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中原中也の詩に現われる色の色々

中原中也の詩に現われる色の色々8

その1

「草稿詩篇(1933年―1936年)」の
後半部の詩に現われる「色」をひろっていきましょう。

「僕が知る」
僕の狂気は蒼ざめて硬くなる

(おまえが花のように)
淡鼠の絹の靴下穿(は)いた花のように

「大島行葵丸にて」
瞬間(しばし)浪間に唾(つば)白かったが

(秋が来た)
その上に、わびしい黄色い夕陽は落ちる。

ワットマンに描かれた淡彩、

「雲った秋」
あんまり蒼い顔しているとて、

「雲」
空の青が、少しく冷たくみえることは

「暗い公園」
その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴っていた。

「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
夕空は、紺青の色なりき
燈光は、貝釦の色なりき

その時よ、紺青の空!

けなげなる小馬の鼻翼 紫の雲のいろして(ああわれは おぼれたるかな)
――は、小馬の鼻翼が紫の雲の色をしているという叙述ですが
なんとも的確な目! 
小馬の鼻翼の色をこれ以外に捉えることはできない! と言えるほどに的確です。

次の
薔薇色の埃りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。(とにもかくにも春である)
――は、叙述(写実)ではなく、象徴的手法と言えますが、春の埃っぽさを「薔薇色」と捉える目の
確かさがなければ、象徴もへったくれもありません。

葉は、乾いている、ねむげな色をして(「いちじくの葉」)
――も、現実のいちじくの葉の写実の見事なこと!
乾いたいちじくの葉って、眠たそうな色をしていますよね。

「朝」は、ここでは連を丸ごとひろっておきました。

かがやかしい朝よ、
紫の、物々の影よ、
つめたい、朝の空気よ、
灰色の、甍よ、
水色の、空よ、
風よ!
――は、第1連。

風よ!
水色の、空よ、
灰色の、甍よ、
つめたい、朝の空気よ、
かがやかしい朝
紫の、物々の影よ……
――は、第3連。

紫、灰色、水色で朝は朝になったかのようです!

「悲しい歌」の
蝦茶色の憎悪がわあッと跳び出して来る。
――の「蝦茶色の憎悪」は「茶色い戦争」と同じ表現法です。
茶色い戦争といわれて分かったような気分になるように
蝦茶色の憎悪といわれて分かったような気分になります。

これは

みんな貯まっている憎悪のために、
色々な喜劇を演ずるのだ。
――と「色々な」に傍点が付けられて捕捉されます。

夕空は、紺青の色なりき 燈光は、貝釦の色なりき(「夏の夜の博覧会はかなしからずや」)や
その時よ、紺青の空!(同)
――は、叙述(写実)の色であるのに
幻想の色に変質する瞬間を見せられるかのようです。
マジックの中にいるような
色彩の錯覚を経験させられます。

その2

中原中也の詩に現われる「色」を取り出して見てきましたが
残るのは「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」と「草稿詩篇(1937年)」だけになりました。

1937年は詩人の亡くなる年です。
この年のはじめに千葉の中村古峡療養所に入退院し
退院直後に鎌倉に移り住んで詩作活動を再開。
「ボンマルシェ日記」をつけはじめ
付近に住む小林秀雄、大岡昇平、今日出海、深田久弥らと交流します。
9月には「ランボオ詩集」を翻訳・刊行し
「在りし日の歌」の清書原稿を小林秀雄に託すなど
心機一転を計画していました。
その矢先、結核性脳膜炎を発症し永眠します。

このような経過が
詩の「色」に現われるなどという研究のつもりではないことを
ふたたび申し上げておきます。

「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」には
(短歌5首)を1篇と数えて5篇が収録されています。
ここにに現われる「色」は2篇2か所でした――。

(丘の上サあがって、丘の上サあがって)
 緑のお碗が一つ、ふせてあった。
そのお碗にヨ、その緑のお碗に、

(短歌五首)
町々は夕陽を浴びて金の色
 きさらぎ二月冷たい金なり

最後の「草稿詩篇(1937年)」には5篇の詩が収録されていますが
ここに「色」は現われませんでした。

1937年制作の詩篇10篇のうち
「色」が現われたのは2篇でした。
この数字が「多い少ない」を言えるものではありません。
言うことも出来はしません。

晩年に「色」の現われるのが少なかったかもしれない、との
可能性があるという程度の想像は許されても
断言はできません。

そもそも残りの8篇の詩には色がないなどといえば、
そんな馬鹿なことはありません。
色のない詩なんて存在するわけがありません。
「色」に関する言葉や文字が現れなかっただけのことです。

第一、ここでは「色」それも言葉(文字)に現われたものを取り上げてきただけです。
メタファーとしての色を見れば
際限ない世界が広がっているでしょうし
「光の色々」に目を向ければ
世界の半分に目を向けることにもなりそうです。

