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きらきら「初期詩篇」の世界

<きらきら「初期詩篇」の世界 インデックス>

中原中也インナープラネットで連載のアーカイブです>

「臨終」
2「臨終」番外篇「むなしさ」
3「臨終」番外篇「かの女」「春と恋人」
4「秋の一日」
5「深夜の思い」
6「冬の雨の夜」
7「帰郷」
8「凄じき黄昏」
9「夏の日の歌」
10「夕照」
11「ためいき」
12「宿酔」

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きらきら「初期詩篇」の世界/12「宿酔」

その1

「初期詩篇」は
「ためいき」の後に
「春の思い出」「秋の夜空」「宿酔」の3作を配置して閉じます。

これら3作は
まるで「ためいき」の反発から置かれたような作品です。

「秋の夜空」は
近景から遠景への視点移動であるために
事態をしばし把握しかねたその後に
星々(や月)の輝き競う様子が擬人化され
夫人たちの宴として幻想された世界であることを了解しました。

そのうえ遠近が倒置されていたようで
「理屈」でとらえようとすると分かりにくかったのですが
冒頭の1行のセリフに誘(いざな)われ
いきなり宴の中に立たされるので
すんなりと詩世界へなじむことができました。

これはマジックにあったようなことでした。

「宿酔」も
「秋の夜空」のマジックがきいているかのような詩です。

宿 酔

朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
  白っぽく銹(さ)びている。

朝、鈍い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

4行×3連の構成。
第1連と第3連は全く同一の詩句、ルフランですから
全体はきわめてシンプルな作りです。

目前に見ている現実の風景(空)が
「喩(ゆ)」によって
一瞬にして天使のバスケットボールに変じるのは
「秋の夜空」が夫人たちの宴に変じるのと似ていますが
こちらの作りは単純です。

「喩」が見事に決まったために
こちらも詩の中に入るのに
抵抗感はまったくありません。

この詩もタイトルが
利いているのです。

「ふつかよい」か「しゅくすい」か――。

遅い朝を起き出した詩人が見ているのは
鈍い日。

快晴でもなく
曇天でもなく
ぼんやりと明るい空で
風だけが元気に活動しています。

昨夜の酒が残っていて
景色を観賞したり
もの思いにふけったりする以前の状態をとらえました。

風が
あたかも天使のバスケットボールに見えたのです。

その2

「サーカス」の空中ブランコから
「秋の夜空」の夫人たちの宴、影祭りへ……。
こちらが夜空に浮かびあがるパノラマならば

「朝の歌」の「ひろごりてたいらかの空」は
きえてゆくうつくしき夢。

「宿酔」の朝は
鈍い日に吹き渡る風の中に
千の天使のバスケットボールを詩人に幻視させます。

宿 酔

朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
  白っぽく銹(さ)びている。

朝、鈍い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「宿酔」に「初期詩篇」の掉尾(とうび)を飾らせたわけが
すこし見えてきたような気がします。

ここで、初期詩篇22篇を
歌っている内容の「時間帯」だけで分類してみましょう。
詩集の順序に沿って見てみます。

夕方、落日の歌なら
「春の日の夕暮」や「黄昏」「凄じき黄昏」「夕照」「春の思い出」

夜の歌なら
「月」「サーカス」「春の夜」「都会の夏の夜」「深夜の思い」「冬の雨の夜」「ためいき」「秋の夜空」

昼の歌なら
「帰郷」「逝く夏の歌」「夏の日の歌」

朝の歌なら
「朝の歌」「臨終」「秋の一日」「悲しき朝」「港市の秋」「宿酔」

――となるでしょうか。

この上に春夏秋冬が歌い分けられているのです。

それぞれの詩が扱う時間帯にはもちろん「幅」があります。
「帰郷」は朝か昼か夕方か判定しがたい作品です。
「ためいき」は夜から夜明け、翌日の昼までを歌います。

朝であれ昼であれ夕方であれ夜であれ
中也の詩には「空」が頻繁に現われます。

「宿酔」は
メッセージを強く打ち出した詩ではありません。

A―B―Aという「2部形式」ですから
第1連、第3連はまったく同一の詩行の繰り返し(ルフラン)で
ここには
鈍い日の照る「遅い朝」を迎えた詩人が
風の中に天使がバスケットボールをしているのを見るという
あり得ないイメージが「描写」されるだけです。

ここにメッセージはありません。

第2連は不思議な内容です。
目をつむると
むしろ「現実」が見えてきます。

ここは目をつむらなくとも見えるはずの景色なのに
目をつむるのです。

不用になったストーヴが/白っぽく銹(さ)びている。
――という景色は
詩人のいる部屋に見えるはずにもかかわらず。

ここにも
たくまれた「転倒」の技があり
メッセージはここに潜んでいます。

 

その3

千の天使が/バスケットボールする。
――というのは、「喩」ですから
空で実際に天使たちがバスケットボールしているのが見えたわけではありません。

宿 酔

朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
  白っぽく銹(さ)びている。

朝、鈍い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

二日酔いの頭が「めまい」を覚えて
俗に、目がチカチカするといい
医学的には、
眼精疲労とか偏頭痛とか閃輝暗点(せんきあんてん)とかという状態になって
それをバスケットボールが弾んでいる情景に喩えたのでしょう。

それをジョーク気味に使ったものに過ぎず
詩的表現などと詩人は考えてもいなかったはずです。

それよりも
朝、鈍(にぶ)い日が照ってて/風がある。
――という2行の
何の変哲もないような言葉使い!

照ってて
――という舌足らずの意図的な使用!

風がある
――だけで、詩になってしまう!

この平凡な詩行が
「天使たちのバスケットボール」を際立たせています。

第2連の
目をつむると見えるかのようなストーブも
このマジックのような措辞(そじ)が生み出すものです。

部屋の片隅に
もう不用になったストーブが/白っぽく銹びている。
――のを、詩人は瞑目(めいもく)して見ます。

そこに厳然としてあるはずのストーブを
目をつむって見たかのような作りです。

かつて「朝の歌」で歌った場面と「宿酔」の場面は
似ているようで似ていません。

それは
「はなだ色の空」と「鈍い日が照ってる空」の違いばかりではないようです。

 

その4

「朝の歌」の喪失感や倦怠感と同じようなものが
「宿酔」にも流れていることは確かですが
同じような場面を歌って
孤独感・疎外感がくっきりしたのは「宿酔」のほうで
「椅子を失くした」と歌った「港市の秋」に近くなっています。

「朝の歌」は「文語ソネット」
「宿酔」は「口語2部形式」というのも決定的な違いです。

「宿酔」も定型への意識は崩していないものの
「照っていて」としないで「照ってて」とし
(「バスケットボールをする」としないで「バスケットボールする」とし)
行儀正しい言葉を排して会話体を選びましたし
「風がある」とぶっきらぼうなほどシンプルに仕立てたところなどに
「朝の歌」から離れようとする意志が感じられます。

宿 酔

朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
  白っぽく銹(さ)びている。

朝、鈍い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「宿酔」というタイトルも
「しゅくすい」と音読みにするよりは
「ふつかよい」と日常使われている「音(おん)」で読ませたいはずですし
「ふつかよい」の方が
若々しく強く俗っぽいし
……

「初期詩篇」が
「春の思い出」
「秋の夜空」
「宿酔」の3作品で閉じられた意図も浮かび上がってきます。

「宿酔」は
「山羊の歌」の全ての詩の中で
「羊の歌」と「いのちの声」とともに
草稿と初出誌がない作品です。
(「新全集」詩Ⅰ・解題篇)

