カテゴリー

鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩

鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩10「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」ほか

未発表詩篇の残り「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」と
「草稿詩篇(1937年)」に出てくる鳥獣虫魚(動物)を見ましょう。
あと11篇です。
 
 
<療養日誌・千葉寺雑記(1937年)>
 
「雨が降るぞえ」
隣りの、牛も、もう寝たか、
ちっとも、藁(わら)のさ、音もせぬ。
 
牛も、寝たよな、病院の、宵、
たんたら、らららら、雨が、降る。
 
<草稿詩篇(1937年)>
 
「春と恋人」
蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商(あきな)う路次の
びしょ濡れの土が歌っている時、
 
「夏と悲運」
大人となった今日でさえ、そうした悲運はやみはせぬ。
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。
 
 
動物だけを列記しますと、
 
蜆(しじみ)
鰯(いわし)
――となります。
 
 
草稿として残された「晩年の」1937年の詩篇に
「蝉」が現われるのも暗示的ですね。
 
蛙が声の限りを尽くして鳴くのに似て
蝉が鳴いているほかになんにもない! と「蝉」の中で歌われた蝉が
ここにも登場するのです。
 
 

鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩9・まとめらしきこと

「草稿詩篇(1931年―1932年)」13篇
「ノート翻訳詩(1933年)」9篇
「草稿詩篇(1933年―1936年)」65篇を一気に読んでしまったので
ここですこし整理しておきましょう。
 
 
この三つのカテゴリー(分類)を合わせた87篇中に
動物に関する表記が登場する詩は36篇ありました。
1篇の詩に複数回の表記があっても1篇という計算です。
87篇中の36篇ということはおよそ4割強です。
 
この中から
生物学的分類に入らない「幽霊」などを除き
野兎色、鹿皮、蝦蟇口、馬車のような
動物が「喩(ゆ)」として利用されている表記を除き
自然の状態に人間の手が加えられた状態の
「乾蚫(ほしあわび)」や「蛙焼蛤貝(やきはまぐり)などを除外すると、
 
黒猫
三毛猫
サイオウが馬
白馬
とんぼ
小馬
梟(ふくろう)
蝉(せみ)
かねぶん
蝉(せみ)
鶏(にわとり)
涼虫(すずむし)
烏(からす)
野羊(やぎ)
こうもり
コオロギ
駱駝(らくだ)
――となります。
 
動物が動物として登場しているものだけを採集すると
27篇ということになります。
全体の3割強です。
 
「サイオウが馬」は単なる馬というより
固有名詞のような馬なので載せておきました。
 
※「サイオウが馬」は、人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)という故事熟語から取
ったものです。人間の幸不幸は予測ができない。幸が不幸に、不幸が幸にいつ転じてしまうかも
わからないものだから、安易に喜んだり悲しんだりしてはいけないという「喩=たとえ」です。
 
「黒猫」「三毛猫」の区別を排除し「馬」としたり
「白馬」「小馬」の区別を排除し「馬」としたりするのも
ここでは無意味になるようなので載せてあります。
 
 
詩人が鳥獣虫魚や花鳥風月を詩の中に使うとき
それは思いつきではなく
「詩の言葉」として通用するか否か
熟考に熟考を重ねた結果の選択であることが見えてきます。
 
使えば強いインパクトを与えますし
詩の生命に関わりますから
生半可(なまはんか)には使っていないのです。
 
蛙のような動物は
究極のところ
中原中也という詩人そのもののメタファーにさえなるのですし
こうもりが幽霊のメタファーになるように
ほかの動物たちの幾つかにも
そのような重大な役割があります。
 
 
 
 
 
 
 

鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩8「草稿詩篇(1933年―1936年)」ほか

中原中也の未発表詩篇「早大ノート」の次には
「草稿詩篇(1931年―1932年)」13篇
次に「ノート翻訳詩(1933年)」9篇
次に「草稿詩篇(1933年―1936年)」65篇が配置されています。
これらに現われる鳥獣虫魚(動物)をピックアップしていきましょう。
 
 
<草稿詩篇(1931年―1932年)>
 
「三毛猫の主の歌える」
むかし、おまえは黒猫だった。
いまやおまえは三毛猫だ、
 
さは、さりながら、おまえ、遐日(むかし)の黒猫よ、
 
「Tableau Triste」
それは、野兎色(のうさぎいろ)のランプの光に仄照(ほのて)らされて、
 
「青木三造」
どうせ浮世はサイオウが馬
   チャッチャつぎませコップにビール
 
「脱毛の秋 Etudes」
女等はみな、白馬になるとみえた。
 
僕は褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)を一つ欲した。
 
「秋になる朝」
ほのしらむ、稲穂にとんぼとびかよい
 
 
「野兎色」や「鹿皮」や「蝦蟇口」は
ここに入れないほうがよいかもしれませんが
敢えて載せました。
 
<ノート翻訳詩(1933年)>
 
「蛙 声」
郊外では、
夜は沼のように見える野原の中に、
蛙が鳴く。
それは残酷な、
消極も積極もない夏の夜の宿命のように、
毎年のことだ。
郊外では、
毎年のことだ今時分になると沼のような野原の中に、
蛙が鳴く。
月のある晩もない晩も、
いちように厳かな儀式のように義務のように、
地平の果にまで、
月の中にまで、
しみこめとばかりに廃墟礼讃(はいきょらいさん)の唱歌(しょうか)のように、
蛙が鳴く。
 
