷のようなものかが
鳴っているのでしょうよ
と、そんなものに気をとられずに
さ、さ、踊りましょう
(以下略)
 
などと会話する場面で
使われているのです。
 
月と星と太陽が
それぞれ象徴する存在と
そのやりとりの意味を考究すれば
この詩をもっと深く理解するのかもしれませんが
衆に頼んで踊りを楽しむ星々と
つんと澄ました月との
おもしろくおかしく
機知に富んだやりとりが楽しめて
月の嘆きに多少なりとも感応できれば
この詩の近くにいるんじゃないでしょうか
 
問題は
舎密=せいみ=Chemie=化学です。
中原中也の
 
酒場の 軒燈(あかり)の 腐つた 眼玉よ、
  遐(とほ)くの 方では 舎密(せいみ)も 鳴つてる。
 
この2行です。
 
(つづく)
 
 ◇
 
お月様のなげきぶし    
            ジュル・ラフォルグ
 
星の声がする
 
  膝の上、
  天道様の膝の上、
踊るは、をどるは、
  膝の上、
  天道様の膝の上、
星の踊のひとをどり。
 
――もうし、もうし、お月様、
そんなに、つんとあそばすな。
をどりの組へおはひりな。
金の頸環(くびわ)をまゐらせう。
 
おや、まあ、いつそ有難(ありがた)い
思召(おぼしめし)だが、わたしには
お姉様(あねえさま)のくだすつた
これ、このメダルで沢山よ。
 
――ふふん、地球なんざあ、いけ好(すか)ない、
ありやあ、思想の台(だい)ですよ。
それよか、もつと歴(れき)とした
立派な星がたんとある。
 
――もう、もう、これで沢山よ、
おや、どこやらで声がする。
――なに、そりや何(なに)かのききちがひ。
宇宙の舎密(せいみ)が鳴るのでせう。
 
――口のわるい人たちだ、
わたしや、よつぴて起きてよ。
お引摺(ひきずり)のお転婆(てんば)さん、
夜遊(よあそび)にでもいつといで。
 
――こまつちやくれた尼(あま)つちよめ、
へへへのへ、のんだくれの御本尊(ごほんぞん)、
掏摸(すり)の狗(いぬ)のお守番(もりばん)、
猫の恋のなかうど、
あばよ、さばよ。
 
衆星退場。静寂と月光。遥かに声。
  はてしらぬ
  空(そら)の天井(てんじょ)のその下(した)で、
踊るは、をどるは、
  はてしらぬ
  空(そら)の天井(てんじょ)のその下(した)で、
星の踊をひとをどり。
 
 *
 夜更の雨
 
――ヱ゛ルレーヌの面影――
 
雨は 今宵も 昔 ながらに、
  昔 ながらの 唄を うたつてる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。
 と、見るヱ゛ル氏の あの図体(づうたい)が、
倉庫の 間の 路次を ゆくのだ。
 
倉庫の 間にや 護謨合羽(かつぱ)の 反射(ひかり)だ。
  それから 泥炭の しみたれた 巫戯(ふざ)けだ。
さてこの 路次を 抜けさへ したらば、
  抜けさへ したらと ほのかな のぞみだ……
いやはや のぞみにや 相違も あるまい?
 
自動車 なんぞに 用事は ないぞ、
  あかるい 外燈(ひ)なぞは なほの ことだ。
酒場の 軒燈(あかり)の 腐つた 眼玉よ、
  遐(とほ)くの 方では 舎密(せいみ)も 鳴つてる。
 
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
 

夜更の雨/ベルレーヌへの途上で<10>ラフォルグ翻訳のかすかな反響

「夜更の雨」は
最終行
 
酒場の 軒燈(あかり)の 腐つた 眼玉よ、
  遐(とほ)くの 方では 舎密(せいみ)も 鳴つてる。
 
という、この2行にきて
それまで詩の大まかな流れを掴んだのだから
その流れの中で解釈すればいいものを
「腐った目玉」と
「舎密(せいみ)」で
立ち往生してしまう人が続出だとか。
 
