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「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ

2014/11/12

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ<インデックス>

中原中也インナープラネットで連載のアーカイブです>


序の2
1「月」
2「春の夜」
3「都会の夏の夜」
4「逝く夏の歌」
5「悲しき朝」
6「黄昏」
7「朝の歌」
8「サーカス」
9「春の思い出」
10「秋の夜空」
11「港市の秋」

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2014/02/07

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・11「港市の秋」

その1
 
「港市の秋」は
海の見える町を散策する詩人が
市井(しせい)の暮らしのあまりにも平和なたたずまいを見て
自身の暮らし(生き様)との隔絶感を歌った詩です。
 
 
港市の秋
 
石崖に、朝陽が射して
秋空は美しいかぎり。
むこうに見える港は、
蝸牛(かたつむり)の角(つの)でもあるのか
 
町では人々煙管(キセル)の掃除。
甍(いらか)は伸びをし
空は割れる。
役人の休み日――どてら姿だ。
 
『今度生れたら……』
海員が唄う。
『ぎーこたん、ばったりしょ……』
狸婆々(たぬきばば)がうたう。
 
  港(みなと)の市(まち)の秋の日は、
  大人しい発狂。
  私はその日人生に、
  椅子を失くした。
 
 
昭和4年に「生活者」第9号第10号に発表され
「山羊の歌」の「初期詩篇」に収録された詩は
これでお仕舞となります。
 
「生活者」発表の詩は「山羊の歌」ばかりでなく
「在りし日の歌」に「春」と「夏の夜」が収録されました。
 
詩人は「生活者」発表のすべての詩を未発表とせず
江湖(こうこ)に問うたことになります。
 
 
「港市の秋」は
「横浜」を題材にした詩群の一つです。
これを「横浜もの」と呼びます。
 
「山羊の歌」には
「港市の秋」のほかに
「臨終」
「秋の一日」
「在りし日の歌」には
「むなしさ」
「未発表詩篇」には
「かの女」
「春と恋人」
――という「横浜もの」があります。
 
 
横浜は
母フクが生まれ(明治12年)
7歳まで過ごした土地であった関係もあり
詩人はよく遊びました。
 
(略)横浜という所には、常なるさんざめける湍水の哀歓の音と、お母さんの少女時代の幻覚と、
謂わば歴史の純良性があるのだ。あんまりありがたいものではないが、同種療法さ。
――などと、友人の正岡忠三郎に宛てた大正15年1月の手紙に記しています。
 
 
はじめは「むなしさ」が
「在りし日の歌」の冒頭詩であったことはよく知られたことです。
 
「横浜もの」に込めた詩人の思いは大きなものがありますが
「初期詩篇」に「港市の秋」「臨終」「秋の一日」の3作を配置していることも
それを物語っていることでしょう。
 
「港市の秋」は
「生活者」から「山羊の歌」へという流れを示す
唯一(ゆいつ)の詩です。
 
 
「横浜もの」には
いずれも「孤独の影」のようなものが漂います。
 
 
その2
 
「山羊の歌」の中の「横浜もの」は
「臨終」
「秋の一日」
「港市の秋」
――の3作品です。
 
「都会の夏の夜」(初期詩篇)や
「冬の雨の夜」(初期詩篇)や
「わが喫煙」(少年時)なども
横浜っぽいイメージが描写されていますから
「横浜もの」に入れておかしくはないのですが
積み重ねられた研究では
そうとはみなされていません。
 
 
「臨終」は
なじみの娼婦の死を悼んだ作品(大岡昇平)といわれ
彼女の死の「行く末」を思い
自らの魂(死)の行方を案じる詩人のこころが歌われます。
 
「秋の一日」は
「港市の秋」と同じく秋の朝を歌い
場所が異なる風景を歩きながら
その風景との距離を感じる詩人が
詩(の「切れ屑」)を探す決意を述べる詩です。
 
詩人が港町の風景を眺める眼差しは
嫌悪や侮蔑といったものではなく
かといって愛情あふれるものでもなく
「いまひとつ」なじめないものなのです。
 
にもかかわらず詩語は
その風景から拾います。
 
 
「港市の秋」には
「秋の一日」にある晦渋さや
高踏的な言葉使いは後退しています。
 
会話が挿(はさ)まれるのは「秋の一日」と同じですが
平易な詩語に満ちているのは
制作が後だからでしょうか。
 
港町への懸隔感(けんかくかん)は
いっそう明確になり
「大人しすぎる町」に
詩人の座る椅子はありません。
 
椅子がないことに
詩人は気づいてしまったのです。

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・10「秋の夜空」

その1
 
「秋の夜空」も「生活者」の昭和4年10月号に発表され
「山羊の歌」では「春の思い出」の次に配置されました。
 
秋の夜空で女性たちの宴(うたげ)が繰り広げられる様子が
ファンタジックに歌われた詩です。
 
「初期詩篇」の最後には「宿酔」が置かれていますから
「春の思い出」「秋の夜空」「宿酔」と
ファンタジックに仕立てられた(ファンタジックな表現を駆使した)
3作品が並んだことになります。
 
 
秋の夜空
 
これはまあ、おにぎわしい、
みんなてんでなことをいう
それでもつれぬみやびさよ
いずれ揃(そろ)って夫人たち。
    下界(げかい)は秋の夜(よ)というに
上天界(じょうてんかい)のにぎわしさ。
 
すべすべしている床の上、
金のカンテラ点(つ)いている。
小さな頭、長い裳裾(すそ)、
椅子(いす)は一つもないのです。
    下界は秋の夜というに
上天界のあかるさよ。
 
ほんのりあかるい上天界
遐(とお)き昔の影祭(かげまつり)、
しずかなしずかな賑(にぎ)わしさ
上天界の夜の宴。
    私は下界で見ていたが、
知らないあいだに退散した。
 
 
さーっと読めば
すんなりと宴会の風景がイメージできる不思議な詩です。
 
それはタイトルのせいでしょうか。
「秋の夜空」というタイトルを読んでから詩本文を読むと
夜空で宴が行われていても
違和感が生まれないからでしょうか。
 
それはなぜでしょうか。
 
 
よく読むと
「へんてこりんな」言葉の使い方に驚かされます。
 
言葉使いだけでなく
矛盾だとか荒っぽさだとか
人を食ったような表現だとか
「美しい日本語」の顰蹙(ひんしゅく)を買うような
統一されない文法だとか
……が見えてきます。
 