残るは「空間」ということになり
中原中也の詩の「空間のメタファー」へと開けていってしまいます。

そのような研究は
きっと存在することでしょう。
興味ある方は探してみてください。

ここで見てきた「色」は
そんな大げさなものではなく
「色の言葉」が中原中也の詩にどれほどあるだろうか
――という素朴な疑問に答えるために
詩集のはじめから終わりまで検索してみただけのことです。

中原中也が制作した全詩370のうち
言葉・文字の形として現れた「色」のある詩は
ざっと数えてみると151篇ありました。
行ではなく詩の数です。

一つの詩の中に
「色」が多数の行にわたる場合もありますから
行で数えればこの倍近くか少なくとも5割増しにはなるかもしれません。

「音の詩人」のイメージが濃い中原中也は
すぐれて「色の詩人」であったということくらいはきっぱりと言えそうです。

 

 

中原中也の詩に現われる色の色々7

その1

「早大ノート(1930年―1937年」の次には
「草稿詩篇(1931年―1932年)」が配置されていて
13篇の詩が収められています。
この中の詩に現われる「色」はどんな風でしょうか。

「三毛猫の主の歌える」
むかし、おまえは黒猫だった。

「疲れやつれた美しい顔」
その花は、夜の部屋にみる、三色菫(さんしきすみれ)だ。

「Tableau Triste」
それは、野兎色のランプの光に仄照らされて、

「青木三造」
かすかに青き空慕い

あおにみどりに変化(へんげ)すは

飲んで泡吹きゃ夜空も白い
  白い夜空とは、またなんと愉快じゃないか

「脱毛の秋 Etudes」
それは、蒼白いものだった。

僕は一つの藍玉を、時には速く時には遅くと

僕は僕の無色の時間の中に投入される諸現象を、

無色の時間を彩るためには、

まず、褐色の老書記の元気のほか、

瀝青(チャン)色の空があった。

女等はみな、白馬になるとみえた。

僕は褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)を一つ欲した。

「幻 想」
手套はその時、どんなに蒼ざめているでしょう

「秋になる朝」
ほのしらむ、稲穂にとんぼとびかよい

「お会式の夜」
吐く息は、一年の、その夜頃から白くなる。

「修羅街挽歌 其の二」
暁は、紫の色、

金色の、虹の話や
蒼窮を、語る童児、

「脱毛の秋 Etudes」「幻 想」「修羅街挽歌 其の二」に現われる「色」の一部を除いて
ほとんどは形容詞的な「色」といえるでしょうか。

「脱毛の秋 Etudes」に現われる
無色の時間、とか
褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)、とかは
単純な叙述の色のようですが、
叙述を超えるものが込められているのでしょうか?

女等はみな、白馬になるとみえた。(「脱毛の秋 Etudes」)や
手套はその時、どんなに蒼ざめているでしょう(「幻 想」
金色の、虹の話や 蒼窮を、語る童児、(「修羅街挽歌 其の二」)には
立ち止まって考えさせるものがあります。

その2

「ノート翻訳詩(1933年)」の翻訳詩とは
中原中也がノートの表紙にそう記していて
中のページには自ら訳した詩14篇を記しているその詩のことです。
全集編集委員会がそのノートを「ノート翻訳詩」と命名ました。
「ノート小年時」と同種のノートが使われています。

このノートの翻訳詩は第3巻「翻訳」に「未発表翻訳詩篇」として収録されるため
「未発表詩篇」のこの「ノート翻訳詩」には
創作詩だけを収録しています。
「ノート翻訳詩」に書かれた創作詩という意味になります。

全部で9篇あり
全作が1933年(昭和8年)の制作(推定)に集中しています。

この9篇の詩に現われる「色」を見てみましょう。

(土を見るがいい)
土は水を含んで黒く
のっかってる石ころだけは夜目にも白く、

風は吹き、黒々と吹き

「小 景」
夕陽を映して銹色をしている。

「Qu'est-ce que c'est?」
黒々と森が彼方にあることも、

9篇のうちの3篇に「色」は現われますが
これといって突出した使い方は見られません。

 

風は吹き、黒々と吹き―(土を見るがいい)
夕陽を映して銹色―「小 景」
――も、想像の範囲に入ります。
想像することは容易です。

その3

「草稿詩篇(1933年―1936年)」には
65篇の詩が収められていますから
草稿詩篇という分類で詩数が最多です。

ちなみに詩数の多い大分類を見れば
「山羊の歌」は44篇
「在りし日の歌」は58篇
「生前発表詩篇」は40篇
「ノート1924」は51篇
「早大ノート」は42篇などとなっています。