ここは
深く考えるのではなくて
詩の醍醐味を味わうつもりで
想像力をフル動員して
詩句を味わうのが一番です。
旨いかまずいかなんて
だれも
教えてはくれません。
 
舎密を「せいみ」と読むのは
オランダ語で「化学」を意味するChemieの
発音をそのままひらがなで表記したものと
角川新全集などの解説書が指摘して
ジュル・ラフォルグの詩
「お月様のなげきぶし」の上田敏訳の一部を
使用例として掲出していますから
ここでは
その全行を見ておくことにします。
 
今、手元にあるのは
昭和28年3月15日発行の「牧羊神」(新潮文庫)ですから
旧漢字、歴史的仮名遣いですが
ここに引用するに当たっては
新漢字に直しました。
 
 ◇
 
お月様のなげきぶし
           ジュル・ラフォルグ
 
星の声がする
 
  膝の上、
  天道様の膝の上、
踊るは、をどるは、
  膝の上、
  天道様の膝の上、
星の踊のひとをどり。
 
――もうし、もうし、お月様、
そんなに、つんとあそばすな。
をどりの組へおはひりな。
金の頸環(くびわ)をまゐらせう。
 
おや、まあ、いつそ有難(ありがた)い
思召(おぼしめし)だが、わたしには
お姉様(あねえさま)のくだすつた
これ、このメダルで沢山よ。
 
――ふふん、地球なんざあ、いけ好(すか)ない、
ありやあ、思想の台(だい)ですよ。
それよか、もつと歴(れき)とした
立派な星がたんとある。
 
――もう、もう、これで沢山よ、
おや、どこやらで声がする。
――なに、そりや何(なに)かのききちがひ。
宇宙の舎密(せいみ)が鳴るのでせう。
 
――口のわるい人たちだ、
わたしや、よつぴて起きてよ。
お引摺(ひきずり)のお転婆(てんば)さん、
夜遊(よあそび)にでもいつといで。
 
――こまつちやくれた尼(あま)つちよめ、
へへへのへ、のんだくれの御本尊(ごほんぞん)、
掏摸(すり)の狗(いぬ)のお守番(もりばん)、
猫の恋のなかうど、
あばよ、さばよ。
 
衆星退場。静寂と月光。遥かに声。
  はてしらぬ
  空(そら)の天井(てんじょ)のその下(した)で、
踊るは、をどるは、
  はてしらぬ
  空(そら)の天井(てんじょ)のその下(した)で、
星の踊をひとをどり。
 

夜更の雨/ベルレーヌへの途上で<9>中也が歌う「雨の中のベルレーヌ」

「夜更の雨」は
 
――ヱ゛ルレーヌの面影――
 
と副題(エピグラフではなく)を置いて
冒頭行からして
 
雨は 今宵も 昔 ながらに、
  昔 ながらの 唄を うたつてる。
 
と、雨を歌いだし
その雨が歌う歌を歌いだします。
 
中原中也が
いま眼前に見ている雨は
(想像の中の雨でもよいのですが)
ヴェルレーヌが歌った雨であり
ヴェルレーヌが歌った雨は
ランボーの思い出を歌った雨でもあります。
 
その雨は
ランボーが
雨はしとしと市(まち)にふる。
と、歌うように
だらだら だらだら しつこいほどなのです。
 
だらだらだらだらしつこい雨が降っているのを
ぼーっとして詩人が眺めいっていると
ふっとヴェルレーヌの巨漢が
背中を見せて路次を行くのが
見えたのです。
 
倉庫は
横浜の埠頭のものでしょうか
それとも
銀座か新宿あたりの路地裏の倉庫でしょうか
 
路次を行くのは
ヴェルレーヌ一人で
ランボーの影は見えませんから
このヴェルレーヌのイメージは
マッチルドと離婚し
ランボーとも破局し
孤独な旅を行く
エトランゼのヴェルレーヌでしょうか
 