 
第一、いきなり
これはまあ、おにぎわしい、
みんなてんでなことをいう
――とは、だれか人間の台詞(セリフ)です。
劇の脚本のようなはじまりです。
これは誰がしゃべっている言葉なのでしょう。
 
次の、
それでもつれぬみやびさよ
いずれ揃(そろ)って夫人たち。
    下界(げかい)は秋の夜(よ)というに
上天界(じょうてんかい)のにぎわしさ。
――ではじめて「上天界」の賑わいが歌われ
「下界」は(静かな)秋の夜であることが示されているのが理解できます。
 
しかしこの賑わしさが第3連(最終連)では
しずかなしずかな賑わしさ
――に変わり
あかるさも
ほんのりあかるいものに変わってしまいます。
 
 
第二に、
第1連の
おにぎわしい
みんなてんでなことをいう
それでもつれぬみやびさよ
――と語る人は
第2連で
椅子は一つもないのです。
――と「です(ます)調」で語る人と同一人物か、という謎。
 
同じく
第2連で
上天界のあかるさよ、と語る人と
第3連で退散した人物は
第1連で語る人と異なる人か同じ人か
……など。
 
 
そもそも第1連に登場する「夫人たち」は何者なのか、とか。
第3連の下界で見ていた「私」に
なぜ上天界の言葉が聞えるのか、とか
 
おかしなこと、謎めいたことが
いっぱいあります。
 
 
その2
 
「秋の夜空」が
上天界に集う夫人たちのお祭り(影祭)を歌った詩であることは
初めて読んだときには
最終連を読んで理解します。
 
2度目に読んだときには
第1連冒頭の
これはまあ、おにぎわしい
――というセリフが
お祭りの賑わいへの感想であることを理解します。
 
 
ああ、夜空で夫人たちが宴に興じていて
おしゃべりをしているのだ
みんなてんでんばらばらなことを言っている
みやびやかだけどツンとしましたものだよ(第1連)
 
磨きのかかった床
金色に照明が輝いていて
小さな頭の八頭身美人たちが長い裾を引きずっているのだ
そこに椅子が一つも見当たりません。(第2連)
 
上天界はほんのりあかるく
遠い昔の影祭りだ
静かな賑わいだ
夜の宴なのだ。(第3連)
 
上天界の宴の様子だけを追えば
このようになります。
 
 
この宴を下界からのぞき見ているのが
私=詩人です。
 
ひっそりと息をひそめて
上天界の影祭りを眺めているのですが
しばらくして私の知らない間にどこかへ退散してしまいました。(第3連)
 
 
ここまで読み通して
「退散した」のは
夫人たちではなく私かもしれない、とか
これはまあ、おにぎわしい
――とまるで宴の中にいるようなセリフは
下界にいる詩人と辻褄があわない、とか
 
幾つか謎が出てきます。
 
そもそも
夜空の宴って何だろう、という疑問が生じてきます。
 
 
その3
 
秋の夜空に巨大スクリーンが浮かび出て
高貴な家柄の夫人たちが立食パティーに興じている
金色の灯りもまばゆく賑やかに……。
 
おやまあなんとおにぎわしいことと
思わず呟きのひとことも洩れ出る夜の宴。
 
やがて時は流れ
宴は遠い昔の影祭りへと変色し
人語も聞こえない遠景へ後退します……。
 
ほんのりあかるいだけの
静かな賑わしさに変わっています。
 
 
夜空の星々を夫人に見立てた擬人法の詩だなどと
理屈っぽいことを言わないでも
あり得ない「夜空の宴」がくっきりと鮮やかに見えます。
 
上天界の宴の中に入り(近景でとらえ)
ぐるりと一周し(眺め回し)
下界から見上げる(遠景)
 
何度も読んでいるうちに
次第にピントが合ってくる映像詩――。
 
 
近景から遠景への視点移動が逆であったら
もう少し分かりやすかったかもしれませんが
説明(描写)の順序をひっくりかえしたところに効果はあります。
 
 
行末の不統一も
それほど「へんてこりん」とは思えなくなってくる
不思議な魅力のある詩です。
 
おにぎわしい=形容詞、現在形
いう=動詞、現在形
みやびさよ=名詞+感嘆詞
夫人たち=名詞(体言止め)
にぎわしさ=名詞
点いている=動詞、現在形
裳裾=名詞
です=助動詞現在形(ですます調)
あかるさよ=名詞+感嘆詞
上天界=名詞
影祭=名詞
賑わしさ=名詞
宴=名詞
退散した=動詞、過去形
 
この程度なら
ダダの「ハチャメチャ」を遠く離れています。
 
 
秋の夜空に
ファンタジックな映像が見えるだけで
いいのです。
 
そういう詩を
遊んだのでしょうから。
 
 
こんな詩の中に
あえて詩人を探そうとすれば
「字下げ」された行、
 
    下界(げかい)は秋の夜(よ)というに(第1連、第2連)
    私は下界で見ていたが(第3連)
 
――や、
 
それでもつれぬみやびさよ
椅子(いす)は一つもないのです。
知らないあいだに退散した。
 
――という「行」などに存在するのかもしれません。
 
そう読まないで
詩(人)の遊びを味わうのがよいのかもしれません。

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・9「春の思い出」

その1
 
詩の結末部が
現実のものでないような
夢や幻のような幻想的な(ファンタジックな)
あるいは「超現実的な(シュール)もの」に作られている――。
 
その系譜にあるのが
「春の思い出」です。
 
この詩も「生活者」の
昭和4年10月号に発表されました。
 
 
春の思い出
 
摘み溜(た)めしれんげの華を
  夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
    土の上(へ)に叩きつけ
 
いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)
 
わが家(や)へと入りてみれば
  なごやかにうちまじりつつ
秋の日の夕陽の丘か炊煙(すいえん)か
    われを暈(くる)めかすもののあり
 
      古き代(よ)の富みし館(やかた)の
          カドリール ゆらゆるスカーツ
          カドリール ゆらゆるスカーツ
      何時(いつ)の日か絶(た)えんとはする カドリール!
 