3作品は、この詩集が編まれる中で作られたことを示すものです。

「初期詩篇」の掉尾(とうび)を飾る作品として
「宿酔」が制作され配置されたということは
「羊の歌」「いのちの声」が
「山羊の歌」の最終詩として制作され配置されたことと
パラレルな位置にある(意味がある)ということになります。

詩人は後年(1936年、昭和11年)、「我が詩観」を書き
創作履歴「詩的履歴書」を添えています。

中に「朝の歌」について書いた一節があり、

大正十五年五月、「朝の歌」を書く。七月頃小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最
初。つまり「朝の歌」にてほぼ方針立つ。方針は立ったが、たった十四行書くために、こんなに手数
がかかるのではとガッカリす。

――と記しているのはよく知られたことです。

 

「山羊の歌」の編集時点から4年を経過しているときの記述ですが
この記述に「朝の歌」への評価への違和感が表明されていると感じられてなりません。

 

次項 ギロギロする目が見た/「少年時」へ続く

きらきら「初期詩篇」の世界/11「ためいき」

その1

「夕照」の最終行で
腕拱(く)みながら歩み去る。
――と歌った詩人が
くっきりと見ていたものこそ「詩」にほかなりませんが
見えていたとしても
それを「詩の言葉」にすることは
容易なことではありませんでした。

それはそれであると思ったそばから
それでなくなり
それでないと思ったそばから
それでなくなり
永遠の問いを含むような
それでいて
永遠の答えでもあるような
言葉との格闘がはじまっていました。

昭和4年7月1日発行の「白痴群」第2号に発表された「旧稿五篇」は
どの詩も「詩についての詩」という側面をもっています。

「或る秋の日」(「山羊の歌」では「秋の一日」)
「深夜の思い」
「ためいき」
「凄じき黄昏」
「夕照」
――がその5篇です。
この5篇はすべてが「初期詩篇」へ配置されました。

「白痴群」から「初期詩篇」へ配置されたのは
このほかに「冬の雨の夜」(第5号発表)があるだけです。

中でも「ためいき」は
真正面から歌われた「詩についての詩」です。

ためいき
       河上徹太郎に 
 
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。

夜が明けたら地平線に、窓が開くだろう。
荷車(にぐるま)を挽(ひ)いた百姓が、町の方へ行くだろう。
ためいきはなお深くして、
丘に響きあたる荷車の音のようであるだろう。

野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。
それはあっさりしてても笑わない、叔父(おじ)さんのようであるだろう。
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。

空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。
遠くに町が、石灰(せっかい)みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「ためいき」は
河上徹太郎への献呈詩です。

上京後まもなく小林秀雄を介して知りあった二人は
「白痴群」を牽引(けんいん)する両輪となりますが
よく詩論を戦わしました。

その交流から生れたのが「ためいき」で
「山羊の歌」中の献呈詩で河上が最初に登場するのは
上京後の中也の最も早い時期の理解者(の一人)であったからでした。

その2

昭和2年春、中也は小林秀雄の紹介で
河上徹太郎を知ります。

河上との交友が濃密に行われる中で
「スルヤ」の諸井三郎を知り
「スルヤ」メンバーの内海誓一郎を知り
今日出海を知り
関口隆克を知り
大岡昇平を知り
安原喜弘を知り
……と交友範囲を広げていきます。

河上を知った直後には
マグデブルグの半球を歌った「地極の天使」を送り
あわせて詩論を添えました。
ふだん盛んに戦わせていた表現論を
整理し河上に提示したものですが
これらの交流はやがて「白痴群」創刊(昭和4年4月)へと繋がっていきました。

「ためいき」ははじめ「白痴群」第2号に発表され
河上徹太郎への献呈詩とされたのは
昭和7年の「山羊の歌」編集時で
河上との距離は広がっていましたから
いわばメモリアルの意味もあったのでしょうか。

詩人が誕生し
詩集が生み落とされるために
河上徹太郎は出会わなければならなかった運命の一つでした。

ためいきが夜の沼へ行き
瞬きし
パチンと音をたてる

瞬きするのは瘴気の中でのことで
パチンと音をたてるときには、怨めしげであり
――という立ち上がりの3行までは
なんとかついていけますが

なぜ木々が現れ
若い学者仲間が現われるのでしょうか?
なぜそれが、頸(くび)すじのようであるのでしょうか?

「献呈」は
これが男女の間であれば
ラブレターのようなものですから
他人(読者)が入り込む余地のない個的な経験が歌われることがあって
理解を超える部分を持つものです。

「学者仲間」が現われるのは
河上という人物の固有なキャラクター(属性)からで
詩人にとって
河上は学者といえるほどに
古今東西の教養に長けたインテリでした。

周辺の学生らも
一様に繊細(せんさい)で
品のよい首筋をしていたという観察が
「ためいき」の第1連に顔を出しました。

詩の中へすんなりと入って行くためには
「夜の沼」や「瘴気」や「怨めしげ」などの暗喩を読みながら
この「学者仲間」という1点を突破しないことには
前へ進めません。

 

その3

おそらく「木々」は「学者仲間」の「頸すじ」の直喩でしょう。

それ以外はほとんどが暗喩であるのに
ここに詩の入り口を開けておかないことには
詩を読めなくなってしまいます。

では、
ためいきが夜の沼に行く
ためいきが瞬きする(瘴気の中で)
その瞬きがパチンと音をたてる(怨めしげにながれながら)
――にはどのような含意が込められているのでしょうか。

それは、詩の全体から
割り出していくほかにありません。

「ためいき」の一語さえ
「あーあ」という嘆息なのか
単なる「息」なのか
吐息(呼吸)なのか
わかりません。

それが「詩」のメタファーであることも
いまだ断定できないことです。

詩は繰り返し読まれなければ
理解することも
味わうこともできません。

ためいきが一つ出た
そのためいきが夜の沼へ行った
――は、白い息が煙草の煙か何かのように目に見えて
それが近くの沼のほうに行った、という身体現象を歌っているものではないことが
まずは見えてきますね。

木々が若い学者仲間の首すじのようであるだろう
――という行を合わせると
第1連はどうやら、
日中取り交わした談論への
反論であるとか言い残した思いとかを
その時の情景を含みながら
述べているのかなあと
ほんのり見えてくるものがありますが……。

この詩は最終行とその前の1行を除いて
全行が「だろう」で終わっています。

よく読めば
最終行以外は
「ようであるだろう」や
「そうに」「ようだ」「みたいだ」と
断定を避けた表現ばかりです。

そのことによって
「私はこう思う」という詩人の思いを
逆に訴えているともいえますが
推量の(断言しない)詩行が引き出すのは
最終行の断言です。

ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。
――は、この詩の結(論)といえるでしょう。

 

その4

「ためいき」を時間の推移ということだけで読むと

夜が明けたら
空が曇ったら
――という三つの時間が設定されています。

詩(人)の視点(の移動)ということなら
夜の沼
(地平線が開ける)窓
町(百姓の荷車が向かう)
(山の端に突き出た松が「私」を見守る)野原(気層の底のよう)
砂土
町(遠くの)
雲の中
――という構図になり、
詩(人)の視点は定位置にあるようです。

視線が移動したとしても
定位置を基点とした
遠近法の世界が維持されています。

夜の沼へ行ったためいきは瞬きして
パチンと音を立てるのですが
夜が明けてさらに深まり
今度は荷車の音になって
丘に響きあたるのです。

夜の沼で瞬きしてパチンとはぜたためいきは
百姓の挽く荷車の音になるという連続!