26歳(1933年)から29歳(1936年)までの詩が収録されています。
30歳で亡くなる詩人の未発表詩篇で
「晩年」の詩が通覧できることになります。

それらの詩篇に現われる「色」を見ましょう。

(ああわれは おぼれたるかな)
けなげなる小馬の鼻翼
紫の雲のいろして

(形式整美のかの夢や)
我や白衣の巡礼と

(とにもかくにも春である)
薔薇色の埃りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。

「夏過けて、友よ、秋とはなりました」
僕は酒場に出掛けた、青と赤との濁った酒場で、

「いちじくの葉」
葉は、乾いている、ねむげな色をして

空はしずかに音く、
※「音く」は、「青く」「暗く」「沓く」などの誤記と推定されています。

(小川が青く光っているのは)
小川が青く光っているのは、
あれは、空の色を映しているからなんだそうだ。

あの唇黒い老婆に眺めいらるるままに。

レールが青く光っているのは、
あれは、空の色を映して青いんだそうだ。

「朝」
かがやかしい朝よ、
紫の、物々の影よ、
つめたい、朝の空気よ、
灰色の、甍よ、
水色の、空よ、
風よ!

風よ!
水色の、空よ、
灰色の、甍よ、
つめたい、朝の空気よ、
かがやかしい朝
紫の、物々の影よ……

「秋岸清凉居士」
あれはなんとかいう花の紫の莟みであったじゃろ

あれはなんとかいう花の紫の莟か知れず

いつの日か手の掌(ひら)で揉んだ紫の朝顔の花の様に

「悲しい歌」
蝦茶色の憎悪がわあッと跳び出して来る。

みんな貯まっている憎悪のために、
色々な喜劇を演ずるのだ。
※「色々な」には傍点が振られています。

(海は、お天気の日には)
海は、お天気の日には、
金や銀だ。

「星とピエロ」
銀でないものが銀のように光りはせぬ、青光りがするってか
そりゃ青光りもするじゃろう、銀紙じゃから喃(のう)
向きによっては青光りすることもあるじゃ、いや遠いってか

「誘蛾燈詠歌」
それではもう、僕は青とともに心中しましょうわい
くれないだのイエローなどと、こちゃ知らんことだわい
流れ流れつ空をみて赤児の脣(くち)よりなお淡(あわ)く

吹雪は瓦斯の光の色をしておりました

(一本の藁は畦の枯草の間に挟って)
空は青く冷たく青く
玻璃にも似たる冬景であった

ここまでで半分くらいを読みました。
読んだといっても
「色」の記述を拾っただけのことです。

 

ここにきて
中原中也の「色」の使い方の特徴について
なんらかのことが言えそうな気がしてきましたが
それは「草稿詩篇(1933年―1936年)を全部読んでからにします。

 

 

 

中原中也の詩に現われる色の色々6

その1

「ノート小年時」は
昭和2年から同5年6月15日まで
中原中也が使用していたと推定されているノートで
16篇の詩が記されてあります。

鉛筆で「小年時」とノートの表紙に書かれていることから
角川全集編集者が呼び習わしたものです。

アルチュール・ランボーの散文詩「少年時」に因(ちな)んで
ネーミングしたことがあきらかですが
中原中也は「少年時」というタイトルの詩を二つ書いたり
「山羊の歌」の第2章の章題とするなど
少年(小年)時代への強いテーマ意識(愛着)を持っていたことが知られています。

未発表詩篇「ノート小年時」に現われる「色」を
ピックアップしてみましょう。

「冷酷の歌」
恰度紫の朝顔の花かなんぞのように、

人は思いだすだろう、その白けた面の上に

「倦怠」
この真っ白い光は、

「夏は青い空に……」
夏は青い空に、白い雲を浮ばせ、

青空は、白い雲を呼ぶ。

白き雲、汝(な)が胸の上を流れもゆけば、

「木陰」
夏の昼の青々した木陰は

「夏の海」
浪は金色、打寄する。

「追懐」
私は此処にいます、黄色い灯影に、

「夏と私」
真ッ白い嘆かいのうちに、

真ッ白い嘆きを見たり。

16篇のうちの3~4割が
後で推敲されて発表されていますから
「生前発表詩篇」の中の詩の異形態であり
見覚えのあるものが随分あります。

「色」という角度では
特に目立つものはありませんが
だからといって「ノート小年時」によい詩が少ないなどということを帰納できるものではなく
またその逆を言えるものでないことを
くれぐれもカン違いしないでください。

その2

「早大ノート(1930年―1937年」には
およそ7年の間に制作された42篇の詩が収められています。
すべての詩は未発表です。

ノートは第1ページから最終ページへと
整然と書き進められたものではなく
日時によってあっちこっちから書き起こされた形跡があって
これに全集編集委員会は綿密な考証を加えた結果