 
最終連は
第3連を受けているのですが
「わが家」はかつて富み栄えた時代の屋敷のような空間(館)に変じ
そこで催された舞踏会のシーンが呼び出されます。
 
 
これは少年の日の思い出なのでしょう。
 
れんげの花の満開の季節。
紫紅色のはなびら一面の野原で遊んだ合間に摘み取った花束を
いざ帰る段になってはうとましくなって
道端に打ち捨てたあの時。
 
手の中にしおれはじめた花茎があわれで
あたりは暮れて靄(もや)っている土の上へ
せっかく採集した花の束を「叩きつけ」ました。
 
 
第2連、
 
いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)
 
――は読みどころです。
 
土の上に叩きつけた花束を見て
少年は可哀想と感じつつ
その感傷を打ち消すように手払いし
家路へと走り去ったのでした。
 
 
わが家へと帰り着いた少年は
和やかに家族親族うちまじり
「秋」の夕日の丘かご馳走を作るかまどの匂いか
めまいのしそうな「幸福」を見るのです。
 
 
いつしかわが家は「古き代の富みし館」となり
そこで踊る老若男女
スカートがひるがえります
カドリールに興じる幸福なとき
 
ゆらゆらゆれるスカートが回りますが……
 
めくるめく「幸福」もいつかはなくなってしまう!
絶頂に際して
少年はそのはかなさを思いはじめるのでした。
 
この「幸福」は
「秋」でなければならないかのように歌われます。
 
 
意味を追えばこうなりますが
第4連を「字下げ」としたのは
「サーカス」と同じであり
ここに「地」の詩人=作者がいます。
 
この部分が
ファンタジーのように仕立てられたのです。
 
 
その2
 
「春の思い出」第4連は
れんげ田で遊び呆(ほお)けた少年が
陽の落ちないうちに家に帰り着こうと走り
たどり着いた家の中が夢のような「幸福」につつまれていて
眩暈(めまい)を覚える……
 
……その次の瞬間、
突然、舞踏会の大光量の世界へ投げ出されて
スカートが揺れる世界を歌います。
 
 
春の思い出
 
摘み溜(た)めしれんげの華を
  夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
    土の上(へ)に叩きつけ
 
いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)
 
わが家(や)へと入りてみれば
  なごやかにうちまじりつつ
秋の日の夕陽の丘か炊煙(すいえん)か
    われを暈(くる)めかすもののあり
 
      古き代(よ)の富みし館(やかた)の
          カドリール ゆらゆるスカーツ
          カドリール ゆらゆるスカーツ
      何時(いつ)の日か絶(た)えんとはする カドリール!
 
 
「字下げ」で歌われるのは
ほかの例と同じく
詩世界をもう一つの眼差しで歌う
「地(じ)」の詩人を登場させるという「詩法」によりますが。
 
もう一つに
それまで流れていた詩世界をよりいっそう鮮明にする
「舞台効果」のようなものを狙ったものです。
 
最終連で見せるこの「展開」は
起承転結に沿うよりも
「起承転転」に近く
第3連の強調・拡大といった趣(おもむき)を呈しています。
 
あるいは「序破急」の急を
第3連と最終連で展開している形です。
 
 
この形をもつ
「夜の空」を舞台にしていてファンタジックな詩が
揃いました。
 
「サーカス」は
暗闇に浮き上がったサーカス小屋を歌いました。
 
「秋の夜空」は全篇がファンタジーです。
下界から上天界をのぞき上げる「私」を歌いました。
 
「春の思い出」の最終連も
少年の眼差しはいつしか
「遠いもの」を見ている詩人の眼差しになりファンタジックです。
 
見ているものは
やがて視界から消えてなくなるというのも同じです。
 
 
「春の思い出」では
幸福の絶頂のような時間の中で
それがなくなってしまうことを少年は恐れました。
時間は止まってくれませんでした。
 
少年の時に抱いたこの喪失のおそれは
これを歌っている現在の詩人には
すでに失われた時です。
 
詩(人)はそれを振り返っているのです。
「思い出」を歌っているのです。
 
「思い出」を歌った詩を
詩人は幾つも残すことになります。
「春の思い出」はその初期のもので
原型のような作品です。

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・8「サーカス」

その1
 
「サーカス」は「生活者」(昭和4年10月号)に発表されたときには
「無題」というタイトルでした。
 
「無題」はタイトルをつけていない未完成の作品ではなく
完成作です。
 
やがて「サーカス」と改題されたのは
「山羊の歌」収録のときでした。
 
 
「初期詩篇」では3番目にあり
かなり早い時期に作られたことが想像できますが
制作日時を断言できるものではなく
「山羊の歌」の編集方針にしたがって
詩集の冒頭部に配置されたことだけは確かなことです。
 
「春の日の夕暮」「月」「サーカス」……と並べたのは
どのような方針だったのでしょうか。
「未成熟」が意識されていたのでしょうか。
 
 
サーカス
 
幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました
 
幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました
 
幾時代かがありまして
  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り
 
サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
 
頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
 
それの近くの白い灯(ひ)が
  安値(やす)いリボンと息を吐(は)き
 
観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
 
      屋外は真ッ闇(くら) 闇の闇
      夜は劫々と更けまする
      落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
 
 
一読して
行取り、連構成など自由な形ですし
内容もリアルとファンタジーが混ざり幻想的です。
ダダっぽさというよりシュールな感じがあり実験的です。
 
言葉の使い方に宮沢賢治や富永太郎らの影響もあることなどから
京都時代の制作であることも否定できませんが
ダダの影響をはなれ
新しい詩境を探っていた時期の作品であるならば
上京後の制作と考えるのが自然でしょう。
 
 
独創的なオノマトペ「ゆあーんゆよーん」
そのルフラン(繰り返し)
「幾時代かがありまして」のルフランもあります。
 
ソネットなどの定型を志向していない
起承転結の「単調さ」がない
夢か現(うつつ)か、どちらにも受け取れるシュールな映像
「一と殷盛り」「屋蓋(やね)」など高踏的な言語使用
「真ッ闇(くら) 闇の闇」などは宮沢賢治の影響といわれています。
 
「サーカス」「ブランコ」というカタカナ語の鮮やかさ
音(オノマトペ)と映像(ブランコ)の融合
色彩の統制
遠大な時間が「今」に流れ込む感覚
……
 
つぶさに見てみると
色々と「進取的先験的な」試みが行われています。
ほかにも幾つか数え上げることができるでしょう。
 
破綻があるわけではなく
くっきりとしたイメージが結ばれて
現実的でもあり幻想的でもある詩世界が広がっています。
 
 
「サーカス」は
詩人自らが好んで朗読し
近くにいた友人らに聞かせたり
ラジオの前の聴衆にも聞かせたりしたことで知られる詩です。
 
 
その2
 
「月」に「胸に残った戦車の地音」
「サーカス」に「茶色い戦争」「落下傘奴」
「朝の歌」に「鄙びたる軍楽の憶い」
……と戦争が歌われています。
 
そうとなれば
「春の日の夕暮」に「馬嘶くか」や「荷馬車の車輪」とあり
「春の夜」に「夢の裡なる隊商」とあり
「臨終」に「黒馬の瞳のひかり」とあるのも
戦争の匂いがしないでもなくなってきますが
そのように拡大解釈しなくても
「月」「サーカス」「朝の歌」には戦争が影を落としています。
前面に出ていなかったとしても。
 