ためいき
       河上徹太郎に 
 
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。

夜が明けたら地平線に、窓が開くだろう。
荷車(にぐるま)を挽(ひ)いた百姓が、町の方へ行くだろう。
ためいきはなお深くして、
丘に響きあたる荷車の音のようであるだろう。

野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。
それはあっさりしてても笑わない、叔父(おじ)さんのようであるだろう。
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。

空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。
遠くに町が、石灰(せっかい)みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

ためいきの深さが音として説明されますが
荷車をひくのは百姓ですから
百姓がためいきを吐いている関係になります。

荷車の音となると
ガタゴトとかギシギシとか……
さまざまでしょうが
丘に響くというのですから
とてつもなく巨大な反響音なのでしょう。

そのような音を聞いている百姓ですから
非常な苦難の道を歩んでいるということなのでしょうか
第3連ではいつしか「私」に変じて現われます。

巨大な音と化したためいきに圧し潰されないように
百姓である「私」は、
「野原に突出た山ノ端の松」に見守られることになります。

それ(松)は、
「あっさりしてても笑わない、叔父さん」のようです。

こうして、第3連の第1行と2行を受けるように
神様が気層の底の、魚を捕っているようだ
――と謎のような詩行が置かれるのですが……。

 

その5

「空が曇ったら」という第4連への推移は
神様が気層の底の魚を獲っている(第3連)という喩(ゆ)を継ぐもので
魚はイナゴに変化します。

イナゴの瞳が砂土から覗くというのは
依然、荷車の音として聞えているためいきに威圧されて
イナゴが逃避する姿を表わすかのようです。

このような時にあって
遠くの町は石灰みたいに白く煙って見えます。

町(石灰)はみるみるうちに
ピョートル大帝の目玉の形になり
雲の中で光り輝いています。

イナゴの瞳とはまるで異なる強い目玉が
そこに屹立(きつりつ)しているのです。

ためいき
       河上徹太郎に 
 
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。

夜が明けたら地平線に、窓が開くだろう。
荷車(にぐるま)を挽(ひ)いた百姓が、町の方へ行くだろう。
ためいきはなお深くして、
丘に響きあたる荷車の音のようであるだろう。

野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。
それはあっさりしてても笑わない、叔父(おじ)さんのようであるだろう。
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。

空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。
遠くに町が、石灰(せっかい)みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

ためいきは
いつしかピョートル大帝の目玉となりました。

町へ町へ。

「ためいき」は
連続する時間を歌っています。

一途に前進する詩世界が開かれています。

 

この詩「ためいき」について
贈られた河上徹太郎は
チェホフあたりの風物を日本の風景に翻訳して得たものに違いない
――と自著「中原中也」の中で述べていますが
具体的な出所は見つかっていません。
(「新全集・詩Ⅰ 解題篇」)

きらきら「初期詩篇」の世界/10「夕照」

その1

「夕照」が「夏の日の歌」の次に置かれているのは
「夏の日の歌」が「母」を歌ったのと
無縁ではないことを示すものでしょう。

第1連に
丘々は、胸に手を当て
退(しりぞ)けり。
――とあるのは
自然を人間に見立てた表現(擬自然法)であることは言うまでもありませんが
「胸に手を当てる」という行為がなにを意味するかは別としても
この行為の主格が女性であることは
想像に難(かた)くありません。

あえて言えば
この女性は「母」でしょう。

夕 照
 
丘々は、胸に手を当て
退(しりぞ)けり。
落陽(らくよう)は、慈愛(じあい)の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄(ひなうた)うたい
山に樹々(きぎ)、
老いてつましき心ばせ。

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直(ごうちょく)の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「夕照」は
大岡昇平が戦地で立硝(りっしょう)中に口ずさんだ詩として
あまりにも有名になりました。

大岡がそのことを記した伝記の一部を
ここで読んでおきましょう。

 (前略)前線で立硝中、熱帯の夕焼を眺めながら、「夕照」を勝手な節をつけて歌った。

  丘々は、胸に手を当て
  退けり。
  落陽は、慈愛の色の
  金のいろ。

 「破調」の著しい第二連は思い出せなかった。私は軍隊生活を大体次の終連のような心意気で忍耐していた。

  かかる折しも我ありぬ
  少児に踏まれし
  貝の肉。

 同時に昭和四年頃私がこの詩を褒めた時の、中原の意地悪そうな眼附を思い出した。「センチメンタルな奴」とその眼附はいっていた。

(「在りし日の歌」大岡昇平全集第18巻所収。「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰ解題篇【参考】より孫引きです。読みやすくするために、改行を加えてあります。編者。)

この記述のインパクトは大きく
「夕照」が歌っている丘や原が
フィリッピンのミンダナオ島あたりの山野のイメージと重なります。

中也が歌ったのは
どこそこの土地というものではないにしても
やはりこの土地は
生地である山口県湯田温泉近辺であろうことは間違いないでしょうから
ミンダナオ島の山野がかぶさってきては
すこぶるスケールが巨大になるというものです。

「夕照」はしかし、もともとスケールの大きな作品でした。

「朝の歌」「臨終」「凄じき黄昏」と辿ってきた
文語詩の結晶のような作品でした。

その2

この詩を作っているときに
詩人が目にしている(想像している)のは自然(山野)ですから
そこに女性(母)が現われたわけではありませんし
胸に手を当てて退いたわけではありませんし
鄙唄を歌ったわけではありません。

詩人が見た自然が
そのように見えただけです。

にもかかわらず
そこに母がいると思えるのは
どのような詩の作り方からなのでしょうか?

夕 照
 
丘々は、胸に手を当て
退(しりぞ)けり。
落陽(らくよう)は、慈愛(じあい)の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄(ひなうた)うたい
山に樹々(きぎ)、
老いてつましき心ばせ。

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直(ごうちょく)の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

丘々が胸に手を当てて
あっちの方へ後退している
そこに落日の太陽が、慈愛に満ちた色に輝いて
金色だよ。

第1連は
よくあるように遠景の「描写」です。

この描写からして
スケールの大きさを感じさせます。

カメラがパンして
近くを捉えるのが第2連です。

大岡昇平が
「破調」ゆえに思い出せなかったというこの連は

原に草が生い茂り、
その様子が、鄙唄(ひなうた)を歌っているようであり
山の樹々は、
老いて謙虚なたたずまい(つましき心ばせ)を見せている
――という「風景描写」(擬自然法)であって
誰か人間が存在して
鄙びた唄(童謡か?)を歌っているのではないでしょう。

第1連の流れから
胸に手を当てて後ずさっていく女性が
鄙歌を歌っている情景が「描写」されているようにも取れますが
原や山に人の存在はないはずです。

そこにあたかも人間が出現したかのように「描写」したところに
この詩のスケールの大きさの源泉(もと)があります。

そうしたところへ
「貝の肉」です。
子どもに踏みつけられた――。

白日夢から目覚めさせられるような
リアルな展開です。

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
――が、いきなりリアル(現実)を呼び戻すかのようです。

「我は見ぬ」ではなく
「我ありぬ」としたのは
現実の中に生存していることの強調です。

 

その3

遠景から近景へ
そして身辺へ――。

小児に踏まれた貝の肉は足下にあり
詩人は、そこに「在った」のでした。

遠景にも近景にも
存在しようにない人間が出現し
鄙唄まで歌うようですが
これは、そう見えたに過ぎない幻です。

幻の中に
母は現われたのです。

胸に手を当てるというしぐさは
祈るか、心を痛めるとかの喩(メタファー)でしょうか。

鄙唄は、童謡とか子守唄のようなものでしょうか。

自然、母をイメージするのは
このメタファーが利いているからです。

夕 照
 
丘々は、胸に手を当て
退(しりぞ)けり。
落陽(らくよう)は、慈愛(じあい)の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄(ひなうた)うたい
山に樹々(きぎ)、
老いてつましき心ばせ。

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直(ごうちょく)の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

この詩をよく見れば
ソネットです。

ソネットの形をしていますが
正調とは言えません。

第1連
5―7

5―7

第2連



7―5

第3連
7―5
8(4―4)

第4連
7―5
7―5
7―5

各連各行の「音数」は
ほぼきれいな5・7に整えられています。

ソネット(4行―4行―3行―3行)になっていますが
第1連から第3連までは
無理矢理に「行分け」を行い
無理矢理にソネットの形にしたかのような作りのため
各行の「音数」は不揃いです。

この詩は
ソネットを作るために行分けされたのでしょうか?