中原中也は
明らかに
孤影を帯びたヴェルレーヌに寄り添い
無一物のヴェルレーヌに仮託して
いつしか自らも
倉庫の間の路次を行きます
 
この路次を抜けさえすれば……と
そうたやすくは抜けられないことが分かっている雨の道を
シャンソンの一つ嘯(うそぶ)く勢いで
ヱ゛ル氏に成り代わり
また詩人自らを
鼓舞(こぶ)する啖呵(たんか)を切ってみせるのです
 
いくら速いからって車なんぞに用事はないよ
どんだけ明るいからってガス燈なんかも要るもんか
 
俺にゃあ
酒場の灯りの、あの腐った目玉よ
ほら、あっちのほうでは、セイミも鳴ってらあ
 

夜更の雨/ベルレーヌへの途上で<8>ベルレーヌ「凄絶、孤独の晩年」

ヴェルレーヌとランボーの「愛の物語」は
1871年9月ランボーからの第一信にはじまり
10月の初対面から
1873年7月の発砲事件まで
2年に満たない期間のものでした。
 
ヴェルレーヌは27歳から28歳という年齢で
ランボーより丁度10歳年上でした。
 
無一物になったヴェルレーヌは
その後、再びマッチルドとの和解を試みたり
ランボーとの復旧を試みたりしますが
いずれも失敗。
 
詩人との交友を広げたり
教職に就いたり
生徒の一人に愛情を抱いたり
農園を営んだり
母親に加害し下獄したり
……
相変わらずのデカダンで
ボヘミアンで
アウトローで
波乱万丈な暮らしを続けているうちに
病(=関節水腫)を得て
各地での施療を繰り返すなど
凄絶(せいぜつ)ともいえる孤独の旅を続け
……
一方で
詩人としての名声を高め
何冊かの詩集を世に問いましたが
1896年(明治29年)、
52歳で生涯を閉じました。
ブリュッセル発砲事件から
20余年の歳月が流れていました。
 
以上が
ヴェルレーヌの生涯のアウトラインです。
あくまでアウトラインですから
事象と事象との間には
無数の時間が流れていたことを想像する必要があります。
「ヴェルレーヌ詩集」(堀口大学訳、新潮文庫)には
所収の年譜がありますから
それで補足するのもよいでしょうし
もっと詳しくヴェルレーヌについて知りたいのなら
研究書、参考書にあたるのもよいでしょう。
ランボーについても
同じことを言っておきましょう。
 
さて
長い寄り道をしたようですが
中原中也の詩「夜更の雨」に戻ります。
 
この詩のサブタイトルに
――ヱ゛ルレーヌの面影――
とあるのが
まさしくヴェルレーヌのことです。
 
中原中也は
ヴェルレーヌの生涯の
どれほどのことを知って
この詩を作ったのでしょうか
 
 
 *
 夜更の雨
 
――ヱ゛ルレーヌの面影――
 
雨は 今宵も 昔 ながらに、
  昔 ながらの 唄を うたつてる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。
 と、見るヱ゛ル氏の あの図体(づうたい)が、
倉庫の 間の 路次を ゆくのだ。
 
倉庫の 間にや 護謨合羽(かつぱ)の 反射(ひかり)だ。
  それから 泥炭の しみたれた 巫戯(ふざ)けだ。
さてこの 路次を 抜けさへ したらば、
  抜けさへ したらと ほのかな のぞみだ……
いやはや のぞみにや 相違も あるまい?
 
自動車 なんぞに 用事は ないぞ、
  あかるい 外燈(ひ)なぞは なほの ことだ。
酒場の 軒燈(あかり)の 腐つた 眼玉よ、
  遐(とほ)くの 方では 舎密(せいみ)も 鳴つてる。
 