 
「サーカス」は「茶色い戦争」と
ズバリ「戦争」という言葉を「詩語」に使い
それをかつてあった戦争という意味で使い起こし
最後には目の前にある「ブランコ=落下傘=戦争」を暗示するかのように使います。
 
もちろん、戦争を文字通りに取ることもないのですが
戦争といったからには戦争で
戦争以外にない戦争のことです。
茶色であろうが黄色であろうが赤色であろうが
戦争は戦争です。
 
 
中原中也は
来し方(こしかた)を振り返って戦争に喩(たと)え
その来し方は現在に至って今夜の酒=一と殷盛りとなって
サーカスを幻想するのですが
幻想の中にまた戦争が顔を出すのです。
 
そういう詩です。
 
 
「一と殷盛り」を
酒宴としなくてもいいでしょう。
 
深夜の思索が高揚し
盛り上がったハイになった状態を
「殷賑(いんしん)を極める」の「殷」から取って
「一と殷盛り(ひとさかり)」としたのです。
 
 
このひとさかりの幻想の戦争は
ゆあーんゆあーんと揺れるブランコに乗って現われ
サーカス小屋の中で
ゆあーんゆあーんと揺れ
観客も揺れて
小屋全体が揺れている状態です。
 
それが小屋の外へ
ゴーゴーと更ける真っ暗闇へと突破し
いつしか揺れるのは落下傘です。
 
落下傘のノスタルジーが揺れるのです
ゆあーんゆあーん、と。
 
 
幾時代かがありまして――と
ナレーションのようにはじまった詩が
最終連は「字下げ」の形になって
「夜は劫々と更けまする」と
再びナレーションに戻った恰好で終わります。
 
これはまるでランボーのドラマツルギーです。
 
 
その3
 
「幾時代かがありまして」とはじまり
「夜は劫々と更けまする」で閉じる
二つのナレーションの間に語られるドラマ――。
 
そのナレーションの眼差しには
幾分か道化(どうけ)の気分が混ざるのは
ドラマがサーカスであるからです。
 
ブランコは「見えるともない」ものですが
それを案内しながら演じるのは道化ですし
道化を演じるのは詩人です。
詩人はこの詩の作者でもあります。
 
 
ドラマツルギーというほど大げさなものではなく
作者=詩人がドラマツルギーを意識していたかどうかも不明ですが
この詩がモノローグの要素を孕みながら
「見えるともない」空中ブランコを見ている観客の眼差しをもち
その観客を見渡している眼差しをももち
サーカス小屋の外の暗闇をも眺める現在の眼差しは
幾時代を経た後にやってきたものです。
 
詩(人)の眼差しは遍在し
壮大なスケールというほかにありません。
 
 
時間、空間ともにスケールが大きいのですが
スケールを大きくしている仕掛けの一つが
第3連、
幾時代かがありまして
  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り
――の「一と殷盛り」です。
 
「此処での一と殷盛り」の中に
空中ブランコが見えるともなく見えるのです。
 
見えるともなく見える、というのは
明らかに実際にサーカスを見ているのではなく
過去の経験を基にした「幻想」の類(たぐい)です。
 
幻想ですから
スケールは大きくなります。
幻想に小さいものはありません。
 
 
にもかかわらず
いつしか今度は
 
頭倒(あたまさか)さに手を垂れ
汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)
近くの白い灯(ひ)
観客様はみな鰯
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)
――などとリアルなサーカス(小屋)の描写に転じ
転じたところで「ゆあーんゆよーん」と
もののみごとにブランコが揺れ
サーカス小屋が揺れ
観客が揺れ
詩人の心が揺れているようなオノマトペです。
 
 
この詩は最終連を「字下げ」にして
再びサーカス小屋の外の現実(リアル)にいる詩人が歌うのですが
そこは真っ暗な闇夜です。
 
サーカスの賑わいは微塵(みじん)もなく
ゆあーんゆよーんと
落下傘(のノスタルジー)が揺れ落ちています。
 
詩人がいるここは現実です。
見えているのは空中ブランコではなく落下傘で
この落下傘が茶色い戦争と遠く響き合います。

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・7「朝の歌」

その1
 
「悲しみの朝」「黄昏」を読んできた流れで「朝の歌」を読むのも
「生活者」に発表されて後に「山羊の歌」に配置される詩だからですが
「悲しみの朝」「黄昏」は昭和4年9月号発表ですが
「朝の歌」は10月号の発表になります。
 
「朝の歌」が「生活者」に発表されていたこと自体に目を見張らされますが
「生活者」への発表は「スルヤ」よりも後のことになり
2度目の発表(第2次形態)です。
 
この詩にまつわるエピソードは数多くあるため
詩そのものを読むには「妨(さまた)げ」になるほどですから
ここでは詩を読むことに集中しましょう。
 
 
朝の歌
 
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。
 
小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。
 
樹脂の香(か)に 朝は悩まし
  うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな
 
ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
 
 
この詩が、文語57調のソネットであり
詩人自らが書いた創作歴「詩的履歴書」(昭和11年)に
 
「大正十五年五月、『朝の歌』を書く。七月頃小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最
初。つまり「朝の歌」にてほゞ方針立つ。(略)」
 
――とあることくらいは
押さえておいたほうがよいかもしれませんが
知らなくてもよいでしょう。
 
そんなことを知らなくても
この詩を読むことができます。
 
 
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
 
――とはじまる第1連の2行を
「雨戸」から洩れて入っている朝の陽光が
寝床から見上げる天井へと伸び
朱色に燃えている、という情景を浮かべることができれば
この詩の世界へ入り込んでいます。
 
そうすれば
詩人は今、寝床にあり
遅い朝を迎えていますが
その詩人と同じ位置に自分を重ねていることになります。
これは詩を「体験」しているようなことです。
 
 
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。
 
この行は、「軍楽」の読みがさまざまに可能ですが
ここでは戸外から鼓笛隊の演奏が聞えてきて
(洗練されない)鄙びた音をあたりに響かせている
特定の誰かが聞き耳を立てていて
喝采を浴びているというわけでもない
その所在なげな響きが
気も遠くなるような「平和」なのです。
 
 
その音が止(や)んでみれば
小鳥の声さえも聞えない昼に近い時間帯
垣間見えた空はうっすら透明な青(はなだ色)の快晴らしい。
首を回して空を覗くのも
億劫(おっくう)な詩人。
 