第1詩群=昭和5年9月~同6年9月中旬(制作推定)
第2詩群=昭和6年9月22日~同6月10日(制作推定)
第3詩群=昭和7年(制作推定)
第4詩群=昭和7年秋~同11年9月(制作推定)
第5詩群=昭和11年9月末~同11年10月1日(制作推定)
第6詩群=昭和12年4月15日~同12年5月14日(制作推定)
――という六つの詩群に分類しました。

第5詩群は、「酒場にて(初稿)」「酒場にて(定稿)」の2篇、
第6詩群は、「こぞの雪今いづこ」の1篇だけしかありませんが
「晩年」の作品を含んでいるということに引かれます。

「こぞの雪今いづこ」は
長男・文也死後に作られた詩です。

これらの詩の中に現われる「色」をピックアップしましょう。

「干物」
外苑の舗道しろじろ、うちつづき、

「いちじくの葉」
いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、

夕空に、くろぐろはためく

(風のたよりに、沖のこと 聞けば)
しらじらと夜のあけそめに、

雨風に、しらんだ船側(ふなばた)、

「悲しき画面」
それは、野兎色のランプの光に仄照(ほのて)らされて、

(吹く風を心の友と)
げんげの色のようにはじらいながら遠くに聞こえる

(秋の夜に)
世界は、呻き、躊躇し、萎み、
牛肉のような色をしている。

「コキューの憶い出」
あかあかと、あかあかと私の画用紙の上は、

「細 心」
白の手套(てぶくろ)とオリーヴ色のジャケツとを、

「秋の日曜」
青い空は金色に澄み、

(汽笛が鳴ったので)
白とオレンジとに染分けていた。

空は青く、飴色(あめいろ)の牛がいないということは間違っている。

僕の眼も青く、大きく、哀れであった。

(南無 ダダ)
青い傘
  植木鉢も流れ、

42篇にしては
「色」が現われる詩の数は少なく
その中でも目を引くのは

野兎色のランプの光
牛肉のような色
青い空は金色に澄み

――くらいでしょうか。

 

 

中原中也の詩に現われる色の色々5

その1

「ノート1924」は
中原中也が残した最も古いノート。
これを使用していた時期に
長谷川泰子と同棲し
京都を訪れた富永太郎と知り合っています。

使用されたのは京都時代ばかりではなく
上京して、幻となった第1詩集を編集した昭和2~3年にも使用されています。

ダダから脱け出そうとしていた過渡期の作品といえる時期に
「浮浪歌」以下7篇がこのノートに記されました。

そこに現われた「色」を拾います。

「浮浪歌」
こんなに暖い土色の
代証人の背の色

「無題」
あなたより 白き虹より

(秋の日を歩み疲れて)
川果の 灰に光りて

「秋の日」
秋の日は 白き物音

黒き石 興をおさめて

「無題」
緋のいろに心はなごみ

金色の胸綬(コルセット)して

死の神の黒き涙腺

緋の色に心休まる

この時期にはまた泰子との別離がありました。
泰子は小林秀雄のもとへと去りました。
その影響が「色」にあるかどうか。
とうていそんなことは突き止められませんが
詩に変化が見られることは確かです。

とはいえ「むなしさ」や「朝の歌」がすでに歌われていたにもかかわらず
ダダの匂いがぷんぷんしています。

「死の神の黒き涙腺」など
ダダそのものですが
詩の方向はダダならぬものにありました。

その2

「草稿詩篇(1925年―1928年)」として分類・整理された詩篇は
19篇があります。

草稿とは
下書きとか草案とかメモとかの意味で
要するに「原稿」のことで
清書されたり、印刷されたりする以前の状態の
肉筆原稿である場合が多いことを示しています。

冒頭に配置された「退屈の中の肉親的恐怖」は
書簡の中に書かれていたものです。

中原中也が残した書簡の中で最も古いと推定されている
大正14年(1925年)2月23日付け正岡忠三郎宛の中に記されたもの。
ノート以外に残った詩篇の最古のものということでもあります。

この書簡は
当時、京都帝国大学の1年生であった正岡に
新住所を知らせるものでした。
この住まいに詩人は
長谷川泰子と2週間ほど暮らした後に上京します。

次に置かれた「或る心の一季節」は
したがって東京で書かれたものです。
19篇の詩篇のそれぞれには
この種の由来があります。

「草稿詩篇(1925年―1928年)」の詩に現われた
「色」をピックアップします。

「退屈の中の肉親的恐怖」
此の日白と黒との独楽廻り廻る

茶色の上に乳色の一閑張は地平をすべり

「或る心の一季節」
其処に安座した大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔を、又整頓を知らぬ口角を、樺色の勝負部屋を、私は懐しみを以て心より胸にと汲み出だす。