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

夜更の雨/ベルレーヌへの途上で<7>ベルレーヌとランボー「発砲事件そして服役へ」

ベルギーの首都ブリュッセルの
街中で真っ昼間
拳銃2発
パンパン……。
 
撃ったのはヴェルレーヌ
手首に銃弾を受けたのはランボー……。
 
堀口大学は
簡潔平易に
名高い事件を描写します。
 
いよいよ、愛想をつかせて、逃げ出すランボーを、海を越えてベルギーの首都ブリュッ
セルに追いすがり、引き留めようと嘆願するが、頑固(がんこ)な少年は拒みつづける。
酔いに乗じてヴェルレーヌは、往来なかで昼ひなか、拳銃二発を発射、ランボーの手
首に負傷させ、ただちに現行犯として捕らえられ、裁判の結果、18ヵ月をモンス刑務
所の独房で服役することになる。
(「ヴェルレーヌ詩集」堀口大学訳、新潮文庫より)
 
この独房で
放浪期間中に書き継いだ草稿を
整理し編集し完成した作品が
「無言の歌」です。
 
この独房で四壁の間に見出(みいだ)した強いられた平和に支(ささ)えられ、過ぎた
放浪生活中の作品を整理編集して成ったのが詩集「無言の恋歌」である。彼はまた、
この在監中に、かねて妻マッティルドが夫ヴェルレーヌの重なる非行を理由に、申請
していた離婚の訴えが正式に受理されたとの報知を受けるが、その時受けたショック
の大きさを、後年「告白録」中に、「みすぼらしいベッドの上に、哀れな背中の上に、落
ちるようにくずおれた」と、誌(しる)している。
(同書)
 
「無言の恋歌」を
完成させる過程で
妻マッチルドから出されていた
離婚の訴えが成立し
ヴェルレーヌに
失うものは無くなりました。

夜更の雨/ベルレーヌへの途上で<6>ベルレーヌとランボー「ベルギー&ロンドン放浪」

見知らぬ少年から送られてきた詩を読んで
そのただならぬ詩に感銘したヴェルレーヌは
すぐさま返信し
一刻も早い来訪を望んだところ
まもなくシャルルビルの田舎から
パリにやってきたランボーと
初めて対面します。
 
少年詩人ランボーの詩「酔いどれ船」に
感銘を受けたばかりのヴェルレーヌは
今度は
少年の姿形、立ち居振る舞いの
何もかもがずば抜けた天才ぶりに圧倒され
言われるままに
二人して放浪の旅に出ることになります。
 
堀口大学のとらえた「ヴェルレーヌ&ランボー物語」を
もう少し読んでみましょう。
 
二人がまず向かったのは
ベルギー。
といっても特別な目的があるわけではなく
はじめのうちこそ
雲が流れるのに似た
自由気ままな旅でした。
 
ふたりは連れ立ってベルギー国内を歩きまわる、毎日、行く先々で、見物をしたり酒場女にたわむれたりの、たわいもない呑気(のんき)な放浪ぶりは詩集「無言の恋歌」の「ベルギー風景」の章にうかがえる。ふたりはやがて、やぼなベルギーに飽きると、気まぐれにアンベルスから乗船、イギリスへ渡る気になる。「18時間の手頃な海上散策、楽しい脱走、言いようもなく美しい旅行だった」と、ロンドンへ着くとヴェルレーヌはパリの友人に書き送っている。そして次の便(たよ)りには、英京ロンドンにおけるふたりの生活の模様をわずかながら洩らした上で、食わんがためにやむなく、フランス語の教授をしている由を告げている。
(「ヴェルレーヌ詩集」堀口大学訳、新潮文庫より)
 
ヴェルレーヌの懐具合(ふところぐあい)がおかしくなると
二人の間にも秋風が吹きはじめます。
 
イギリスにおけるふたり水入らずの生活も、次第に経済的に行きづまり、ヴェルレーヌが個人教授で得る収入をあてにしなくてはならないまでになるが、地上の悦楽だけで満足しきっているヴェルレーヌに対し、夢想の高きに憧(あこが)れ、絶えず何ものかに追い立てられ、落ち着くことを知らないランボーは、もどかしさを感じだし、1873年春の頃には、ぽつぽつ別れ話が出るまでになったが、そうなると、パリに残した妻子に対する思慕の情が新たに心の底に湧(わ)いたりもするヴェルレーヌだった。そのくせまた、一方では、この底知れぬ魅力を備えた鼓舞者ランボーに去られたのでは、生きる力も尽き果てそうな不安もあり、一歩前進二歩後退の状態が続いていた。
(同書)
 