(蛙等は月を見ない)
 
蛙等は月を見ない
恐らく月の存在を知らない
彼等(かれら)は彼等同志暗い沼の上で
蛙同志いっせいに鳴いている。
月は彼等を知らない
恐らく彼等の存在を思ってみたこともない
月は緞子(どんす)の着物を着て
姿勢を正し、月は長嘯(ちょうしょう)に忙がしい。
月は雲にかくれ、月は雲をわけてあらわれ、
雲と雲とは離れ、雲と雲とは近づくものを、
僕はいる、此処(ここ)にいるのを、彼等は、
いっせいに、蛙等は蛙同志で鳴いている。
 
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
 
蛙等が、どんなに鳴こうと
月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、
僕はそれらを忘れたいものと思っている
もっと営々と、営々といとなみたいいとなみが
もっとどこかにあるというような気がしている。
月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、
蛙等がどんなに鳴こうと、
僕は営々と、もっと営々と働きたいと思っている。
それが何の仕事か、どうしてみつけたものか、
僕はいっこうに知らないでいる
僕は蛙を聴き
月を見、月の前を過ぎる雲を見て、
僕は立っている、何時(いつ)までも立っている。
そして自分にも、何時(いつ)かは仕事が、
甲斐のある仕事があるだろうというような気持がしている。
 
「Qu'est-ce que c'est?」
 
蛙が鳴くことも、
月が空を泳ぐことも、
僕がこうして何時(いつ)まで立っていることも、
黒々と森が彼方(かなた)にあることも、
これはみんな暗がりでとある時出っくわす、
見知越(みしりご)しであるような初見であるような、
あの歯の抜けた妖婆(ようば)のように、
それはのっぴきならぬことでまた
逃れようと思えば何時(いつ)でも逃れていられる
そういうふうなことなんだ、ああそうだと思って、
坐臥常住(ざがじょうじゅう)の常識観に、
僕はすばらしい籐椅子(とういす)にでも倚(よ)っかかるように倚っかかり、
とにかくまず羞恥(しゅうち)の感を押鎮(おしし)ずめ、
ともかくも和やかに誰彼(だれかれ)のへだてなくお辞儀を致すことを覚え、
なに、平和にはやっているが、
蛙の声を聞く時は、
何かを僕はおもい出す。何か、何かを、
おもいだす。
Qu'est-ce que c'est?
 
「孟夏谿行」
瀬の音は、とおに消えゆき
乗れる馬車、馬車の音のみ聞こえいるかも
 
 
「蛙 声」
(蛙等は月を見ない)
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
「Qu'est-ce que c'est?」の4篇は全文を掲載しました。
 
蛙という動物が
生物の蛙以上の意味をもっている端的な例として。
象徴ということを考える材料として。
「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」へ繋(つな)がる詩群として。
 
<草稿詩篇(1933年―1936年)>
 
(ああわれは おぼれたるかな)
けなげなる小馬の鼻翼
 
澄みにける羊は瞳
 
(とにもかくにも春である)
闇に梟(ふくろう)が鳴くということも
 
「虫の声」
夜が更(ふ)けて、
一つの虫の声がある。
 
此処、庭の中からにこにことして、幽霊は立ち現われる。
 
「怠 惰」
夏の朝よ、蝉(せみ)よ、
 
それどころか、……夏の朝よ、蝉よ、
 
目をつむって蝉が聞いていたい!――森の方……
 
「蝉」
蝉(せみ)が鳴いている、蝉が鳴いている
蝉が鳴いているほかになんにもない!
 
「夏過けて、友よ、秋とはなりました」
遠くの方の物凄い空。舟の傍(そば)では虫が鳴いていた。
 
暗い庭で虫が鳴いている、雨気を含んだ風が吹いている。
 
秋が来て、今夜のように虫の鳴く夜は、
 
「燃える血」
鳴いている蝉も、照りかえす屋根も、
 
「夏の記臆」
太っちょの、船頭の女房は、かねぶんのような声をしていた。
 
「童 謡」
象の目玉の、
汽笛鳴る。
 
「いちじくの葉」
その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている
 
蝉の声は遠くでしている
 
「朝」
雀が鳴いている
朝日が照っている
私は椿(つばき)の葉を想う
 
「夜明け」
夜明けが来た。雀の声は生唾液(なまつばき)に似ていた。
 
鶏(にわとり)が、遠くの方で鳴いている。――あれは悲しいので鳴くのだろうか?
 