昨晩の酒が残り
怠惰に休んでいるひとときを
だれもとがめるものもありません。
 
 
その2
 
第3連
樹脂の香に 朝は悩まし
うしないしさまざまのゆめ
 
――の「樹脂の香」は
平成の現在でこそほとんど嗅ぐことのできなくなった
木造建築が発する「脂(やに)」の匂いで
第1連の「戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光」の「戸」と同じように
昭和初期の庶民の家屋に当たり前の景色でした。
 
詩人が借りて住んでいた下宿に
脂の滲み出る柱があったものか
近くの新築中の現場の木材からの匂いか
いろいろと考えられます。
 
鼻を突く匂いは不快なものではなく
朦朧(もうろう)とした目覚めの時間に
小さな覚醒をうながす清涼なものでしたが
その樹脂の香に
詩人はうしなった夢を呼び覚まされるのでした。
 
 
朝は悩まし
――は、さりげなく置かれたようなフレーズですが
穏やかに流れていたこの詩の時間が
ここで「内的に」動き出します。
 
他人にとやかく言われるようなことの何もなかった時間が
樹脂の香が呼び水となって
詩人の心をもざわざわと揺らしはじめます。
 
森竝が風に鳴るのを聞くのですが
詩人はまだ寝床から起き出しません。
 
 
第4連になって初めて
詩人の「目」が
広々とした空を見るようですが
実際に空を見たものか……。
 
見たとすれば
時が経過し
詩人は寝床から起き出して
雨戸を開け放ち
東京の中野か杉並あたりの
昼過ぎの空へ連なっていく「土手」を目撃したということになります。
 
 
詩人が寝床から立ち上がり
雨戸を開け放って空を眺めやったとなると
朱の光の反映を天井に見ていたときから
しばしの時間が流れて
詩人は覚醒したことになります。
 
 
東京にも土手はありますから
起き抜けに見た土手の景色を歌っておかしくはないのですが
うしなわれた時を「悩まし」く振り返るのですから
第4連は詩人の思念の中にある風景であると取ったほうが自然でしょう。
 
眼前に土手を見たとしても
その土手を見ているうちに
故郷の土手がかぶさってきます。
 
失われたゆめを振り返る思念の中に
故郷山口の土手が入り込んできます。
 
 
「うしないしさまざまのゆめ」は
つい最近失ったものばかりでなく
幼時から現在にいたる長い時間を孕(はら)んでいて
森並を揺する風にいざない出されるのです。
 
いつしかそこに
故郷の土手が現われ
その土手を伝って
空へ消えて行ったあの夢この夢。
 
なんと美しかった夢の数々!
 
 
その3
 
「黄昏」につづき「朝の歌」を読んで
二つの詩の類似性に気づいた人は
少なくはないはずです。
 
その一つが「失う=うしなう」という言葉使いです。
「黄昏」で歌われた「失われたもの」が
「朝の歌」には「うしないし さまざまのゆめ」として現われました。
 
二つの詩は
その詩世界への入り口に
この「失う=うしなう」という言葉を置いているようです。
 
二つの詩の世界へ入るのに
「失う=うしなう」という言葉が目印になります。
 
 
もう一つの類似性は
第3連と第4連の間にある
時間や空間の「切断」とか「飛躍」とかです。
 
「黄昏」を思い出してみれば
 
なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
草の根の匂いが静かに鼻にくる、
畑の土が石といっしょに私を見ている。
 
――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!
じいっと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立って、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです
 
――という、この第3連と第4連の間のことです。
 
この「間」には
「時間の経過」や
「空間の移動」(または、その直前の静止)があります。
 
 
「朝の歌」では
 
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな
――と歌った後に
しばらくの時間があり、
その時間は停止していますが
やがて、
ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
――と続いていきます。
 
ここにある「時間の経過」を読めば
「ひろごりて たいらかの空」は
「はなだ色らし」の空と異なる空であることに気づかされます。
 
 
寝床にあって「はなだ色らし」の空は
詩人が眼前に目撃している空(の色)ではなく
戸のすき間から洩れる光の具合を見てはなだ色「らしい」と感じた空ですが
「ひろごりて たいらかの空」は
微妙に変色した遅い朝の(昼過ぎの)生気を失った空(の色)で
詩人はこの空を実際に眺めたものかもしれません。
 
この「時間の経過」の中に思念は生まれ
目前に見える空に
故郷の空が混入してくるのです。
 
 
「黄昏」と「朝の歌」の
二つの詩のどちらが先に作られたかは確定できません。
 
どちらが先の制作であるかを知ることは重要なことですが
「山羊の歌」では
「朝の歌」が5番目
「黄昏」が9番目に置かれました。
 
どちらも「初期詩篇」22篇のうちの
前半部に配置されていますが
「朝の歌」が「黄昏」より前に置かれたというところに
詩人の意図があることは間違いありません。
 
 
どのような意図があったのでしょうか。
 
少年時
みちこ
羊の歌
――という明確な「テーマ性」で編集された「山羊の歌」の後半部に比べて
「初期詩篇」は「初期」という「時間軸」でまとめられたのですから
詩人の意図は見えてきません。
 
テーマ(性)そのものが詩人に見えていなかった時代の詩篇ということになりますが
テーマに沿って収斂(しゅうれん)し
深みを増していく詩群とは違って
多彩で多方向な詩篇が
味わい尽くされないままに蠢(うごめ)いているところが
「初期詩篇」の世界のようです。
 
 
「初期詩篇」の半数(11篇)が「生活者」発表です。
「初期詩篇」のまだ半分も読んでいません。

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・6「黄昏」

その1
 
「黄昏」も
悲しみについて歌っているところで
「悲しみの朝」と同じです。
 
「生活者」の昭和4年9月号に発表されています。
そして、「山羊の歌」の「初期詩篇」に収録されるところも同じですが
「黄昏」は9番目、「悲しみの朝」は15番目という配置です。
 
 
「悲しみの朝」とどちらが先に制作されたのかわかりませんが
昭和4年であるのは間違いないことでしょう。
 
二つの詩を
類似しているところがあるからといって
比較して読むあまり混同することには注意が必要です。
二つの詩は
別々の詩であることをゆめゆめ忘れてはなりません。
 
でも「悲しみ」というテーマ(主題)で歌われた詩の
早い時期の作品であるということを
記憶しておくことに越したことはないでしょう。
 
 
この詩「黄昏」ではズバリ! 
 