そうではありますまい。

 

その4

丘々、落陽、原、山と自然を「描写」し
その中に「母」が祈り、子守唄を歌うかのようなイメージが現れる前半部は
第3連で、
かかる折しも……と繋がれますが
第4連の
かかるおりしも……は前の全3連を受けています。

「折」と「おり」と使い分けて
そのことは示されています。

このことによって
この詩の重心は
俄然、後半2連へと移動するかに見えます。

夕 照
 
丘々は、胸に手を当て
退(しりぞ)けり。
落陽(らくよう)は、慈愛(じあい)の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄(ひなうた)うたい
山に樹々(きぎ)、
老いてつましき心ばせ。

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直(ごうちょく)の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

貝の肉とは何なんでしょうか?
それも、小児に踏まれた――とは?

唐突に現われる
この謎めいたモノ。

近くは「凄じき黄昏」に現われた
汚れた歯を隠すニコチン――のような。

その謎を解き明かす
研究者の顔になるまでもありません。

この謎こそ
詩の原型です。

最終連の「かかるおり」が
この謎のヒントになっています。

剛直でありながら
ゆかしい(奥ゆかしい)諦め……。

こんなときであるからこそ
諦めが肝心だ。

腕拱(く)みながら歩み去る。
――は、

「黄昏」の最終行
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです

「帰郷」の最終行
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
――などの相似形です。

歩み去った先に
見え隠れしているモノが
詩人にはくっきりと見えています。

そのモノ(原型)に促され
そのモノ(詩)へ
詩人の歩みは止まりません。

 

心は迸(ほとばし)ります。

きらきら「初期詩篇」の世界/9「夏の日の歌」

その1

詩人が拠(よ)って立つところ。
帰る場所。
それは詩の在処(ありか)でもありました。

「秋の一日」に「布切屑(きれくず)」と明示され
「黄昏」では「一歩二歩」の行く先に
「帰郷」では「おまえはなにをして来たのだ」と歌う、
その「なに」にそれはあります。

「凄まじき黄昏」
「逝く夏の歌」
「悲しき朝」
――と配置された詩の一つ一つにも
それを読み取ることができることでしょう。

「夏の日の歌」にも
それはあります。

夏の日の歌
 
青い空は動かない、
雲片(ぎれ)一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いじらしく思わせる何かがある、
  焦(こ)げて図太い向日葵(ひまわり)が
  田舎(いなか)の駅には咲いている。

上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  夏の真昼の暑い時。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

第1連の全行や
第2連、
夏の空にはなにかがある
――に明らかですが
いじらしく思わせる何かがある、
――と続けられて
この詩はやや「限定」された方向に向かうかのようです。

「山羊の歌」の「初期詩篇」の中に
昭和8年10月1日発行の「紀元」に発表された詩が配置されました。
それが「夏の日の歌」です。

「山羊の歌」は
昭和7年6月には編集が終わっているのですから
それよりも後に発表された詩が収録されたことになります。

これは「山羊の歌」が長い難産の末に
昭和9年11月に発行されたことに起因しています。

「夏の日の歌」の初稿は
「山羊の歌」編集の最終段階である昭和7年6月頃に制作され
「初期詩篇」に配置されたのですが
「山羊の歌」の発行が遅れている間に
「紀元」創刊号に発表したということです。

「初期詩篇」の中では
最も新しい作品ということになります。

「白痴群」でもなく
「生活者」でもなく
「スルヤ」でもなく
「紀元」からの採用というマイナーケースは
ほかに「春の日の夕暮」が「半仙戯」発表の後の配置があるだけです。

「凄じき黄昏」から二つおいて
「夏の日の歌」が置かれました。

この対照的な詩の存在によって
「山羊の歌」の「初期詩篇」は
きらきらときらきらと輝く詩世界を作り出しました。

その一つの要因となりました。

その2

詩人が拠(よ)って立つところ。
帰る場所。
それは詩の在処(ありか)でもありました。

「秋の一日」に「布切屑(きれくず)」と明示され
「黄昏」では「一歩二歩」の行く先に
「帰郷」では「おまえはなにをして来たのだ」と歌う、
その「なに」にそれはあります。

「凄まじき黄昏」
「逝く夏の歌」
「悲しき朝」
――と配置された詩の一つ一つにも
それを読み取ることができることでしょう。

「夏の日の歌」にも
それはあります。

夏の日の歌
 
青い空は動かない、
雲片(ぎれ)一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いじらしく思わせる何かがある、
  焦(こ)げて図太い向日葵(ひまわり)が
  田舎(いなか)の駅には咲いている。

上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  夏の真昼の暑い時。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

第1連の全行や
第2連、
夏の空にはなにかがある
――に明らかですが
いじらしく思わせる何かがある、
――と続けられて
この詩はやや「限定」された方向に向かうかのようです。

「山羊の歌」の「初期詩篇」の中に
昭和8年10月1日発行の「紀元」に発表された詩が配置されました。
それが「夏の日の歌」です。

「山羊の歌」は
昭和7年6月には編集が終わっているのですから
それよりも後に発表された詩が収録されたことになります。

これは「山羊の歌」が長い難産の末に
昭和9年11月に発行されたことに起因しています。

「夏の日の歌」の初稿は
「山羊の歌」編集の最終段階である昭和7年6月頃に制作され
「初期詩篇」に配置されたのですが
「山羊の歌」の発行が遅れている間に
「紀元」創刊号に発表したということです。

「初期詩篇」の中では
最も新しい作品ということになります。

「白痴群」でもなく
「生活者」でもなく
「スルヤ」でもなく
「紀元」からの採用というマイナーケースは
ほかに「春の日の夕暮」が「半仙戯」発表の後の配置があるだけです。

「凄じき黄昏」から二つおいて
「夏の日の歌」が置かれました。

この対照的な詩の存在によって
「山羊の歌」の「初期詩篇」は
きらきらときらきらと輝く詩世界を作り出しました。

その一つの要因となりました。

きらきら「初期詩篇」の世界/8「凄じき黄昏」

その1

「帰郷」を読み終えたところで
次に配置された「凄じき黄昏」の世界へ入っていくには
ハードルみたいなものが立ち塞(ふさ)がります。

戸惑わずにはいられませんが
長い時間をかけて
何度も何度も読んでいるうちに
少しづつ近づいてくるようなものがあります。

それこそ「詩」です。

凄じき黄昏
 
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「山羊の歌」を一周して
目次をじっと眺めてみたり
他の詩と比べたりしているうちに
浮かんでくるような一群の詩があります。

なぜいきなり「昔の隼人らの行軍」が歌われたのかは
そうした詩群の中に置いてみないことには
見当がつきません。

「黄昏」
「深夜の思い」
「冬の雨の夜」と歌われている「ダークな」空気が
「帰郷」でいったん断ち切られ
再び戻ってきた流れでしょうか?

あるいは「帰郷」も
この流れの一つなのでしょうか?