鶏(とり)の声がしている。遠くでしている。人のような声をしている。
 
脣(くち)が力を持ってくる。おや、烏(からす)が鳴いて通る。
 
「朝」
雀の声が鳴きました
 
「咏嘆調」
「夕空霽(は)れて、涼虫(すずむし)鳴く。」
 
「秋岸清凉居士」
虫は草葉の下で鳴き、
 
草々も虫の音も焼木杭も月もレールも、
 
――虫が鳴くとははて面妖(めんよう)な
 
「月下の告白」
虫鳴く秋の此(こ)の夜(よ)さ一と夜
 
「別 離」
裏山に、烏(からす)が呑気(のんき)に啼いていた
 
「(なんにも書かなかったら)」
蜂だとて、いぬ、
小暗い、小庭に。
 
「僕が知る」
かの馬の静脈などを思わせる
 
それはひょっとしたなら乾蚫(ほしあわび)であるかもれない
 
「初恋集」
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあったのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
 
「月夜とポプラ」
 
木(こ)の下かげには幽霊がいる
その幽霊は、生れたばかりの
まだ翼(はね)弱いこうもりに似て、
而(しか)もそれが君の命を
やがては覘(ねら)おうと待構えている。
(木の下かげには、こうもりがいる。)
そのこうもりを君が捕って
殺してしまえばいいようなものの
それは、影だ、手にはとられぬ
而も時偶(ときたま)見えるに過ぎない。
 
「桑名の駅」
桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロ鳴いていた
 
焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは
 
「雲った秋」
棄てられた犬のようだとて。
 
犬よりもみじめであるかも知れぬのであり
 
猫が鳴いていた、みんなが寝静まると、
 
コオロギガ、ナイテ、イマス
 
イマハ、コオロギ、ナイテ、イマスネ
 
「砂 漠」
疲れた駱駝(らくだ)よ、
 
疲れた駱駝は、
         己が影みる。
 
「小唄二編」
象の目玉の、
汽笛鳴る。
 
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に余と坊やとはいぬ
 
広小路にて玩具を買いぬ、兎の玩具かなしからずや
 
 
「月夜とポプラ」も全文掲載しました。
「こうもりと幽霊」のメタファー(喩)は
「蛙」などと同じものです。
そのことを考えるだけでも意味がありそうですから。
 
 
「草稿詩篇(1933年―1936年)」65篇までを一気に
読んでしまいました。
 
動物を詩の中に登場させると
それだけでイメージのインパクトが強烈で
詩人は考え抜いた上で使っていることが見えてきた――というようなことは言えるでしょうか。
 
 
 
 
 
 

鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩7「早大ノート」から

中原中也の「未発表詩篇」に現われる動物(鳥獣虫魚)を
「早大ノート」からピックアップしていきます。
 
「早大ノート」には
1930年から1937年の約8年間に作られた詩42篇が収録されています。
1930年は昭和5年で中也23歳
1937年は昭和12年で30歳、没年です。
 
<早大ノート(1930年―1937年)>
 
「干 物」
干物の、匂いを嗅(か)いで、うとうとと
秋蝉(あきぜみ)の鳴く声聞いて、われ睡(ねむ)る
 
「Qu'est-ce que c'est que moi?」
私のなかで舞ってるものは、
こおろぎでもない、
秋の夜でもない。
 
(吹く風を心の友と)
私がげんげ田を歩いていた十五の春は
煙のように、野羊(やぎ)のように、パルプのように、
 
(支那というのは、吊鐘の中に這入っている蛇のようなもの)
支那というのは、吊鐘(つりがね)の中に這入(はい)っている蛇のようなもの。
日本というのは、竹馬に乗った漢文句調、
いや、舌ッ足らずの英国さ。
 
日本はちっとも悪くない!
吊鐘の中の蛇が悪い!
 
「細 心」
そなたは豹にしては鹿、
鹿にしては豹(ひょう)に似ていた。
 
(汽笛が鳴ったので)
冗談じゃない、人間の眼が蜻蛉(とんぼ)の眼ででもあるというのかと、
昇降口では、二人の男が嬉しげに騒いでいた。
 
空は青く、飴色(あめいろ)の牛がいないということは間違っている。
 
(七銭でバットを買って)
山の中は暗くって、
顔には蜘蛛(くも)の巣が一杯かかった。
 
(僕達の記臆力は鈍いから)
あの頃は蚊が、今より多かったような気がする。
 
(南無 ダダ)
植木鉢も流れ、
    水盤も浮み、
 池の鯉はみな、逃げてゆく
 
(月の光は音もなし)
月の光は音もなし、
虫の鳴いてる草の上
月の光は溜(たま)ります
 
虫はなかなか鳴きまする
月ははるかな空にいて
見てはいますが聞こえない
 
虫は下界のためになき、
月は上界照らすなり、
虫は草にて鳴きまする。
 
やがて月にも聞えます、
私は虫の紹介者
月の世界の下僕(げぼく)です。
 
「こぞの雪今いずこ」
鴉声(あせい)くらいは聞けもすれ、
薄曇りせる、かの空を
 
 
文脈を排除して
動物だけを見ると、
 
秋蝉(あきぜみ)
こおろぎ
野羊(やぎ)
鹿
蜻蛉(とんぼ)
蜘蛛(くも)
鴉声(あせい)
――となります。
 
 
 

鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩6「ノート小年時」ほか

中原中也の「未発表詩篇」に現われる鳥獣虫魚(動物)を
ピックアップしていきます。
 
「ノート1924」には
東京に出てきてから作った詩が幾つか記されています。
ダダが残りますが
明らかにダダを脱皮しつつある詩群です。
 
 
「浮浪歌」
アストラカンの肩掛(かたかけ)に
口角の出た叔父(おじ)につれられ
 
「無 題」
緋(ひ)のいろに心はなごみ
蠣殻(かきがら)の疲れ休まる
 
明らけき土の光に
浮揚する
   蜻蛉となりぬ
 
 
ダダが動物の登場で
ダダらしからぬものになって
「まともな詩」ができた感じがしませんか?
 