――失われたものはかえって来ない。
なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
 
――という詩行が見られ
「悲しみの理由」が明確に歌われていますから
詩人がこの後に多量に歌う「悲しみの歌」を味わうときに
なんらかの参考になることがあるはずです。
 
 
黄 昏
 
渋った仄暗(ほのぐら)い池の面(おもて)で、
寄り合った蓮(はす)の葉が揺れる。
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。
 
音をたてると私の心が揺れる、
目が薄明るい地平線を逐(お)う……
黒々と山がのぞきかかるばっかりだ
――失われたものはかえって来ない。
 
なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
草の根の匂いが静かに鼻にくる、
畑の土が石といっしょに私を見ている。
 
――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!
じいっと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立って、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです
 
 
大岡昇平の書いた伝記「朝の歌」に
この蓮池に関する有名な記述があります。
 
そこで、中也が住んでいた下宿、東京・中野の池と推定されたため
あまりにも印象に残り
「黄昏」を読むときには
見たこともない中野の蓮池を想像してしまうほどです。
 
昭和初期の中野を知るものではありませんが
高度経済成長以前の中野をよく知っていると
「黄昏」を読むときに
中野の自然がかぶさってきます。
 
 
本当は「中野の蓮池」にこだわらなくても読める詩です。
蓮池は各所によく見られます。
石神井池や井の頭池など
池という池に必ずといってよいほど
蓮が茂る一角があるようですし
詩人の生地、山口にも存在するかもしれませんし
「黄昏」に歌われている蓮が
東京・中野のものと特定しなくてもオーケーです。
 
 
同時代を生きた友人の、1次情報ですから
大岡の記述には説得力がありますが
「黄昏」の蓮は
「自然の蓮」である以上の意味を放っていて
蓮の描写や風景の細部の見事さに目を奪われていると
見失うものがあります。
 
 
その2
 
「黄昏」の蓮は
「中野の蓮池」を歌ったものという大岡説の上に、
蓮という植物への鋭い「観察」の跡が見られ
「描写」も単なる写実でないところに
「表現の技」をギリギリまで追い求めた形跡があります。
 
といっても
技が「あばら骨」のように浮き出ているわけではありません。
むしろ、隠されています。
 
 
この詩の「描写」をざっと見てみますと、
 
渋った仄暗い池の面
寄り合った蓮の葉
蓮の葉は、図太い
こそこそとしか音をたてない
薄明るい地平線
黒々と山がのぞきかかる
草の根の匂い
 
……などと、言葉の選び方には
なんともいえない「クセ」がありますが
比較的に平易です。
「渋った」は詩人による造語でしょうか。
 
蓮の葉は、図太い
こそこそとしか音をたてない
草の根の匂い
 
……のようなユニークな表現が平易な言葉の中に混じります。
 
 
寄り合った蓮の葉
蓮の葉は、図太い
黒々と山がのぞきかかるばっかりだ
畑の土が石といっしょに私を見ている。
 
……という擬人法も次第に姿を現わして自然(控え目)です。
 
 
渋った、暗い……という光の加減(視覚)
寄り合った、揺れる……という身体感覚
図太い、こそこそ……という人間の性質(擬人化)
 
「こそこそ」は音にかぶさり(私=詩人が登場)
「私」の心の揺れになり……心理
揺れる心が地平線を追い……目の移動
黒々と山が「迫ってくる」……光(視覚)
 
ここで突如(と感じさせるように)
 
――失われたものはかえって来ない。
なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
 
――という2行が、連を渡して出現します。
 
そしてすぐに(第3連)
 
草の根の匂い……鼻をつき(嗅覚)
畑の土が石といっしょに私を見ている……という「くっきりした」擬人化で終わります。
 
 
一語一語、一行一行が
五感を総動員して
「しりとり遊び」のようにリンクし
第1連から第3連へと
蓮池の情景を借りながら淡々と進行し
いつしか詩人の「立ち位置」を宣言する最終連へいたります。
 
第1連から第3連までは
最終連の導入であるかのように
この詩は作られています。
 
 
その3
 
「黄昏」の中に
 
――失われたものはかえって来ない。
――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!
 
と、「――」を行頭においたフレーズがありますが
この行は詩の作者の「地の声」です。
 
詩を「作っている人」が
詩の中の世界を「超えて」
直(じか)に「告白」したり「説明」したり「主張」したり「慨嘆」したり……
 
詩の中で歌ってもよいのですが
詩本文(本体)よりも「高み」(もしくは「低み」)」から
詩本文を「超えて」
ものを言っている詩行です。
 
 
ここに並べただけでは
この2行の(因果)関係が見えませんが
詩(人)は「――」を置いた詩行に
なんらかの(因果)関係を主張したかったのでしょうか?
 
 
「失われたもの」とは
過ぎてしまった青春とか過去の大切な思い出とか……時間
生まれ育った土地とか住んでいた場所とか……空間
いなくなってしまった家族とか恋人とか友人とか……人間
 
かつて存在したもので今ここにはないもの。
 
この詩の場合
どのようにも受け止められますが
まずは、泰子と暮した楽しかった時が浮かんできます。
 
その時は永遠に帰ってこない
悲しいことは色々とあるものだが
これほど悲しいことはない
――と歌ったところで
草の根の匂いが鼻にくるのです。
そして、畑の土と石が私を見るのです。
 
ほーれ、見たことか!
女に逃げられてよ!
 
 
草の根(の匂い)や畑の土や石は
「大地」にあって永久に不変の存在でありつづけるものです。
 
日の昇るとともに起き
日の落ちるとともに眠り
土を耕し石ころ取り除く
誠実で忍耐のいる「耕す人々」の暮らしの土台です。
 
草の根が鼻にくる、
畑の土と石が私を見ている、というのは
あたかもそのように着実な存在であるものによって
私がせせら笑われていることを象徴的に表現したものです。
 
 
いや! 私は耕すつもりはない!
――と詩人は、しかし、毅然(きぜん)として否定します。
 
こうしてきっぱり否定したまでははっきりしていますが
詩人はしばらくの間、
茫然(ぼんやり)黄昏の中に立っていました。
 
さまざまな思いが立ちのぼり
父親の姿が浮かんできて
その挙動がくっきりしてきたとき
詩人は蓮池のほとりから離れます。
 
一歩一歩ではなく
一歩二歩と歩き出すのは
「足早に」というニュアンスがあります。

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・5「悲しき朝」

その1
 
「山羊の歌」の「初期詩篇」で
「逝く夏の歌」の次に配置されているのが「悲しき朝」です。
どちらも「生活者」の昭和4年9月号に発表されています。
 
 
悲しき朝
 
河瀬(かわせ)の音が山に来る、
春の光は、石のようだ。
筧(かけい)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。
 
雲母(うんも)の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。
 
知れざる炎、空にゆき!
 