やがて
ランボーは遁走し
ヴェルレーヌが追いかけて
発砲事件に至ります
……。

夜更の雨/ベルレーヌへの途上で<5>ベルレーヌとランボー「放浪から破局まで」

謎のようなこの少年は、当時17歳だった。
 
堀口大学は
ベルレーヌとランボーとの
出会い〜放浪〜破局の物語を
こう書き出し、次のように続けます。
 
ヴェルレーヌは悦(よろこ)び迎えると、そのまま自室にとめ置いた。傲慢で粗野、人を人とも思わぬランボーの行動は、ヴェルレーヌ以外の全家族を憤慨させるが、ヴェルレーヌだけは、全面的に魅了され、陶酔しきっていた。ヴェルレーヌはランボーを後年「わが悪霊」と呼んでいるが、この不吉な呼び名も、彼の一生に及ぼした災厄(さいやく)の大きさを思えば、必ずしも言いすぎとばかりも言えないようだ。新婚一年そこそこの夫妻の間に決定的な不和を招いたのも、数年後の離婚の理由を作ったのも、この若い友人だったのである。飲酒癖を増長させ、後年の不治の固疾(こしつ)にまで悪化させ、自分の放浪癖の道づれに連れ出し、家族をも忘れさせたのも、実にこの17歳の少年詩人ランボーだったのである。
(「ヴェルレーヌ詩集」堀口大学訳、新潮文庫より)
 
ランボーは
ヴェルレーヌの家庭を破壊し
離婚の原因となった
少年詩人として現れました。
 
しばらく
堀口大学のとらえた
「ヴェルレーヌ&ランボー物語」に
耳を傾けてみましょう。
 
ランボーの若々しい美貌(びぼう)、高い背たけ、がっちりした体格、明るい栗色(くりいろ)の頭髪、気味悪いほど碧(あお)く澄んだ瞳(ひとみ)に、陶酔しきったヴェルレーヌは、急にこの頃から、家庭生活の単調さを厭(いと)い、文壇、詩壇の風潮をあまりにも人工的、社交的だとして嫌(きら)い、冒険と放浪と自由な天地を夢想するようになるのだった。すると、ランボーがそばから、得意の予言者主義を吹き込み、「見者にならなければうそだ。詩人は長い間の、そして故意の、感覚混乱によって見者になれる」と説き、修養さえ積めばヴェルレーヌにも、太陽の子としての原始の姿に立ちかえれるとまで、おだてあげた。弱い気質のヴェルレーヌは、この嵐(あらし)のような若い予言者の熱気にあおられ、言われるままに連れ立って、1872年7月、漂泊の旅に出発、ベルギーを経て、イギリスへ渡るが、これが決行されるまでの間に、マッティルド夫人が、夫ヴェルレーヌに対し、何ひとつ引き留める努力をしなかったのも、また事実のようだ。(同書)
 
 
 

夜更の雨/ベルレーヌへの途上で<4>ベルレーヌとランボーの「出会いの瞬間」

ポール・ベルレーヌの最高傑作といわれる
「無言の恋歌」の中に
「忘れた小曲」はあり
「その三」が
「巷に雨の降るごとく」ではじまる
 
雨はしとしと市(まち)にふる。
      アルチュール・ランボー
 
という、エピグラフが添えられた作品です。
 
「その三」が
ランボーの思い出を歌ったものであることが分かるのですが
思い出とは
どのようなものだったのでしょうか
「無言の恋歌」とは
どのような詩だったのでしょうか
 
半世紀以上を
ベルレーヌをはじめとする
フランス象徴詩の翻訳に
取り組んできた堀口大学が
定本と自ら宣言した
「ヴェルレーヌ詩集」(新潮文庫)で
見事な解説を加えています。
 