<草稿詩篇(1925年―1928年)>
 
「地極の天使」
 蜂の尾と、ラム酒とに、世界は分解されしなり。夢のうちなる遠近法、夏の夜風の小槌(こづち)の重量、それ等は既になし。
 
「無 題」
私は木の葉にとまった一匹の昆虫‥‥‥
それなのに私の心は悲しみで一杯だった。
 
「屠殺所」
屠殺所(とさつじょ)に、
死んでゆく牛はモーと啼(な)いた。
六月の野の土赫(あか)く、
地平に雲が浮いていた。
 
  道は躓(つまず)きそうにわるく、
  私はその頃胃を病(や)んでいた。
 
屠殺所に、
死んでゆく牛はモーと啼いた。
六月の野の土赫く、
地平に雲が浮いていた。
 
「夏の夜」
私の心はまず人間の生活のことについて燃えるのだが、
そして私自身の仕事については一生懸命練磨するのだが、
結局私は薔薇色の蜘蛛(くも)だ、夏の夕方は紫に息づいている。
 
「聖浄白眼」
曇った寒い日の葉繁みでございます。
眼瞼(まぶた)に蜘蛛がいとを張ります。
 
「冬の日」
外では雀が樋(とい)に音をさせて、
冷たい白い冬の日だった。
 
「秋の夜」
深い草叢(くさむら)に虫が鳴いて、
深い草叢を霧が包む。
 
 
20篇中の7篇に動物が登場していますが
これが多いといえるのか少ないのか。
なんともいえません。
 
「屠殺所」は全行を掲出しました。
こんな名作が早い時期に生まれているという例として。
 
<ノート小年時(1928年―1930年)>
 
「女 よ」
さて、そのこまやかさが何処(どこ)からくるともしらないおまえは、
欣(よろこ)び甘え、しばらくは、仔猫のようにも戯(じゃ)れるのだが、
 
「冷酷の歌」
夕は泣くのでございます、獣(けもの)のように。
獣のように嗜慾(しよく)のうごめくままにうごいて、
その末は泣くのでございます、肉の痛みをだけ感じながら。
 
「雪が降っている……」
捨てられた羊かなんぞのように
  とおくを、
雪が降っている、
  とおくを。
 
「夏と私」
真ッ白い嘆かいのうちに、
海を見たり。鴎(かもめ)を見たり。
 
 
「ノート小年時」はランボーの影響が漂うノートです。
ランボーの散文詩「少年時」を意識して
ノートのタイトルを「小年時」としたこともそうですが
中の「頌歌」はランボーの「感動(センサシオン)」のデフォルメといってもよさそうで
ほかにも影響を感じさせる詩がいくつかあります。
 
「頌歌」をここに引いておきます。
 
頌 歌
 
出で発(た)たん!夏の夜は
霧(きり)と野と星とに向って。
出で発たん、夏の夜は
一人して、身も世も軽く!
 
この自由、おお!この自由!
心なき世のいさかいと
多忙なる思想を放ち、
身に沁(し)みるみ空の中に
 
悲しみと喜びをもて、
つつましく、かつはゆたけく、
歌はなん古きしらべを
 
霧と野と星とに伴(つ)れて、
歌はなん、夏の夜は
一人して、古きおもいを!
    (一九二九・七・一三)
 
ついでにランボーの詩「Sensation(センサシオン)」も引いておきましょう。
 
感動
中原中也訳
 
私はゆかう、夏の青き宵は
麦穂臑(すね)刺す小径の上に、小草(をぐさ)を踏みに
夢想家・私は私の足に、爽々(すがすが)しさのつたふを覚え、
吹く風に思ふさま、私の頭をなぶらすだらう!
 
私は語りも、考へもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう
天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。
 
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは( )の中に入れ、一部、新漢字を使用しました。編者。
 
 
「山羊の歌」や「在りし日の歌」などに収録された詩の
原詩(第1次形態)が「ノート小年時」には多々あります。
その間(はざま)にも名作がひっそり咲いているかのようなラインナップです。
「朝の歌」以後の詩ですから当然のことですが。
 
ぜひ、読んでみてください。
 
 
以上を動物だけを列記しておきます。
 
アストラカン
蠣殻(かきがら)
蜻蛉
昆虫‥‥‥
蜘蛛(くも)
蜘蛛
仔猫
獣(けもの)
鴎(かもめ)
 
 
 
 

鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩5「ノート1924」ほか

中原中也の未発表詩篇に現われる鳥獣虫魚(動物)を見ていきましょう。
 
中原中也の詩で生前、没後を問わず発表された詩篇は「生前発表詩篇」。
それ以外は「未発表詩篇」としてまとめられています。
 
角川版全集は現在の第3次全集を「新編中原中也全集」としていますが
創元社版全集を含めると
戦後に4次の全集が発行されました。
 
「新編中原中也全集」を新全集と呼ぶ慣わしですが
この新全集の編集方針によって
それまで「未刊詩篇」として時系列に整理されていたものが
作品の残存形態(原稿用紙の種類など形)ごとに分類され
分類後にその中で制作順(時系列)に配列されて
「未発表詩篇」として再構築されました。
 