響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
われかにかくに手を拍く……
 
 
詩は「省略」の多少を按配(あんばい)することで作られている――と言ってよいほど
1字1句、1行1行、1連1連……
詩の全体の細部にわたる「省略」の建築みたいなもので
その過不足によって詩心は刻まれ
形になります。
 
 
「悲しき朝」は
「省略」というありふれた技法を使って
春の朝の山村の情景に
老女に物語らせ
幼児に歌わせ
詩の「ありか」を歌います。
 
なぜ「悲しき」なのか。
 
「省略」を極限までほどこした果てに
詩は
知れざる炎となって空へ行き
響(ひびき)の雨となってずぶ濡れになります。
 
炎であり
雨であり
「……」であり
 
詩人が歌おうとした詩は
言い尽くせぬ
言うに言われぬ
「……」であり
 
幼い日
口をとがらせて歌ったあの時の
涸れて皺枯(しわが)れて
いわばしる滝の上を渡っていった
あの歌で…………
 
 
その2
 
「悲しき朝」は
詩人の故郷のものらしき河瀬の音を歌いだし(遠景)
やがて、
昔日に、一人岩場に歌う詩人(近景)をとらえます。
 
そして、
後半部に入って「展開」があるはずが
 
知れざる炎、空にゆき!
 
響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
われかにかくに手を拍く……
 
――と「連」の形をつくらずに
詩は完結します。
 
後半のこの「4行」は
きっと「4連」の「省略」です。
 
 
「省略」は詩を生む有力な武器ですが
それが「強い」分だけ
説明とか描写とか独白とか……
詩行としてあってもおかしくない部分がなくなるわけですから
「読み」に難しさが加わります。
 
冒険ともいえるような
言語の「遊び」もしくは「実験」を
詩人は
詩を書きはじめたダダ時代以来
果敢に本気で試みています。
この詩もその例です。
 
 
後半部「4行」をいかに読むか――。
 
「4行」は
前半2連と何らかは「連続」しているのですから
4行はみんな
河瀬の音を聴きながら
雲母の口をして歌った、という「描写」を受けているものと読むのが自然でしょう。
 
これ(前半と後半)が無関係であったら
まったく詩を読むことはできなくなります。
 
前半2連に引き続いて
詩は詩人の「思い」を述べている――。
 
 
あの時の情景を振り返る詩人の「思い」は
次第に乱れあるいは高まり
口をとがらせてしゃがれるまでに歌った「ぼく」の心に
すっかりかぶさりますが……
 
あの時
「知れざる炎」が空に飛んでいったのだ!
「響の雨」はぼくを濡れ冠むったのだ!
 
……
 
 
行末に「!」が連続していることは
この2行が「同格」を示しているものといえるでしょう。
 
3行目の「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」と
最終行の末尾「……」も同格らしい。
 
こみ上げてきて言い尽くせぬ思い
言ってはいけない秘密のようなもの。
 
 
「知れざる炎」も「響の雨」も
詩人が河瀬で歌った過去に喚起されて
現在の詩人の中に湧き起こった思いです。
それを「詩の言葉」にしたものです。
 
今日この日に河瀬に来て
昔のある日の経験を思い出して書いたのか
河瀬をこの詩を書いた時の詩人が見たかどうかはわかりませんが
遠い日の思い出が現在にかぶさってきて
詩人の心は揺れています。
 
 
「……」は
詩人の心の揺れを表わすでしょう。
 
その揺れこそ
詩を書くことそのものに繋がります。
 
詩そのものかもしれません。
 
 
その3
 
「悲しき朝」は
なぜ「悲しき」なのでしょう?
どこがどのように悲しいのでしょう?
 
この詩の中に
それを明示する詩語を見つけるのは
困難といえば困難でしょうが
ヒントくらいは見つかるでしょう、きっと。
 
それを見つけることは
この詩を読むのに等しいことかもしれません。
 
 
1行1行を読み返してみれば
「悲しみ」につながるものならば
「響の雨」という言葉に強く吸引されます。
 
「悲しみ」ならば
「炎」よりも「雨」になりますから。
 
「響の雨」とは
第1連、第2連を通じて歌われている
河瀬の音であると同時に
それを聞きながらぼくが口をとがらせて歌った歌が
岩の上を綱渡りしていく声でもあります。
 
河瀬をバックに歌ったぼくの声は
カラカラの心が歌ったしゃがれ声でした。
その歌が滝の岩の上を走るのです。
 
 
雲母の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。
 
――という第2連が
単なる情景描写ではないのを
なぜ感じられるのでしょうか。
 
ここにこの詩の最大の不思議があるのですが
よくよく考えてみると
幼い子どもであった詩人が巨大な滝を背に
声を枯らして歌っているというその一種異様な姿が
異様ではなく自然に歌われているこの連は
この詩の中で詩人その人のその心に
もっとも接近している部分です。
 
詩人の思いを
もっともクローズアップする詩行です。
 
 
雲母の口して
背に倒れ
歌った
――という状況にいたるまでにどのような経緯があったのか
想像するのはそれほど困難なことではありません。
 
巌を背にして
子どもがひとりぼっちで
声を限りに歌っているのです。
 
「悲しみ」の元が
このあたりにありそうです。
 
 
その4
 
「悲しみの朝」をもう少し読みます。
 
 
後半部の「省略」は
詩(人)が自ずと辿(たど)った結果といえるものですから
隠された無数の言葉を思い巡らすことは
かなり無意味なことになりましょう。
 
想像が的外れになり
無闇に想像すれば
詩を見失うことになります。
 
 
この詩を再び一歩距離をおいて読んでみると
第1連が「起」
第2連が「承」
「知れざる炎、空にゆき!」
「響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」――の3行が「転」
「われかにかくに手を拍く……」が「結」
――という構造になっていることが見えてきます。
 
「悲しみの朝」という主題(テーマ)から
そのように見直すことができるからです。
 
「悲しみ」とはなんだろう、という眼差しで読み返すと
この詩はひとかたまりのまとまったものになり
すると「起承転結」がはっきりしてきます。
 
 
「転」を「連」のつくりにしなかったには
色々な理由があったことでしょう。
 
詩人には
無数の言葉が散乱していたはずです。
 
それはさながら
轟音とどろく巌(いわお)の上を走る歌声……。
詩心の氾濫……。
 
 
「知れざる炎」は、空に行き、
「響の雨」は、ぼくを濡れこぼす。
――という二つの氾濫。
 
一つは、空へ向かう炎。
一つは、ぼくに降りしきる雨。
 
相反する氾濫。
 
 
いや、それだけじゃない。
詩心は溢れ返ります。
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
書きようにも
書ききれない。
 