だが、それを得たる者の胸に訪れる筈の天使はまだ私の黄色の糜爛の病床に来ては呉ない。

此所から二里近く離れた私の住居である一室は、夜空の下に細い赤い口をして待っているように思える――

「かの女」
露じめる夜のかぐろき空に、

「少年時」
彼の女の溜息にはピンクの竹紙。
それが少し藤色がかって匂うので、
私は母から顔を反向ける。

「夜寒の都会」
この洟色の目の婦(おんな)、

黄銅の胸像が歩いて行った。

私は沈黙から紫がかった、
数箇の苺(いちご)を受けとった。

「無題」
その小児は色白く、水草の青みに揺れた、
その瞼(まぶた)は赤く、その眼(まなこ)は恐れていた。

「春の雨」
ほの紅の胸ぬちはあまりに清く、

「屠殺所」
六月の野の土赫(あか)く、

「夏の夜」
吊られている赤や緑の薄汚いランプは、

蔦蔓が黝々(くろぐろ)と匐いのぼっている、

結局私は薔薇色の蜘蛛だ、夏の夕方は紫に息づいている。
 
「冬の日」
冷たい白い冬の日だった。

ほのかな下萠(したもえ)の色をした、

下萠の色の風が吹いて。

「幼なかりし日」
青空を、追いてゆきしにあらざるか?

「秋の夜」
森が黒く
空を恨(うら)む。

「草稿詩篇(1925年―1928年)」の後半には
計画していて未完に終わった第1詩集のための作品群があります。
みな昭和2年―3年の制作と推定されています。

だからといって
これらに現われる「色」に特徴があるかどうかなどを
あげつらうことはできません。

 

私は薔薇色の蜘蛛だ、夏の夕方は紫に息づいている。
――という「夏の夜」の色は
それにしても、鮮烈!
目の覚めるようなインパクトがあります。

中原中也の詩に現われる色の色々4

その1

中原中也は詩集「山羊の歌」「在りし日の歌」に発表した詩のほかに
文芸誌・詩誌や雑誌・新聞などのメディアに多くの詩を発表しました。
これを発表年月順にまとめたものが「生前発表詩篇」です。

短歌を除いた「生前発表詩篇」に現われる「色」を
続けて見ていきましょう。

「夏と私」
真ッ白い嘆かいのうちに、

真ッっ白い嘆きを見たり。

「ピチベの哲学」
色蒼ざめたお姫様がいて……

「寒い!」
自動車の、タイヤの色も寒々と

鈍色(にびいろ)の空にあっけらかん。

「雨の降るのに」
顔はしらんで
あぶらぎり

「落日」
褐(かち)のかいなをふりまわし、ふりまわし、

「倦怠」
倦怠の谷間に落つる
この真ッ白い光は

「夏の明方年長妓が歌った」
空が白んだ、夏の暁(あけ)だよ

「夢」
黒い 浪間に 小児と 母の、
白い 腕(かいな)の 踠(もが)けるを 見た。

「秋を呼ぶ雨」
窓が白む頃、鶏の声はそのどしゃぶりの中に起ったのです。

その煙突は白く、太くって、傾いていて、

墓石のように灰色に、雨をいくらでも吸うその石のように、

「漂々と口笛吹いて」
褐色(かちいろ)の 海賊帽子 ひょろひょろの

野分(のわき)の 色の 冬が 来るのサ

「郵便局」
手をお医者さんの手のようにまで、浅い白い洗面器で洗い、

「幻想」
空は晴れ、大地はすっかり旧に復し、野はレモンの色に明(あか)っていた。

「かなしみ」
白き敷布のかなしさよ夏の朝明け、

何事もなくただ沈湎の一色に打続く僕の心は、悲しみ呆けというべきもの。

青い卵か僕の心、

真白き時計の文字板に、

悲しみばかりの藍の色、

「或る夜の幻想」(1・3)
かわたれどきの色をしていた

「道化の臨終」
清浄こよなき漆黒のもの、
暖(だん)を忘れぬ紺碧を……

紫色に 泣きまする。

「夏日静閑」
用務ありげな白服の紳士が乗っていた。

40作品を一気に読んでしまいました。

「色」のことを忘れそうになるほど
面白い詩がわんさかあるのを改めて知りますが
ここでは「色」から目を離しません。

めぼしいものだけを拾っておきますと……。

真ッ白い嘆かい
真ッっ白い嘆き
褐(かち)のかいな
野分(のわき)の 色の 冬
野はレモンの色に
白き敷布のかなしさ
青い卵
悲しみばかりの藍の色
かわたれどきの色
紫色に 泣き

時折、目が釘付けになる使い方があります。

その2

詩集「山羊の歌」「在りし日の歌」や「生前発表詩篇」は
詩人自らの意志で発表したものですが
どこにも発表されなかった完成作品や未完成作品を
一つにまとめたのが「未発表詩篇」というカテゴリーです。

「未発表詩篇」は
まず作品がどのような形で残されたか
ノートである場合や原稿用紙である場合などがありますが
それらの形によって分類され
そうした分類の中で制作日時順に整理されています。