たとえば「早大ノート」には
1930年から1937年に制作された詩篇が記されてあります。
たとえば「草稿詩篇(1933年―1936年)」には
1933年から1936年に制作された詩篇がまとめられています。
この両者を分解して時系列で詩篇を配列した「未刊詩篇」(旧全集)の考え方を修正したのです。
 
 
未発表詩篇の制作は
中原中也の詩人活動の全年代にわたって残されてあります。
 
中には
なぜこの作品が発表されなかったのかと思える
名作が犇(ひしめ)いていますから
「山羊の歌」の詩人、「在りし日の歌」の詩人というイメージではとらえきれない
別の詩人の相貌(かお)を見ることができます。
 
 
「未発表詩篇」は
京都時代のダダイズム詩からはじまります。
 
<ダダ手帖(1923年―1924年)>
 
「ダダ音楽の歌詞」
ウワキはハミガキ
ウワバミはウロコ
 
オハグロは妖怪
下痢はトブクロ
 
<ノート1924(1924年―1928年)>
 
「想像力の悲歌」
その日蝶々の落ちるのを
夕の風がみていました
 
「春の夕暮」
ああ、案山子はなきか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
 
(題を附けるのが無理です)
寺院の壁にトンボがとまった
 
(テンピにかけて)
テンピにかけて
焼いたろか
あんなヘナチョコ詩人の詩
百科辞典を引き廻し
鳥の名や花の名や
みたこともないそれなんか
ひっぱり出して書いたって
――だがそれ程想像力があればね――
やい!
いったい何が表現出来ました?
自棄(やけ)のない詩は
神の詩か
凡人の詩か
そのどっちかと僕が決めたげます
 
(酒)
蜘蛛は五月雨(さみだれ)に逃げ場を失いました
 
犬が骨を……
 
(古る摺れた)
ガラスを舐(な)めて
蠅を気にかけぬ
 
(ツッケンドンに)
鳥の羽(はね)斜(はす)に空へ!……
 
雀の声は何という生唾液(ナマツバキ)だ!
 
(成 程)
蛙が鳴いて
一切がオーダンの悲哀だ
 
「真夏昼思索」
畳をポントケサンでたたいたら蝿が逃げて
声楽家が現れた 
 
「冬と孤独と」
私が路次(ろじ)の角に立った時小犬が走った
 
 
ここまでが「ノート1924」の中の京都時代の作品です。
 
 
「ダダ音楽の歌詞」の「ウワバミ」は蛇のこと。
飲兵衛(のんべえ=酒好き)の夫婦のことを「うわばみ夫婦」などと言うことがあります。
 
 
(テンピにかけて)は全行を引きました。
「へなちょこ詩人」を
ろくすっぽ知らないのに鳥や花の名前を辞書から引っぱるやからと批判した詩です。
花鳥風月へのダダイストのスタンスが述べられていて面白いので。
 
 
前後の詩句を排除すると
 
ウワバミ
妖怪
蝶々
トンボ
蜘蛛
小犬
――というような動物が現われたことになります。
 
 

鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩4「生前発表詩篇」から

中原中也が発表(公開)した詩篇は、
詩集「山羊の歌」は生前発表、
詩集「在りし日の歌」は没後発表、
詩集のほかに新聞・雑誌(詩誌)に発表された詩篇は「生前発表詩篇」として整理されています。
 
この「生前発表詩篇」に現われる動物を列挙していきます。
短歌を除きます。
 
 
「暗い天候(二・三)」
犬が吠える、虫が鳴く、
   畜生(ちくしょう)! おまえ達には社交界も世間も、
ないだろ。着物一枚持たずに、
   俺も生きてみたいんだよ。
 
――やい、豚、寝ろ!
 
赤ン坊の泣声や、おひきずりの靴の音や、
昆布や烏賊(するめ)や洟紙(はながみ)や首巻や、
 
「夏と私」
真ッ白い嘆(なげ)かいのうちに、
海を見たり。鴎(かもめ)を見たり。
 
「寒い!」
小鳥も啼(な)かないくせにして
犬なぞ啼きます風の中。
 
「童 女」
飛行機虫の夢をみよ、
クリンベルトの夢をみよ。
 
眠れよ、眠れ、よい心、
おまえの眼(まなこ)は、昆虫だ。
 
「秋を呼ぶ雨」
秋を告げる雨は、夜明け前に降り出して、
窓が白む頃、鶏の声はそのどしゃぶりの中に起ったのです。
 
「北沢風景」
 僕は出掛けた。僕は酒場にいた。僕はしたたかに酒をあおった。翌日は、おかげで空が真空だ
った。真空の空に鳥が飛んだ。
 扨(さて)、悔恨(かいこん)とや……十一月の午後三時、空に揚(あが)った凧(たこ)ではない
か? 扨、昨日の夕べとや、鴫(しぎ)が鳴いてたということではないか?
 