少しでも似ている作りの詩を探してみると
「山羊の歌」の「初期詩篇」には
「月」「ためいき」があります。

「深夜の思い」の「マルガレエテ」や
「冬の雨の夜」の「aé ao, aé ao, éo, aéo éo!」も
同じ「喩」の範囲にあるのかもしれません。

これらの詩は
モチーフ(素材)を
歴史とか文学作品とかから引き出しています。

その2

「黄昏」
「深夜の思い」
「冬の雨の夜」
「帰郷」
――に続いて配置されているのは
「冬の雨の夜」が「暗い天候三つ」の一部を独立させたものだったことを思い出させますが
そういえば「山羊の歌」の冒頭詩「春の日の夕暮」も
アンダースローされた灰が蒼ざめて
――と宵闇(よいやみ)迫る夕暮れが歌われていました。

これらの詩が
「自然現象」としての天候を歌ったものでないことは
明らかなことでしょう。

「春の日の夕暮」は
自らの静脈管の中へと
無言ながら前進して行きました。

この前進して行った「夕暮れ」に似たものが
「凄まじき黄昏」であるように思えてもきます。

それは何なのでしょうか?

「帰郷」では
おまえはなにをして来たのだ
――と歌った「なに」こそ
詩(の仕事)でした。

して来なかったものこそ
詩(業)だったことも思い出されます。

凄じき黄昏
 
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「詩」についての詩を
詩人は歌わねばなりませんでした。
歌う必要がありました。

「月」も
「サーカス」も
「春の夜」も
「臨終」も……

詩とはなにか。
――という問いが隠され
その答えが歌われている詩です。

優れた詩や芸術作品の多くが
そうであるように。

「凄じき黄昏」も
その一つです。

 

その3

「山羊の歌」では
「凄まじき黄昏」の四つ前に
「黄昏」が配置されています。

なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩みだすばかりです
――と終わる、あの詩です。

「黄昏」
「深夜の思い」
「冬の雨の夜」
「帰郷」
そして
「凄じき黄昏」
――という流れになっています。

「帰郷」のエンディングは
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
――です。

こうしてみると
「凄まじき黄昏」は近づいてきませんか?

凄じき黄昏
 
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

そうです!
中也には詩のほかになかったのです。

「黄昏」も
「深夜の思い」も
「冬の雨の夜」も
「帰郷」も
「凄じき黄昏」も
……
詩についての詩という側面をもっています。

「春の日の夕暮」も
「月」も
「サーカス」も
「春の夜」も
「臨終」も
……
同じです。

「凄じき黄昏」はしかし
難解中の難解な詩です。

特に、
吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

――という第3連は巨大な壁のようです。

全行が大きな山のように
立ちはだかります。

 

その4

「凄じき黄昏」は
単なる「黄昏」ではありません。

それは詩人の眼に
凄まじいものでした。

夕日が落ちて
山の端に沈んでゆく……などと
穏やかな風景ではありません。

風が捲き起こり
撒き起こるばかりか物憂く(心を騒がせ)
草木は横倒しに靡き
詩人は遠い昔の隼人らの戦(いくさ)を見るのです。

ビジョンが現われるほどに
凄まじい映像でした。

凄じき黄昏
 
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

銀紙色のピッカピカの竹槍が
海岸沿いを行軍しています。
雑兵(ぞうひょう)たちばかりが頼りなんだ。
(第2連)

吹きすさぶ風が誘わない=持ち運んでいかない
地上は死屍累々(ししるいるい)=しかばねの絨毯(じゅうたん)が敷かれている

空は、演壇の状態に立ち上がっている

「演壇に」の「に」は状態を表わす助詞で
場所を指示するものではないでしょう。

空がステージ状にそそり立っている!

どこの家も、賢い陪臣たち、
ニコチンで汚れた歯を隠して(戦に参じている)

詩人はしかと絵巻ものを見たのです。
もちろんそれは幻視・幻想です。

日は落ち
風は吹きすさぶ中に立っている詩人の心に
澎湃(ほうはい)として湧き上がったビジョンでした。

この風が
「帰郷」の最終連の風と同じものであることは
言うまでもありません。

なぜ?
このようなビジョンが現われたのでしょうか?

それを突き詰めようとするのはいいですが
それを他の言葉で言い表せば
詩が生命を失くすようなものです。

あえて言えば
詩です。

それこそ詩です。

この詩は
「白痴群」の同人となる村井康男とが再会したある日
詩人がその場で塵紙(ちりがみ)に書いたものです。
村井が保存していたために残ったそうです。
(「新全集」第1巻・解題篇)

「凄じき黄昏」が歌ったのは
「詩」とか「詩心」とか……
詩(人)の帰りつく場所とか、
詩のありかの暗喩そのもののようです。

 

その5

「凄じき黄昏」は
昭和4年(1929年)4月発行の「白痴群」に初出して以来
「紀元」(昭和8年9月1日発行)に再出
「青い花」(昭和9年12月1日発行)に三出と
詩人によって計3回発表されました。

「紀元」「青い花」はともに
創刊号です。

何度も発表される例は
中也の場合、結構あるのですが
「思い入れ」の深かった作品であることを示しています。

凄じき黄昏
 
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

なぜ遠い昔の隼人らが現われたのか
なぜ、雑魚や陪臣が出てくるのか
謎ばかりです。

戦争ですから
死屍累々はわかりますし
だから「凄まじい」のもわかりますが。

では、なぜ凄まじい戦争を歌ったのでしょうか?

「戦車の地音」(月)や
「茶色い戦争」(サーカス)や
「軍楽の憶い」(朝の歌)
……などの戦争の流れでしょうか?

その流れであることも
十分に考えられることですが。

凄まじいのは
詩人の「内面」なのであって
それは「詩」のようなものであって
なんらかそのための合図(メッセージ)が
この詩に託されているのではないか
――と読んだらどうなるでしょう。

詩人は
レゾンデートル(存在証明)とかアイデンティティー(自己確認)とかを
平易な言葉でいえば
「独自性」(ユニークさ)とか「個性」とかを
俗にいえば「売り」「セールポイント」とかを
切実に必要としていました。

詩の詩――。
詩のエキス――。
詩の片鱗――。
詩の断片――。

最終連、
家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

――は、詩人のほかには書けないであろう(と詩人が考えている)
「詩」(のありか)が含まれているように思えてなりません。

 

やがて歌われる
「知れざる炎」(悲しき朝)や
「貝の肉」(夕照)や
「ピョートル大帝の目玉」(ためいき)のような。

きらきら「初期詩篇」の世界/7「帰郷」

その1

「帰郷」が
「山羊の歌」の「初期詩篇」で「冬の雨の夜」の次に配置されたのは
制作年次によるものではなく
「父」「母」を歌った流れからのものであることが
くっきりと見えてきました。

「冬の雨の夜」と異なるのは
遠くにいて故郷を思うのではなく
生まれ育った土地へ実際に帰郷して歌った詩であることです。

帰 郷
 
柱も庭も乾いている
今日は好い天気だ
    椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細そうに揺れている

山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
    路傍(みちばた)の草影が
    あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
    心置なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする

ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

有名な詩です。
「朝の歌」や「臨終」などとともに
音楽集団「スルヤ」によって演奏されたことでもよく知られています。

「帰郷」は
「スルヤ」のメンバー内海誓一郎が
作曲した詩の一つです。

内海は「白痴群」の同人でもありました。

冒頭の2行

柱も庭も乾いている
今日は好い天気だ
――のなんともいえない「ゆるさ」というか「肩の力のなさ」というか
これはしゃべり言葉というよりも「散文」ではないかと思わせる
変哲のない滑り出し。

にもかかわらず
あふれる詩情。

それはどこから生れているのでしょうか?