初対面から
「無言の恋歌」を整理編集した
モンス刑務所の独房生活までの
ベルレーヌを
文庫でおよそ4ページに描出するこの解説を
読まないでいては
前に進みようにないほど重要ですから
ここでそれを読んでおくことにしましょう。
 
時は普仏戦争が
真っ最中の1871年10月
ベルレーヌに一子ジョルジュが生まれた直後のことでした。
 
ひとりの見なれぬ少年が、モーテ家にヴェルレーヌを訪ねて来た。しばらく以前、ヴェルレーヌはこの少年が送ってよこした詩稿『酔いどれ舟』を一読、すっかり感銘し、「来たれ、愛すべき偉大な魂よ、余(よ)はおん身を待ち、余はおん身に焦(こが)る」とまで、熱烈な返事を出しておいたのだ。この少年こそは誰あろう、不世出の詩人にしてまた見者(けんじゃ)、アルチュール・ランボーその人だったのである。(「ヴェルレーヌ詩集」堀口大学訳、新潮文庫より)
 
 

夜更の雨/ベルレーヌへの途上で<3>1973年の堀口大学訳「ヴェルレーヌ詩集」

堀口大学は
昭和2年(1927年)に
「ヴェルレエヌ詩抄」(第一書房)を出して以来、
1973年の「ヴェルレーヌ詩集」(新潮文庫第34刷)まで
すでに発表した訳詩に
度重ねて改訂を加え
新訳を追加しました。
 
2011年現在、
堀口大学の訳として読める
「ヴェルレーヌ詩集」は
この第34刷以後に大きな改変はなく
「最後の定本」といえるのですが
平成21年(2009年)には
第61刷を記録しています。
第34刷の改版は
81歳の仕事でした。
 
この定本までに
中原中也が読んだであろう
「言葉なきロオマンス」から
半世紀近くの時が流れましたが
鈴木信太郎訳と比較しても
どんな変更がなされたのかが想像できますから
「夜更の雨」を読む参考に
見ておくことにします。
 
「ヴェルレエヌ詩抄」では
「言葉なきロオマンス」のタイトルでしたが
「無言の恋歌」の章が立てられ
「忘れた小曲」は「その一」から「その九」まで
全作が訳されて収められています。
 
「巷に雨の降るごとく」は
「その三」の冒頭行にあり
 
雨はしとしと市(まち)にふる。
      アルチュール・ランボー
 
と、エピグラフも現代表記に改変されていますし
本文も新漢字、ひらがなへの変更など
現代かな遣いでの表記に変えられました。
 
「忘れた小曲」は
「わすられた」小曲と読むのでしょうか
そのまま「わすれた」小曲と読むのでしょうか
「わすれられた」とは読みにくいので
前者であるなら
歴史的表記の名残が
とどめられているということになります。
 
  ◇
 
無言の恋歌
 忘れた小曲
  その三
 
   雨はしとしと市(まち)にふる。
      アルチュール・ランボー
 
巷(ちまた)に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?
 
やるせなき心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!
 
消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す。
何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
この喪(も)そのゆえの知られず。
 
ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。
 
        Il pleure dans mon cœur……
 
 
 *
 夜更の雨
 
――ヱ゛ルレーヌの面影――
 
雨は 今宵も 昔 ながらに、
  昔 ながらの 唄を うたつてる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。
 と、見るヱ゛ル氏の あの図体(づうたい)が、
倉庫の 間の 路次を ゆくのだ。
 
倉庫の 間にや 護謨合羽(かつぱ)の 反射(ひかり)だ。
  それから 泥炭の しみたれた 巫戯(ふざ)けだ。
さてこの 路次を 抜けさへ したらば、
  抜けさへ したらと ほのかな のぞみだ……
いやはや のぞみにや 相違も あるまい?
 
自動車 なんぞに 用事は ないぞ、
  あかるい 外燈(ひ)なぞは なほの ことだ。
酒場の 軒燈(あかり)の 腐つた 眼玉よ、
  遐(とほ)くの 方では 舎密(せいみ)も 鳴つてる。
 
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
 
 

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