もっとも古いものが「ダダ手帖」ですが
これは形としては残されていない形です。
戦争で消失してしまったノートの中の詩が
消失する前に論評され発表されていたために残った作品で
「タバコとマントの恋」「ダダ音楽の歌詞」という二つの詩があります。

ここに「色」は現われません。

次は「ノート1924」というこれも京都で作られたダダ時代の作品ノートですが
なかなか「色」は現われません。
6番目の「自滅」に初めて
俺は灰色のステッキを呑んだ
――と登場します。

以下、

「倦怠に握られた男」
灰色の、セメント菓子を噛みながら

「想像力の悲歌」
赤ちゃけた
麦藁帽子をアミダにかぶり

「春の夕暮」
アンダースロウされた灰が蒼ざめて

ポトホトと蝋涙に野の中の伽藍は赤く

「幼き恋の回顧」
ソーセージが
紫色に腐れました――

(何と物酷いのです)
あの白ッ、黒い空の空――

あんなに空は白黒くとも
あんなに海は黒くとも

「旅」
青い紙ばかり欲しくて
それなのに唯物史観だった

「呪詛」
黒い着物と痩せた腕

「冬と孤独と」
黒い雪と火事の半鐘――

――と、ここまでが1924年(大正13年)に
京都で作られた純ダダ詩に現われる「色」ですが
現われる頻度はかなり小さいことが分かります。

あったとしても
ほぼ「写実の色」をひとひねりしたような単純な修辞の域
もしくは難解であるばかりの域などにとどまります。

中原中也のダダに
「色」は入り込みにくい何かがあったと言えるのでしょうか。
そんなこと言えないのでしょうか。
まったく偶然のことでしょうか。

そうでありながら、

 

灰色の、セメント菓子
白ッ、黒い空の空
空は白黒く
青い紙
黒い雪
……などの快活で輪郭のはっきりした表現が続いています。

 

中原中也の詩に現われる色の色々3

その1

中原中也は生涯に
およそ370篇の詩(短歌を除く)を残しています。
「山羊の歌」44篇に現われた「色の色々」を眺めてみただけですから
まだ1割余りしか見ていないことになります。

これは「研究の成果」ではなくぶっつけ本番
いきあたりばったりの即興に近い
素人の「傾向分析」ですから
気楽に読んでください。

今、手にしているのは
角川ソフィア文庫の「中原中也全詩集」です。
中原中也の詩をすべて収録した文庫詩集は
この角川ソフィア文庫と
講談社文芸文庫の「中原中也全詩歌集」(上下)がありますが
一冊本のソフィア文庫版が持ち歩きには便利なので
これを使用する機会が多く
表紙は擦り切れ、カバーはなくなってしまっています。

全集に手の届かない人は
このどちらかを持っていると
未発表詩篇を含めた中原中也の全詩を読めますから
ぜひ手に入れてください!   

それでは「在りし日の歌」の「色」を見ていきます。
現代かな遣いで表記します。

「含羞(はじらい)」
秋 風白き日の山かげなりき

姉らしき色 きみはありにし

「むなしさ」
白薔薇の造花の花弁

「早春の風」
きょう一日また金の風
大きい風には銀の鈴

鳶色の土かおるれば

青き女(おみな)の顎か(あぎと)と

「月」
姉妹は眠った、母親は紅殻(べんがら)色の格子を締めた!

「青い瞳」
青い瞳は動かなかった、

私はいま此処にいる、黄色い灯影に。

碧い、噴き出す蒸気のように。

「三歳の記憶」
樹脂(きやに)が五彩に眠る時、

土は枇杷いろ 蝿が唸く。

「六月の雨」
菖蒲のいろの みどりいろ

「雨の日」
鳶色の古刀の鞘よ、

煉瓦の色の憔心の

賢しい少女(おとめ)の黒髪と、

「春」
厳めしい紺青(こあお)となって空から私に降りかかる。

「春の日の歌」
黄色い 納屋や、白の倉、

「夏の夜」
桜色の 女が通る

霧の夜空は 高くて黒い。

「幼獣の歌」
黒い夜草深い野にあって、

「この小児」
野に
蒼白の
この小児。

黒雲空にすじ引けば、
この小児
搾る涙は
銀の液……

青空をばかり――

ピックアップするだけで
けっこう手間がかかりますが
見えてくるものも少なくありません。

少しづつやっていけば
いつかは終わり(ゴール)が見えます。

「この小児」は
妖精コボルトが遊んでいる空に
子どもが銀の涙を湛えて現われる
一風変わった詩ですが
4連の各連に「空」があり
その空に色々な「色」が配されて目を引きます。