「ひからびた心」
ひからびたおれの心は
そこに小鳥がきて啼(な)き
其処(そこ)に小鳥が巣を作り
卵を生むに適していた
 
「雨の朝」
上草履(うわぞうり)は冷え、
バケツは雀の声を追想し、
雨は沛然(はいぜん)と降っている。
 
「道化の臨終(Etude Dadaistique)」
君ら想(おも)わないか、夜毎(よごと)何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍(りゅう)がいるかもしれぬと。
 
雲雀(ひばり)は空に 舞いのぼり、
小児(しょうに)が池に 落っこった。
 
どうぞ皆さん僕という、
はてなくやさしい 痴呆症(ちほうしょう)、
抑揚(よくよう)の神の 母無(おやな)し子、
岬の浜の 不死身貝(ふじみがい)、
 
「夏」
戸外(そと)では蝉がミンミン鳴いた。
 
「初夏の夜に」
オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か――
 
 
「童女」の「飛行機虫」がどのような虫かはわかっていません。
ゲンゴロウとかアメンボの類であろうという読みがあります。
「クリンベルト」もわかっていない語彙(ごい)の一つです。
グリーン・ベルトとかクリーン・ベルトとか。
想像して読むほかに手はありません。
 
「道化の臨終(Etude Dadaistique)」の「不死身貝(ふじみがい)」は、
詩人独特の「喩」(=たとえ)ですから実際には存在しないものですが
「貝」という動物であることは確かなので
ここには入れておきました。
 
 
「生前発表詩篇」は
昭和4年制作(推定)の「暗い天候(二、三)」が最も古く
昭和12年制作の「夏日静閑」が最も新しく
この期間に作られた詩が時系列で通覧できることになります。
もっとも「穴あき状態」ではありますが。
 
 
死去する年の昭和12年制作の詩「ひからびた心」や「夏」などには
まるで自己の死を予感していたかのような
死との親近があって息を飲まずにいられません。
ホラホラ、これが僕の骨だ、とはじまる有名な「骨」が昭和9年の制作です。
 
 
動物だけを列記すれば
 
昆布
烏賊(するめ)
鴎(かもめ)
小鳥
飛行機虫
昆虫
鴫(しぎ)
小鳥
龍(りゅう)
雲雀(ひばり)
不死身貝(ふじみがい)、
――となります。
 
傾向があるかどうか。
鳥類が多いような気もしますが。
 
 
 
 

鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩3「在りし日の歌」から

中原中也の詩に現われる鳥獣虫魚(動物)は
「在りし日の歌」ではどのようであるかを次に見ていきます。
配列順に1行1行を追うだけで
新しい発見に繋(つな)がることもたまにはあります。
 
 
詩人自らが「在りし日の歌」巻末の後記で書いているように
「在りし日の歌」には「山羊の歌」以後に発表したものの過半数が収められています。
 
ということは、「在りし日の歌」の残りの半数近くは
「山羊の歌」以後のものではなく
「山羊の歌」の中の詩篇と同じ時期に作られたものということでもあります。
 
たとえば「月」「春」「夏の夜」などはかなり古くに作られた作品で
これらは大正14年から15年の制作と推定されています。
 
 
「含 羞(はじらい)」
おりしもかなた野のうえは
あすとらかんのあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき
 
