中原中也の詩に現われる色の色々8
その1
「草稿詩篇(1933年―1936年)」の
後半部の詩に現われる「色」をひろっていきましょう。
「僕が知る」
僕の狂気は蒼ざめて硬くなる
(おまえが花のように)
淡鼠の絹の靴下穿(は)いた花のように
「大島行葵丸にて」
瞬間(しばし)浪間に唾(つば)白かったが
(秋が来た)
その上に、わびしい黄色い夕陽は落ちる。
ワットマンに描かれた淡彩、
「雲った秋」
あんまり蒼い顔しているとて、
「雲」
空の青が、少しく冷たくみえることは
「暗い公園」
その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴っていた。
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
夕空は、紺青の色なりき
燈光は、貝釦の色なりき
その時よ、紺青の空!
◇
けなげなる小馬の鼻翼 紫の雲のいろして(ああわれは おぼれたるかな)
――は、小馬の鼻翼が紫の雲の色をしているという叙述ですが
なんとも的確な目!
小馬の鼻翼の色をこれ以外に捉えることはできない! と言えるほどに的確です。
次の
薔薇色の埃りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。(とにもかくにも春である)
――は、叙述(写実)ではなく、象徴的手法と言えますが、春の埃っぽさを「薔薇色」と捉える目の
確かさがなければ、象徴もへったくれもありません。
葉は、乾いている、ねむげな色をして(「いちじくの葉」)
――も、現実のいちじくの葉の写実の見事なこと!
乾いたいちじくの葉って、眠たそうな色をしていますよね。
◇
「朝」は、ここでは連を丸ごとひろっておきました。
かがやかしい朝よ、
紫の、物々の影よ、
つめたい、朝の空気よ、
灰色の、甍よ、
水色の、空よ、
風よ!
――は、第1連。
風よ!
水色の、空よ、
灰色の、甍よ、
つめたい、朝の空気よ、
かがやかしい朝
紫の、物々の影よ……
――は、第3連。
紫、灰色、水色で朝は朝になったかのようです!
「悲しい歌」の
蝦茶色の憎悪がわあッと跳び出して来る。
――の「蝦茶色の憎悪」は「茶色い戦争」と同じ表現法です。
茶色い戦争といわれて分かったような気分になるように
蝦茶色の憎悪といわれて分かったような気分になります。
これは
みんな貯まっている憎悪のために、
色々な喜劇を演ずるのだ。
――と「色々な」に傍点が付けられて捕捉されます。
◇
夕空は、紺青の色なりき 燈光は、貝釦の色なりき(「夏の夜の博覧会はかなしからずや」)や
その時よ、紺青の空!(同)
――は、叙述(写実)の色であるのに
幻想の色に変質する瞬間を見せられるかのようです。
マジックの中にいるような
色彩の錯覚を経験させられます。
◇
その2
中原中也の詩に現われる「色」を取り出して見てきましたが
残るのは「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」と「草稿詩篇(1937年)」だけになりました。
1937年は詩人の亡くなる年です。
この年のはじめに千葉の中村古峡療養所に入退院し
退院直後に鎌倉に移り住んで詩作活動を再開。
「ボンマルシェ日記」をつけはじめ
付近に住む小林秀雄、大岡昇平、今日出海、深田久弥らと交流します。
9月には「ランボオ詩集」を翻訳・刊行し
「在りし日の歌」の清書原稿を小林秀雄に託すなど
心機一転を計画していました。
その矢先、結核性脳膜炎を発症し永眠します。
このような経過が
詩の「色」に現われるなどという研究のつもりではないことを
ふたたび申し上げておきます。
◇
「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」には
(短歌5首)を1篇と数えて5篇が収録されています。
ここにに現われる「色」は2篇2か所でした――。
(丘の上サあがって、丘の上サあがって)
緑のお碗が一つ、ふせてあった。
そのお碗にヨ、その緑のお碗に、
(短歌五首)
町々は夕陽を浴びて金の色
きさらぎ二月冷たい金なり
◇
最後の「草稿詩篇(1937年)」には5篇の詩が収録されていますが
ここに「色」は現われませんでした。
1937年制作の詩篇10篇のうち
「色」が現われたのは2篇でした。
この数字が「多い少ない」を言えるものではありません。
言うことも出来はしません。
晩年に「色」の現われるのが少なかったかもしれない、との
可能性があるという程度の想像は許されても
断言はできません。
そもそも残りの8篇の詩には色がないなどといえば、
そんな馬鹿なことはありません。
色のない詩なんて存在するわけがありません。
「色」に関する言葉や文字が現れなかっただけのことです。
◇
第一、ここでは「色」それも言葉(文字)に現われたものを取り上げてきただけです。
メタファーとしての色を見れば
際限ない世界が広がっているでしょうし
「光の色々」に目を向ければ
世界の半分に目を向けることにもなりそうです。
残るは「空間」ということになり
中原中也の詩の「空間のメタファー」へと開けていってしまいます。
そのような研究は
きっと存在することでしょう。
興味ある方は探してみてください。
ここで見てきた「色」は
そんな大げさなものではなく
「色の言葉」が中原中也の詩にどれほどあるだろうか
――という素朴な疑問に答えるために
詩集のはじめから終わりまで検索してみただけのことです。
◇
中原中也が制作した全詩370のうち
言葉・文字の形として現れた「色」のある詩は
ざっと数えてみると151篇ありました。
行ではなく詩の数です。
一つの詩の中に
「色」が多数の行にわたる場合もありますから
行で数えればこの倍近くか少なくとも5割増しにはなるかもしれません。
「音の詩人」のイメージが濃い中原中也は
すぐれて「色の詩人」であったということくらいはきっぱりと言えそうです。
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