空と色が絡みあっています。

その2

「在りし日の歌」に現われる
「色」のピックアップを進めましょう。

姉らしき色
金の風、銀の鈴
青き女(おみな)
厳めしい紺青(こあお)
桜色の 女が通る
……などにコメントしたくなりますが
先に進めましょう。

「白血球」は色か? などと
ささいな疑問にひっかかり
これを色に分類しないのは
「青空」は色とし「赤ん坊」は色としないことにするのと同じです。

2013年の今日(1月18日)
関東地方南部は「厳めしい紺青(こあお)」の空が広がり
遅い目覚めの床を襲いました。

大寒(1月20日)の前というのに
春の陽射しです。

「冬の日の記憶」
北風は往還を白くしていた。

「冷たい夜」
心は錆びて、紫色している。

「冬の明け方」
やがて薄日が射し
青空が開(あ)く。

「秋の消息」
けざやけき顥気の底に青空は

「骨」
しらじらと雨に洗われ

ただいたずらにしらじらと

骨はしらじらととんがっている。

「秋日狂乱」
空の青も涙にうるんでいる

「朝鮮女」
肌赤銅の乾物(ひもの)にて

「夏の夜に覚めてみた夢」
ユニホームばかりほのかに白く――

蒼々として葉をひるがえし

「春と赤ン坊」
薄桃色の、風を切って……
走ってゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)

「雲雀」
碧(あーお)い 碧(あーお)い空の中

あーおい あーおい空の中

「初夏の夜」
大河(おおかわ)の、その鉄橋の上方に、空はぼんやりと石盤色であるのです。

「閑寂」
土は薔薇色、空には雲雀

「思い出」
お天気の日の、海の沖は
まるで、金や、銀ではないか

煉瓦干されて赫々していた

「残暑」
畳ももはや 黄色くなったと

「曇天」
黒い 旗が はためくを 見た。

いまも 渝(かわ)らぬ かの 黒旗よ。

「蜻蛉に寄す」
赤い蜻蛉が 飛んでいる

「ゆきてかえらぬ」
ポストは終日赫々(あかあか)と、

風信機(かざみ)の上の空の色、時々見るのが仕事であった。

さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いていた。

「言葉なき歌」
とおくとおく いつまでも茜の空にたなびいていた

「月の光 その二」
とても黒々しています

「村の時計」
おとなしい色をしていた

「或る男の肖像」
齢(とし)をとっても髪に緑の油をつけてた。

――幻滅は鋼(はがね)のいろ。

髪毛の艶(つや)と、ランプの金との夕まぐれ

「正午」
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口

「光」の表現と「色」が
微妙に絡(から)まっていて
分別するのが難しいのですが
文字・言葉として形にされたかどうかで一線を引きました。

線を引けない表現もあります。

中原中也の詩に現われる色の色々2

その1

「山羊の歌」をみるだけでも
24作品に「色」が現われています。
「山羊の歌」は44作品を収めた詩集ですから
5割以上に「色」が露出しているということになります。

文字として、言葉として現われた「色」だけで
このような状態なのです。

「雪」とか「曇天」とか
「夜」とか「森」とか
色は顕在しなくとも表現することが可能ですから
これらを含めれば
もっともっと多彩な「色の世界」が広がっているのかもしれません。

しかし、そこまで含めると
どんな詩も多彩ということが言えてしまいそうですから
詩の中に言葉として文字として現われた「色」だけを
見ていくことにします。

ここまで見て
何か特徴的なことがあるかというと
色々なことがいえそうです。

「サーカス」の
「茶色い戦争」と「白い灯」では
「茶色い」と「白い」の使い方は別のもののようです。
「戦争が茶色い」という言い方と「灯が白い」という言い方は
色が特定されるはずもない戦争を茶色いと表現したのに対し
灯が白い状態は現実上よくあることです。

「春の夜」の
「桃色」「砂の色」「蕃紅色(サフランいろ)」も
現実に存在する色をそのまま表現していますから
「サーカス」の「白」と同じです。

「朝の歌」の
「朱(あか)きいろ」「はなだ色」も同じ使い方ですが
「はなだ色」はめずらしい言い方。
「臨終」の「鈍色(にびいろ)」も
ややめずらしいボキャブラリーになります。

「秋の一日」の
「花崗岩のかなたの目の色」。
これはなかなか難解です。
詩全体の中でしか理解できません。
象徴化の詩法が使われています。

「冬の雨の夜」の「密柑の色」
「凄じき黄昏」の「銀紙(ぎんがみ)色」
「夕照」の「慈愛の色」「金のいろ」 
「宿酔」の「白っぽく銹(さ)びている) 
「少年時」の「黝い」「朱色」「灰色」。
「盲目の秋」の「紅」
「わが喫煙」の「白」
「妹よ」の「黒」
「木蔭」の「青」
「心象」の「白」

これらもみんな象徴という技で使われています。
「木蔭」の「青」は
写実的な使い方とも言えますが
青は青である以上の意味合いを持っています。

その2

「色」が言葉にされたとき
その詩の作り方によって
現実の色をそのまま叙述(写実)しようとしていたり
メタファーとして使ってみたり
象徴表現としたり
まさに色々です。