「青い瞳」
陽(ひ)は霧(きり)に光り、草葉(くさは)の霜(しも)は解け、
遠くの民家に鶏(とり)は鳴いたが、
 
「三歳の記憶」
柿の木いっぽんある中庭は、
土は枇杷(びわ)いろ 蝿(はえ)が唸(な)く。
 
稚厠(おかわ)の上に 抱えられてた、
すると尻から 蛔虫(むし)が下がった。
その蛔虫が、稚厠の浅瀬で動くので
動くので、私は吃驚(びっくり)しちまった。
 
「春」
春は土と草とに新しい汗をかかせる。
その汗を乾かそうと、雲雀(ひばり)は空に隲(あが)る。
 
大きい猫が頸ふりむけてぶきっちょに
一つの鈴をころばしている、
一つの鈴を、ころばして見ている。
 
「幼獣の歌」
黒い夜草深い野にあって、
一匹の獣(けもの)が火消壺(ひけしつぼ)の中で
燧石(ひうちいし)を打って、星を作った。
冬を混ぜる 風が鳴って。
 
獣はもはや、なんにも見なかった。
カスタニェットと月光のほか
目覚ますことなき星を抱いて、
壺の中には冒瀆(ぼうとく)を迎えて。
 
雨後らしく思い出は一塊(いっかい)となって
風と肩を組み、波を打った。
ああ なまめかしい物語――
奴隷(どれい)も王女と美しかれよ。
 
     卵殻(らんかく)もどきの貴公子の微笑と
     遅鈍(ちどん)な子供の白血球とは、
     それな獣を怖がらす。
 
黒い夜草深い野の中で、
一匹の獣の心は燻(くすぶ)る。
黒い夜草深い野の中で――――
太古(むかし)は、独語(どくご)も美しかった!……
 
「冬の日の記憶」
昼、寒い風の中で雀(すずめ)を手にとって愛していた子供が、
夜になって、急に死んだ。
 
雀はどうなったか、誰も知らなかった。
 
「冬の明け方」
残(のこ)んの雪が瓦(かわら)に少なく固く
枯木の小枝が鹿のように睡(ねむ)い、
 
烏(からす)が啼(な)いて通る――
庭の地面も鹿のように睡い。
 
「冬の夜」
かくて夜(よ)は更(ふ)け夜は深まって
犬のみ覚めたる冬の夜は
影と煙草と僕と犬
えもいわれないカクテールです
 
「秋の消息」
陽光(ひかり)に廻(めぐ)る花々や
物蔭(ものかげ)に、すずろすだける虫の音(ね)や
 
「秋日狂乱」
ジオゲネスの頃には小鳥くらい啼(な)いたろうが
きょうびは雀(すずめ)も啼いてはおらぬ
 
蝶々はどっちへとんでいったか
今は春でなくて、秋であったか
 
「夏の夜に覚めてみた夢」
グランド繞(めぐ)るポプラ竝木(なみき)は
蒼々(あおあお)として葉をひるがえし
ひときわつづく蝉しぐれ
 
「雲 雀」
ひねもす空で啼(な)きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ
 
ピーチクチクと啼きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴だ
 
「初夏の夜」
また今年(こんねん)も夏が来て、
夜は、蒸気(じょうき)で出来た白熊が、
沼をわたってやってくる。
 
薄暮の中で舞う蛾(が)の下で
はかなくも可憐な顎をしているのです。
 
「北の海」
海にいるのは、
あれは人魚ではないのです。
 
「閑 寂」
板は冷たい光沢(つや)をもち、
小鳥は庭に啼いている。
 
土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。
 
「お道化うた」
星も降るよなその夜さ一と夜、
虫、草叢(くさむら)にすだく頃、
 
「思い出」
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼いてた
 
鳥が啼いても煉瓦工場は、
ビクともしないでジッとしていた
鳥が啼いても煉瓦工場の、
窓の硝子は陽をうけていた
 
木立に鳥は、今も啼くけど
煉瓦工場は、朽ちてゆくだけ
 
「残 暑」
畳の上に、寝ころぼう、
蝿はブンブン 唸(うな)ってる
 
覚めたのは 夕方ちかく
まだかなかなは 啼いてたけれど
 
「蜻蛉に寄す」
あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでいる
 
「ゆきてかえらぬ」
さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いていた。
 
「一つのメルヘン」
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
 
「また来ん春……」
おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といい
鳥を見せても猫だった
最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた
 
「月の光 その二」
森の中では死んだ子が
蛍のように蹲(しゃが)んでる
 
「春日狂想」
飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒(ま)いて、
 
馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮(はなよめごりょう)。
 
「蛙 声」
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一(ひ)と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?
 
その声は、空より来(きた)り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。
 
よし此(こ)の地方(くに)が湿潤(しつじゅん)に過ぎるとしても、
疲れたる我等(われら)が心のためには、
柱は猶(なお)、余りに乾いたものと感(おも)われ、
 
頭は重く、肩は凝(こ)るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲(あんうん)に迫る。
 
 
「北の海」の「人魚」をここに載せるのには躊躇(ちゅうちょ)がありましたが
半身が魚ということで入れました。
「サイレン」を入れなかったのと矛盾するようですが
たいした理由はありません。
人魚は普通に「動物のような感じ」もあるかなという親近感で。
死児の亡霊や妖精などは採取しませんでした。
 
 
「幼獣の歌」「蛙声」は全行を載せました。
タイトルに動物を使っているものはほかにもありますが
内容にも詩人の「意味付与」が感じられるからです。
 
 
ややめずらしいものでは
「あすとらかんと象」の出てくる「含 羞(はじらい)」
「蛔虫(むし)」の出てくる「三歳の記憶」。
 
「あすとらかん」はアストラカンで
ロシアのアストラハン地方で産出される子羊の毛皮のことです。
詩人は「羊」には特別の関心をもち
第1詩集のタイトルを「山羊の歌」として
その中に章題「羊の歌」を設け
親友・安原喜弘への献呈詩を「羊の歌」としました。
 
詩人が羊年(ひつじどし)の生まれであり
「神の子羊」や「スケープ・ゴート」を名乗るのが気に入っていたことも知られています。
 
「蛔虫(むし)」というのは回虫のことで
「記憶以前」であるはずの3歳の時の隣家の引っ越しが
寂寥とか恐怖とか入り混じって記憶に残ったことが詩になりました。
回虫を詩のモチーフに使うなんて
めったにお目にかかれません。
 
 
前後の詩句を排除すると
 
あすとらかん
鶏(とり)
蝿(はえ)
蛔虫(むし)
雲雀(ひばり)
獣(けもの)
雀(すずめ)
鹿
烏(からす)
鹿
小鳥
雀(すずめ)
蝶々
雲雀奴(ひばりめ)
白熊
蛾(が)
人魚
小鳥
雲雀(ひばり)
かなかな
蜻蛉(とんぼ)
蜘蛛(くも)
猫(にゃあ)
鹿
馬車
――ということになります。
 
 

鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩2「山羊の歌」から

「山羊の歌」の詩に現われる鳥獣虫魚(動物)を見ていきます。
 
「深夜の思い」
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。
波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。
 
「帰 郷」
椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細そうに揺れている
 
「凄じき黄昏」
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。
 
「逝く夏の歌」
山の端(は)は、澄(す)んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
 
「夕 照」
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。
 
「港市の秋」
むこうに見える港は、
蝸牛(かたつむり)の角(つの)でもあるのか
 
「ためいき」
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。
空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。
 
「失せし希望」
今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して
  獣(けもの)の如くは、暗き思いす。
 
「みちこ」
午睡(ごすい)の夢をさまされし
牡牛(おうし)のごとも、あどけなく
 
「汚れっちまった悲しみに……」
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
 
「無 題」
我利(がり)々々で、幼稚な、獣(けもの)や子供にしか、
彼女は出遇(であ)わなかった。おまけに彼女はそれと識らずに、
 
「更くる夜」
その上に月が明るみます、
と、犬の遠吠(とおぼえ)がします。
 
「秋」
秋蝉(あきぜみ)は、もはやかしこに鳴いている、
草の中の、ひともとの木の中に。
 
草がちっともゆれなかったのよ、
その上を蝶々(ちょうちょう)がとんでいたのよ。
 
あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。
 
「修羅街輓歌」
私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴(けいめい)よ!
 
いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おお、霜にしみらの鶏鳴よ……
「羊の歌」
そのやさしさは氾濫(はんらん)するなく、かといって
鹿のように縮かむこともありませんでした
 
「憔 悴」
青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで
 
 
以上「山羊の歌」に登場する動物です。
文脈を無視して
動物だけを列記してみると……。
 
鰯(いわし)
牡蠣殻(かきがら)
小鳥
黒馬(くろうま)
軟体動物
猟犬
蜘蛛(くも)
雑魚(ざこ)
金魚
昆虫
蝸牛(かたつむり)
蝗螽(いなご)
獣(けもの)
牡牛(おうし)
獣(けもの)
秋蝉(あきぜみ)
蝶々(ちょうちょう
鶏鳴(けいめい)
鹿
蛙(かえる)
――となります。
 
 
なんと、「山羊の歌」の最終章の詩に
「蛙」が登場していました!
「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」とすでにかすかに呼応しています!
 
<追記>
 
後で調べましたら
「憔悴」は「山羊の歌」中で
最も新しい制作(昭和7年2月)ということがわかりました。
 
詩集巻末部に
蛙(声)に擬(ぎ)した詩人としてのメッセージを盛り込むというポリシー(編集意図)が
「山羊の歌」の編集時に発想され
これは「在りし日の歌」の編集にも生かされたのです。
そのことを物語る証拠の一つがここにありました。
 

鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩1「山羊の歌」から

中原中也の詩をまだ読んでいない人

少しは読んだことのある人

これから初めて読もうとしている人

もう一度じっくり読んでみたい人

読もう読もうと思いながらもきっかけを掴めなかった人

文庫詩集を買った人

本棚の奥にしまい込んである人

むかし教科書で読んだだけの人

……

 

 

ビギン・ワンスモア!

ビギン・ビギナー!

 

 

こんな感じで「ひとくちメモ」を続けていきます。

「色の色々」「オノマトペ」に続いては

「鳥が飛ぶ 虫が鳴く 中原中也の詩」と題して

中原中也の詩に現われる動物を見ます。

 

角川版全集の配列にしたがって

鳥獣虫魚(ちょうじゅうちゅうぎょ)を順にピックアップするだけのことですが

気が向くまま赴(おもむ)くままに

感想を入れたり入れなかったりのメモに過ぎませんから

お気軽お気楽にお読み下さい。

 

 

ではさっそく「山羊の歌」から見ていきます。

現代かな遣いで表記します。

現われ方を見るために

行単位で、時には連を丸ごと取り上げるケースもあるでしょう。

 

 

「春の日の夕暮」

馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい

 

「サーカス」

観客様はみな鰯(いわし)

  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と

 

「春の夜」

埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、

  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧(わ)きいずる

      春の夜や。

 

「朝の歌」

小鳥らの うたはきこえず

  空は今日 はなだ色らし、

 

「臨 終」

秋空は鈍色(にびいろ)にして

黒馬(くろうま)の瞳のひかり

 

「秋の一日」

軟体動物のしゃがれ声にも気をとめないで、

紫の蹲(しゃが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

 

 

「秋の一日」の冒頭連に

こんな朝、遅く目覚める人達は

戸にあたる風と轍(わだち)との音によって、

サイレンの棲む海に溺れる。


――とある「サイレン」はギリシア神話やホメロスの「オデッセイア」に登場する上半身が女性、下半身が鳥の姿をした魔物(女)。「鳥獣虫魚」や動物の類ではありません。「セイレーン」とか「シレーヌ」とかと訳されることもあります。ウーウーウーの音を出す消防車のサイレンの語源でもあり、神話のサイレンは美しい声で歌い、船人を誘惑します。オデッセウスがサイレンの誘惑を避けるために自分をマストに縛りつけて通り過ごしたという有名な話が伝わります。

 

その他のカテゴリー

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