久々に帰った「わが家」および周辺を一回りして1日を終え
その日のうちに
この詩は作られた――。
そのような新鮮さがあります。

まず、「柱と庭」という近景を歌い
しばらくして「縁の下」を歌い
そして「山の枯れ木」を歌い「路傍」を歌い
またしばらくして「年増婦の声」を歌い「風」を歌ったのです。

詩人の歩みがありありと見える
ゆるやかな時の移ろいがあります。

第1連後半行の
    椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細そうに揺れている
――は、幼き日にもぐりこんで遊んだ「縁の下」でありましょう。

その場所は
遊びほうけた少年が
遊びの合間にふとまぎれこむ静かで秘密めいた空間でした。

そこがどうなっているか
詩人はそれとはなしに
探す眼差しになったのでしょう。

そこに「蜘蛛の巣」はあり
昔遊んだときに顔にひっかかったそれはあり
「心細そうに」揺れていました。

その2

今日は好い天気だ
――という「月並みな」日本語が
どのようにして「詩の言葉」になるのか。

「帰郷」からは
詩の発生の現場を見るような
詩語・詩行の流れを味わうことができます。

まずは、
ああ今日は好い天気だ
――と「今日は好い天気だ」が繰り返されますが
第1連と第2連は
「ああ」という感嘆詞の有無によって
異なるニュアンスを放っていることに気づくでしょう。

次に、
各連は前半が風景描写であり
後半の「字下げ」された行には
詩人の心境が歌われていることに気づくでしょう。

次に、
最終連の2行で
故郷を一回りしてきた詩人に積み重なってきた思いのすべてが
吐き出されるのを知るでしょう。

「心細そうに揺れている」にはじまる
故郷散策の思いの一つ一つは
詩人の中で次第に膨(ふく)らんで
ついに最終連で堰を切ります。
溢れます。

各連前半行は
故里(ふるさと)が
変わらない相貌(かお)で詩人を迎えるのを歌います。

これが私の故里だ
――と詩人に断言させるに十分なたたずまいで。

 

その3

「帰郷」第1連から第3連までの各連の後半行は
「字下げ」することによって
詩人の心境が吐露(とろ)されていることを示します。

蜘蛛の巣が心細そうに揺れるのを目撃し
路傍の草影は愁しみを漂わせていると感じ
年増婦の「たっぷり泣きなさい」と語るのを聞くのは詩人(の心)です。

帰 郷
 
柱も庭も乾いている
今日は好い天気だ
    椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細そうに揺れている

山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
    路傍(みちばた)の草影が
    あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
    心置なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする

ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

なぜ、蜘蛛の巣が揺れるのが心細そうに見えたのでしょう
なぜ、路傍の草影は愁しみを漂わせていると感じ
なぜ、年増婦の「たっぷり泣きなさい」と語るのを聞いたのでしょう。

これらの一つ一つが
「私の故里」だからでしょう。

であるのに、
これらの風景に触れた詩人に聞こえてくるのは
ああ おまえはなにをして来たのだと……
――という風、いや自らの声でした。

まだ何もしていないじゃないか。

詩人は、では
まだ詩人としての業績を残していない自分を恥じ
自分を責めているのでしょうか?

そういうことは
もちろん言えることではありますが……。

由緒ある先祖を持つ中原家の長男であるにもかかわらず
家督を継ぐことを放棄して家郷を去った詩人の卵が
いまだれっきとした名をあげず
錦を飾れないまま帰郷した――。

だから
ああ おまえはなにをして来たのだと……
――と自責の念に駆られて歌った。

そのような心境になかったとは言えませんが
この詩が歌っているのは
それとは少し異なる心境であることは
ああ おまえはなにをして来たのだと……
――という声が詩人自ら発したというほかに考えられないところに
表われていそうです。

詩人以外のだれが言ったものではなく
詩人自らがそう言った声として
この最終行を読むとき
もう少し違う思いが見えます。

まだなにもしていない
ぼくの詩人としての活動ははじまったばかりだ

幼き日に遊んだときに見た縁の下のあの蜘蛛の巣は
あの時のままでああして巣をめぐらしているけれど……

山の道に茂っていた草々が
翳りを帯びて悲しそうだったのも昔と変わらないけれど……

思う存分泣きなさいと「おばば」は言うけれど……

昔のようにそうしてばかりもいられないのだよ
ぼくにはまだやらねばならないことがたくさんある

第3連と最終連との間に
無限に近い時間が流れています。

遠い日は
いまそこにあるようだけれど
もはやないのです。

いちだんと「風の声」が大きくなる中で
詩人は歯を食いしばって立っています。

 

詩人に帰るところは
「詩」の中にしかないからです。

きらきら「初期詩篇」の世界/6「冬の雨の夜」

その1

「冬の雨の夜」も
「白痴群」へ発表されてから
「山羊の歌」の「初期詩篇」へ配置されたもので
「秋の一日」「深夜の思い」に続き3番目の詩ということになります。

冬の雨の夜
 
 冬の黒い夜をこめて
どしゃぶりの雨が降っていた。
――夕明下(ゆうあかりか)に投げいだされた、萎(しお)れ大根(だいこ)の陰惨さ、
あれはまだしも結構だった――
今や黒い冬の夜をこめ
どしゃぶりの雨が降っている。
亡き乙女達の声さえがして
aé ao, aé ao, éo, aéo éo!
 その雨の中を漂いながら
いつだか消えてなくなった、あの乳白の脬囊(ひょうのう)たち……
今や黒い冬の夜をこめ
どしゃぶりの雨が降っていて、
わが母上の帯締(おびじ)めも
雨水(うすい)に流れ、潰(つぶ)れてしまい、
人の情けのかずかずも
竟(つい)に密柑(みかん)の色のみだった?……

改行も「連分け」もない
16行ぶっ通しの珍しい構成の詩になったのは
元の詩が3節構成の「暗い天候三つ」だったからでしょうか。

「白痴群」第5号(昭和5年1月1日発行)に発表されたときの
3節構成の第1節を独立させて
新らしく「冬の雨の夜」とタイトルをつけたものがこの詩です。

「暗い天候三つ」の第2節、第3節は
「新編中原中也全集」第1巻中の「生前発表詩篇」に分類・掲出されていますから
ここで目を通しておきましょう。

暗い天候(二・三)
 
   二

こんなにフケが落ちる、
   秋の夜に、雨の音は
トタン屋根の上でしている……
   お道化(どけ)ているな――
しかしあんまり哀しすぎる。

犬が吠える、虫が鳴く、
   畜生(ちくしょう)! おまえ達には社交界も世間も、
ないだろ。着物一枚持たずに、
   俺も生きてみたいんだよ。

吠えるなら吠えろ、
   鳴くなら鳴け、
目に涙を湛(たた)えて俺は仰臥(ぎょうが)さ。
   さて、俺は何時(いつ)死ぬるのか、明日か明後日(あさって)か……
――やい、豚、寝ろ!