「色」は
詩から独立しているものでない以上
詩全体の中の「色」でしかないことは言うにおよびません。

「みちこ」の「あおき浪」「磯白々と」は
詩全体が喩(メタファー)に仕立てられているなかで
叙述の色。

後半に出てくる「頸(うなじ)は虹」や「なみだぐましき金(きん)」は
叙述を一歩はみだしています。

「更くる夜」の「真っ黒い武蔵野の夜」は
字義通りの黒。

「秋」の「鈍い金色」も同じ。
「真鍮の光沢」は直喩。
「沼の水が澄んだ時かなんかのような色」も直喩の域内でしょう。

「修羅街輓歌」の「空は青く」も
まったくストレートな叙述です。
「雪の宵」の「赤い火の粉」も同じ。
「時こそ今は……」の「群青(ぐんじょう)」も同じ。
「羊の歌」の「密柑の色」もなんらのダブルミーニングを持ちません。
「憔悴」の「空は青いよ」もそのまんまの青です。
「虹」もそのまんまの虹。

「山羊の歌」の「色」を見てきて
印象に残ったのは何ですか?

茶色い戦争
はなだ色
花崗岩のかなたの目の色。
秋空は鈍色(にびいろ)
……
これくらいでしょうか。

 

「茶色い戦争」なんてのは
この1語で中原中也を思わせるほどの浸透力で
日本人の間に広がっています。
「サーカス」の中の1語であるにもかかわらず
サーカスよりも強いインパクトで
人々の頭の中に刻まれているといってよいほどに。

 

中原中也の詩に現われる色の色々1

その1

中原中也は実に色々な色を
詩の中に登場させています。

「色」とか「いろ」と表記されていたり
「色の名前」だけがあるものだったりします。

「山羊の歌」から拾ってみますと……

「春の日の夕暮」
アンダースローされた灰が蒼ざめて 

「サーカス」
茶色い戦争ありました。

それの近くの白い灯が

「春の夜」
一枝の花、桃色の花。砂の色せる絹衣。

蕃紅色(サフランいろ)の湧きいずる

「朝の歌」
天井に朱(あか)きいろいで 
空は今日 はなだ色らし

「臨終」
秋空は鈍色(にびいろ)にして 

白き空盲(めし)いてありて
白き風冷たくありぬ

「秋の一日」
花崗岩のかなたの目の色。 

「冬の雨の夜」
竟(つい)に密柑の色のみだった?…… 

「凄じき黄昏」
銀紙(ぎんがみ)色の竹槍の 

「夕照」
落陽は、慈愛の色の
金のいろ。 

「宿酔」
もう不用になったストーブが
白っぽく銹(さ)びている。 

「少年時」
黝い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡っていた。 

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。

「盲目の秋」
その間、小さな紅の花が見えはするが、

「わが喫煙」
おまえのその、白い二本の脛(あし)が、

「妹よ」
湿った野原の黒い土、短い草の上を

「木蔭」
夏の昼の青々した木蔭は

「心象」
白き天使のみえ来ずや

その2

「色」とか「いろ」と表記されていたり
「色の名前」があるものだけを
「山羊の歌」から拾って「少年時」の章までパラパラめくってみました。

「山羊の歌」は
「初期詩篇」
「少年時」
「みちこ」
「秋」
「羊の歌」
――という章立てであることを
今更ながら確認します。
「みちこ」の章から続けます。

現代かな表記にしてあります。

「みちこ」
はるかなる空、あおき浪、

磯白々とつづきけり。

しどけなき、なれが頸(うなじ)は虹にして

海原はなみだぐましき金(きん)にして夕陽をたたえ

「更くる夜」
昔ながらの真っ黒い武蔵野の夜です。

「秋」
鈍い金色を滞びて、空は曇っている、――相変わらずだ、――

みょうに真鍮の光沢かなんぞのような笑を湛えて彼奴は、

彼の目は、沼の水が澄んだ時かなんかのような色をしてたあね。

「修羅街輓歌」
空は青く、すべてのものはまぶしくかがやかしかった……

「雪の宵」
赤い火の粉も刎ね上る。

「時こそ今は……」
暮るる籬(まがき)や群青(ぐんじょう)の

「羊の歌」
かの女の心は密柑の色に

「憔悴」
今日も日が照る 空は青いよ

空に昇って 虹となるだろうとおもう……

雪といえば白
夜は黒
まっ暗も黒
光は無色? 輝いている色?
曇天はグレー
……

ここではこれらは除外しました。
これらを挙げていけば
言葉に色がないものなんてありませんから。

 

「在りし日の歌」「生前発表詩篇」「未発表詩篇」についても
しつっこく「色」だけを見ていきます。

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