こんなにフケが落ちる、
   秋の夜に、雨の音は
トタン屋根の上でしている。
   なんだかお道化ているな
しかしあんまり哀しすぎる。

   三

この穢(けが)れた涙に汚れて、
今日も一日、過ごしたんだ。

暗い冬の日が梁(はり)や壁を搾(し)めつけるように、
私も搾められているんだ。

赤ン坊の泣声や、おひきずりの靴の音や、
昆布や烏賊(するめ)や洟紙(はながみ)や首巻や、

みんなみんな、街道沿(かいどうぞ)いの電線の方へ
荷馬車の音も耳に入らずに、舞い颺(あが)り舞い颺り

吁(ああ)! はたして昨日が晴日(おてんき)であったかどうかも、
私は思い出せないのであった。

   秋の夜に、雨の音は
トタン屋根の上でしている……
――と「二」にあり

暗い冬の日が梁(はり)や壁を搾(し)めつけるように、
――と「三」にあり

「冬の雨の夜」は
秋の夜の雨、冬の雨と歌った「暗い天候」の一つであることがわかります。

その2

「冬の雨の夜」が
「暗い天候」を歌った詩の1節であったということで
重たそうな黄昏の空や土砂降りの雨夜を歌った詩の流れが見えてきます。

「初期詩篇」では
「臨終」の
秋空は鈍色にして黒馬の瞳のひかり
「黄昏」の
渋った仄暗い池の表
「深夜の思い」の
黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄する
ヴェールを風に千々にされながら
……

これらは快晴ではない
雨にもならない
どんより重たい薄暗い空模様を背景に歌った詩でした。

「冬の雨の夜」では
ついに降り出し
土砂降りの雨です、それも夜です。
それも冬なのに雪ではなく雨です。

「初期詩篇」では
「深夜の思い」の次に配置され
マルガレエテがいつしか泰子の引っ越しをしているという
巧みな融合(ゆうごう)に眩惑(げんわく)されましたが
「冬の雨の夜」でも
それに似た混淆(こんこう)が仕組まれます。

冬の黒い夜をこめて
どしゃぶりの雨が降っていた
――という冒頭2行の雨は
今ここに降っている雨です。

その雨を眺めながら(あるいは雨の音を聞きながら)
昔見た「夕明下の萎れ大根の陰惨さ」を思い出している詩人は
「あれはまだしも結構だった」と感慨に耽っているのです。

今はもっと陰惨なのです。

今降っている土砂降りは
亡き乙女達(おとめたち)の声が
aé ao, aé ao, éo, aéo éo! と母音の発声練習かなにかをしているのですし
その雨の中に
昔のあるときに消えてしまった、
あの乳白の脬囊(ひょうのう)たちが漂い流れているのですし……
母上の帯締めも雨水に流され潰れてしまったのです。

今降っている土砂降りの雨は
亡き乙女達の声がしている雨なのに
その雨の中に
遠い昔の出来事が混入しているのです。

aé ao, aé ao, éo, aéo éo!
――とは、ランボーの詩「ブリュッセル」に現われる声の影響らしく(「新全集」第1巻・解題篇)
「深夜の思い」でマルガレエテに泰子が「乗り移った」ように
ここではランボーの乙女達が
詩人(中也)の昔の出来事と混淆するのです。

このような詩の作り方を
楽しんでいるかのようです。

この詩は
結局は末尾の2行
人の情けのかずかずも
竟(つい)に密柑(みかん)の色のみだった?……
(人の情というものも、つまるところ蜜柑の色のようなもの)
――という感慨を結(論)として述べて終わりますが
その2行よりも
詩人の遠い過去の出来事の難解さに足を奪われます。

詩人が抱くその陰惨さのイメージに
近づくことはできますが
「結論」にもう一つ溜飲が下がりません。

 

その3

「冬の雨の夜」が歌っている
詩人の遠い昔の出来事の幾つかは
初めてこの詩を読む人には案内が必要でしょう。

夕明下(ゆうあかりか)に投げいだされた、萎(しお)れ大根(だいこ)の陰惨さ
――は、想像をたくましくすれば
なんとか理解できます。

干した大根が、夕明かりの下で
軒先かどこかに吊るされているイメージ。

詩人の回想には
そこに「死(者)」がかぶさっていたかもしれません。

亡き乙女達の声さえがして
aé ao, aé ao, éo, aéo éo!
――がこれで導入されます。

いつだか消えてなくなった、あの乳白の脬囊(ひょうのう)たち……
――は、この行こそ「説明」を受けねば
理解もイメージすることもできません。

これは
詩人の実家で父・謙助が経営していた医院の風景です。

脬囊(ひょうのう)は、
膀胱(ぼうこう)のことで
牛や豚の膀胱が氷嚢(ひょうのう)として使われていた光景が
医院の作業室には普通に見られたのです。

それが、ゴム製品の開発で
使われなくなったことを歌っています。

わが母上の帯締(おびじ)め
――は、ここまで来れば普通にイメージできますが
「父」や「母」が現われたことには
特別の意味が込められています。

雪ならば
思い出は「降り積む」ことになり
次々に現われる走馬灯となりましょうが
ここは雨です、土砂降りです。

現われるものが次々に流されてゆきます。
人情も流されていってしまい
イメージの中に残るのは
そのようなものがあったなあという
ミカンのオレンジ色、その色だけだ……。

「人の情け」とは
「父」や「母」のものに違いありません。

末尾の「?……」は意味深長ですが
「結(論)」へ保留をつけたものか
それとも迷いか
あるいは「反語」でしょうか。

断言しがたいものがあったのです。

恋愛詩を盛んに歌う「白痴群」で
「冬の雨の夜」は異質です。

 

「初期詩篇」へ配置したのも
そのあたりの事情からでしょう。

きらきら「初期詩篇」の世界/5「深夜の思い」

その1

「生活者」に発表された「港市の秋」を振り出しに
「臨終」(山羊の歌)
「むなしさ」(在りし日の歌)
「かの女」(未発表詩篇)
「春と恋人」(未発表詩篇)
「秋の一日」(山羊の歌)
――と「横浜もの」と呼ばれる詩群を読んできました。

「山羊の歌」では
「臨終」「秋の一日」「港市の秋」の順に配置されましたが
これらが扱う季節はみな「秋」でした。

「臨終」が歌った女性には
泰子の影が落ちている(大岡昇平)のであれば
「朝の歌」の「うしないし さまざまのゆめ」にも同じことがあてはまり
「黄昏」「深夜の思い」と
「山羊の歌」の「初期詩篇」中にも
泰子を歌った詩の流れを見つけることができることになります。

「深夜の思い」は
「初期詩篇」22篇の10番目にあり
「黄昏」に続いて配置されました。

深夜の思い

これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑(がん)ぜない女の児の泣声だ、
鞄屋の女房の夕(ゆうべ)の鼻汁だ。

林の黄昏は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。

波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。
森を控えた草地が
  坂になる!

黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄(よ)する
ヴェールを風に千々(ちぢ)にされながら。
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!

崖の上の彼女の上に
精霊が怪(あや)しげなる条(すじ)を描く。
彼女の思い出は悲しい書斎の取片附(とりかたづ)け
彼女は直(じ)きに死なねばならぬ。

長谷川泰子が中也との暮らしをたたんで
小林秀雄と同居しはじめたのは
大正14年の秋(11月)のことでした。
それからどれほど経って
この詩は書かれたのでしょうか。

深夜の詩人を襲う
「泡立つカルシウムの」
「急速な」
「頑(がん)ぜない」
もの思い――。

ラムネサイダーかなにかのように
ふーっと「急速に」しぼんだかと思うと
今度はわーっと
聞き分けのない
赤ん坊の泣声のような
鞄屋の女房の夕(ゆうべ)の鼻汁のような
頑固でしつっこい思い。

はじめそれは
林の黄昏に
母親が掠(かす)れて見えたり。
虫が飛び交っている梢に
おしゃぶり咥(くわ)えた子どもがお道化て踊る様子。
(第2連)

駆り立てた猟犬の姿が見えなくなって
猟師は猫背の姿勢でそれを追う。
森にぶつかって
草地は坂になって落ちている!
(第3連)

第2連も第3連も
ランボーのイメージでしょうか。

いずれもこれは
夢にうなされて目ざめるという場面ではありません。

夜中にもの思いに耽る詩人が
見る映像(幻想幻視)です。

第4連では
ゲーテの劇詩「ファウスト」のヒロイン、グレートヒェン(愛称マルガレエテ)が現われますが
映像の中にマルガレエテが出てきたものではないでしょう。

実際に見えた映像は
泰子であったに違いありません。

詩語にしたときに
マルガレエテとしただけです。

その2

「深夜の思い」には
長谷川泰子らしき女性が
ゲーテ「ファウスト」のヒロインであるマルガレエテに擬して登場します。

「初期詩篇」で
はっきりとした形で泰子が現われるのはこれが初めてです。

深夜の思い

これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑(がん)ぜない女の児の泣声だ、
鞄屋の女房の夕(ゆうべ)の鼻汁だ。

林の黄昏は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。

波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。
森を控えた草地が
  坂になる!

黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄(よ)する
ヴェールを風に千々(ちぢ)にされながら。
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!

崖の上の彼女の上に
精霊が怪(あや)しげなる条(すじ)を描く。
彼女の思い出は悲しい書斎の取片附(とりかたづ)け
彼女は直(じ)きに死なねばならぬ。

「朝の歌」や「黄昏」では
泰子は前面に現われることはなく
「うしなわれたもの」に含まれていました。

「臨終」では
いわばダブルイメージとして
死んだ女性の「影」でした。

「朝の歌」や「臨終」や「黄昏」などには
泰子は前面に出ることはありませんでしたが
「深夜の思い」では
彼女の思い出は悲しい書斎の取片附(とりかたづ)け
――と具体的に「行為する人」として現われました。

「深夜の思い」に現われたのは
マルガレエテという「直喩」の中ですが
現われたことに変わりありません。

マルガレエテは
「深夜の思い」の中で
「ファウスト」の中の役を演じつつ
「書斎の後片づけ」を行います。

第3連と最終連は
「ファウスト」の中のマルガレエテが辿った運命ですが
そのマルガレエテの行為の中に
中也から去った日の泰子が混ざります。

マルガレエテの運命に
泰子の運命を重ね
彼女は直(じ)きに死なねばならぬ。
――と歌うのは
詩人がファウストになっているからで
マルガレエテ=泰子への愛(慈悲)によってです。

泰子をモチーフにした恋愛詩群は
「白痴群」へ発表し
「山羊の歌」の「少年時」以降の章へと配置されるのが大勢なのですが
「初期詩篇」へ配置された作品が幾つかあります。

「秋の一日」
「深夜の思い」
「冬の雨の夜」
「凄じき黄昏」
「夕照」
「ためいき」
――の6篇です。

 

「初期詩篇」後半部に
これらは配置され
やがて「少年時」へと流れ込んでいきます。

きらきら「初期詩篇」の世界/4「秋の一日」

その1

「臨終」から一つ飛んで
「初期詩篇」の8番目に配置されているのが「秋の一日」です。

娼婦たちのいる「横浜橋」を離れて
海方向へ詩人の足は向かいました。

よく晴れた秋の日の
遅い朝です。

秋の一日
 
こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によって、
サイレンの棲む海に溺れる。 

夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩のかなたの地平の目の色。

今朝はすべてが領事館旗のもとに従順で、
私は錫(しゃく)と広場と天鼓(てんこ)のほかのなんにも知らない。
軟体動物のしゃがれ声にも気をとめないで、
紫の蹲(しゃが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

    (水色のプラットホームと
     躁(はしゃ)ぐ少女と嘲笑(あざわら)うヤンキイは
     いやだ いやだ!)

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出(い)でて
今日の日の魂に合う
布切屑(きれくず)をでも探して来よう。

こんな朝、遅く目覚める人達――。

詩人もそのうちの一人であるに違いない遅い朝なのに
サイレンの誘惑に乗らないで
波止場のある方角へ歩いていきます。

サイレンの美声に耳を貸さずに
自らの命を守ったオデュッセウスさながら。

夏を彩(いろど)った夜店のざわめきや
露店を作り生業(なりわい)としていた香具師たちの姿はもう見えません。

すべてはサイレンの古代の
(ずっと昔に生成した)花崗岩の向うの地平の目、その色をしています。

夏の景物は跡形もなくなり
すべてが古代の自然を取り戻した海の町の様子でしょうか。

ダダのしっぽか
もしくは、一歩進んだ象徴表現か
わかりにくいところですが
夏が去った港町が歌われていることは確かでしょう。

領事館といえば
イギリスかフランスのものでしょうか
現在の「港の見える丘公園」に
両領事館がこのころにも開かれていました。

ユニオンジャック(イギリス)またはトリコロール(フランス)の領事館旗が
誇らしげに港町の空にひるがえる風景は
詩人(=私)の眼に「すべてが従順で」と見えました。

それで
錫(しゃく)と広場と天鼓(てんこ)のほかのなんにも知らない。
――と思い知ったのです。

錫(しゃく)は「杖」
広場は広場
天鼓(てんこ)は「雷(カミナリ)」(天上の太鼓の意味もあるそうです。)

すべてが領事館旗のもとに従順である「から」
私はこれらのほかの何ごともしらない――ということなのか
すべてが領事館旗のもとに従順である「のに」
私はこれらのほかの何ごともしらない――ということなのか

この1行は難解です。

すべてが従順だから
私は多くのこと(錫、広場、天鼓以外)を知らない、ということなのか
すべてが従順なのに
私は多くのことを知らない、ということなのか。

そもそも、錫、広場、天鼓とは
なんのことか。

多く(錫、広場、天鼓以外)を知らない詩人は
母親らしい人のしゃがれ声がなんのことだか聞き分けもできないで
公園の入口で砂を食べちゃっている幼児を目撃します。

これも「すべて従順」な風景の一つか。
だとすれば、従順な風景が
詩人になにを感じさせているのでしょうか。

その答えが

    (水色のプラットホームと
     躁(はしゃ)ぐ少女と嘲笑(あざわら)うヤンキイは
     いやだ いやだ!)

――という「字下げ」された第4連となります。

その2

錫と広場と天鼓と――。

それは、ポケットに手を突っ込んで出る「旅」の必要条件です。

杖は旅の友であり
広場は歩く場所であり
天鼓は風雨。

詩人には
杖があり
歩く場所があり
歩いていて遭遇する自然の美しさ・脅威……

これ以外は
「旅」に出ようとしたときに知る必要もないことでした。

第3連まで詩(人)は
港町で目にした市井(しせい)の人々の暮らしや
街を行きかう男女や
聞えてくる声や物音や……

風景の中を歩きながら
その風景から拾い
詩の言葉にします。

好むと好まざるにかかわらず
詩人は行くところの風景の中に存在し
目にふれた風景を「描写」します。

ここまでは
港町の「客観描写」ですが
目に見えた形象の中から
幾つかを選んで詩語にしているのですから
「主観描写」でありますし
叙事・叙景でもありますが
この中に「感情」や「内面」が含まれていないなどとも
到底言えたものではありません。

「字下げ」された第4連は
こうして「心情」が吐露(とろ)された形になります。

「字下げ」して( )に括(くく)られ
しゃべり言葉であることが示され
詩(人)はここで「地」を現わします。

水色のプラットホーム
躁(はしゃ)ぐ少女
嘲笑(あざわら)うヤンキイ

これらのものを
いやだ、いやだ! と駄々をこねるようにして嫌悪するのは
詩人がこれらのものと同じ世界にいるかのようです。

躁(はしゃ)ぐ少女や嘲笑(あざわら)うヤンキイの口ぶりに
あたかも同化したかのような詩語を刻んだとき
詩(人)はすでに
そのような自分を自覚しています。

こんなところ
ぼくには合わない

ポケットに手を入れて
詩人は
また歩き出します。

詩人の耳にサイレンの歌は聞こえていません。

 

ボロボロになった靴で
ランボー少年の足取りで。

その他のカテゴリー

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