それを書いたら
詩でなくなってしまう。
 
 
詩と格闘する詩人。
孤独な詩人。
 
そして
はたと手をはたく詩人。
 
最後の1行
われかにかくに手を拍く……
――は、こうして書かれました。
 
詩末尾の「……」は
格闘の続行を示しています……。

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・4「逝く夏の歌」

その1
 
「生活者」第9号に
「都会の夏の夜」とともに発表された詩の一つに
「逝く夏の歌」はあり
この詩もやがて「山羊の歌」に収録されます。
 
 
逝く夏の歌
 
並木の梢(こずえ)が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。
日の照る砂地に落ちていた硝子(ガラス)を、
歩み来た旅人は周章(あわ)てて見付けた。
 
山の端(は)は、澄(す)んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
 
風はリボンを空に送り、
私は嘗(かつ)て陥落(かんらく)した海のことを 
その浪(なみ)のことを語ろうと思う。
 
騎兵聯隊(きへいれんたい)や上肢(じょうし)の運動や、
下級官吏(かきゅうかんり)の赤靴(あかぐつ)のことや、
山沿(やまぞ)いの道を乗手(のりて)もなく行く
自転車のことを語ろうと思う。
 
 
「逝く夏の歌」を読むと
 
並木の梢(こずえ)が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。
(第1連)
 
山の端(は)は、澄(す)んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
(第2連)
 
風はリボンを空に送り、
(第3連)
 
――のような「擬人法」と
 
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
(第2連)
 
――のような「暗喩」がからみあう複雑さにぶつかります。
 
その上に
 
私は嘗(かつ)て陥落(かんらく)した海のことを 
その浪(なみ)のことを語ろうと思う。
 
騎兵聯隊(きへいれんたい)や上肢(じょうし)の運動や、
下級官吏(かきゅうかんり)の赤靴(あかぐつ)のことや、
山沿(やまぞ)いの道を乗手(のりて)もなく行く
自転車のことを語ろうと思う。
 
――と「類推」や「連想」だけでは想像もできない
この詩人固有の題材(体験や記憶)が混ざる構成であることを知ります。
 
 
擬人法、喩、「私的」題材……。
これらが重層するため
イメージが錯綜しそうですが
決してそうならないのは
「逝く夏の歌」のタイトル(=テーマ)から
一歩もはみ出さない求心力が
この詩にあるからです。
 
夏が終わって、その後に、秋がやってくるという
「季節の移り変わり」に焦点を向けたのではなく
夏が終わったことそのものを歌う詩ですから
「逝った夏」から離れていないのです。
 
 
この詩の最大の謎(なぞ=難しさ)はおそらく
「陥落した海」や 
「その浪」や
「騎兵聯隊や上肢の運動」や
「下級官吏の赤靴」
「乗手もなく行く自転車」にあります。
 
これらは
作者である詩人も見たことのない未体験の話です。
それを題材にしていることを
初めてこの詩を読む人が知ることはできません。
 
 
「陥落した海」とは
どうやら日露戦争の「旅順港」で
日本軍が陥落させたロシア軍の要塞のことです。
詩人は幼時、
父謙助が赴任した旅順へ
母に負われて滞在したことがありますから
その時のことを後になって繰り返し繰り返し聞かされ
記憶に残るはずもないこの「経験」を
あたかも目で見、耳で聞いたかのように記憶に刻みました。
 
それらのことを
「語ろうと思う」と歌ったのです。
 
 
最後に現われる「乗手もなく行く自転車」は
旅順の「経験」ではないかもしれませんが
やはり遠い日の経験でありそうです。
 
 
その2
 
梢が息を吸って空は見ていた
旅人は見付けた
山の端は清くする
私が塗っておいた
風が送る
……
 
第1連、第2連、第3連冒頭行の主語と述語だけを追えば
このようになります。
 
各連が
擬人法を交互に使っているのが分かります。
 
擬人法は第3連冒頭行まで使われて消え
以降、末行まで「人間=私」を主語とします。
 
 
始めに出てくる「旅人」は「私=詩人」らしく
後半連の主格も「私」であることに気づけば
この詩の骨格は見えたことになります。
 
逝く夏を歌う主人公は
旅人であり
私である
詩人です。
 
 
全体の骨格が見えて
ふたたび詩を読み返してみれば
第2連
 
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
 
――の「暗喩(あんゆ」が立ちふさがります。
 
擬人法の中に紛れ込むようにある
「私」が「飛行機に」「昆虫の涙を塗っておいた」という動作が
どのような意味を表現しているのかと立ち止まります。
 
この2行の「意味」を受け止めないことには
この詩を読み進むことはできません。
 
 
ここでも
前後関係あるいは全体から類推するという方法にたより
想像力をフルに生かすしか手はありません。
 
なぜ昆虫か
なぜ涙か
昆虫の涙を飛行機に塗る、という行為に
詩人は何を込めたのか――。
 
 
近景と遠景。
過去と現在。
 
「風」が時空を移動するバネになって……。
遠い遠い日の「記憶」が
ざわざわと蠢(うごめ)きはじめます。
 
 
こんな時に
詩人は
詩人の歌いたいものを見出します。

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・3「都会の夏の夜」

その1
 
「春の夜」は
全行にわたって解説しているものがなかなか見つからず
「新編中原中也全集」や「中原中也必携(別冊国文学)」などを参考にしながら
ともかくも自力で読んでみました。
 
「春の夜」の難しさは
全連、各詩行の一つひとつが難解である上に
各連各行の「つながり」がとらえにくいことからくるもののようでしたが
「山羊の歌」の「初期詩篇」には
これと似た「作り」の詩が幾つかあります。
 
「月」
「凄じき黄昏」
「ためいき」
――がそのグループとなり
「月」「春の夜」は「生活者」に初出した後に
「山羊の歌」に配置された詩です。
 
この4作を読みこなせば
「山羊の歌」の「初期詩篇」の難解さは氷解しはじめ
一つひとつの詩がキラキラと輝きはじめ
全22篇の詩世界が「妍(けん)を競う」ような
華麗な姿を現わします。
 
 
「山羊の歌」「初期詩篇」には
このほかに
詩の全体の大意は理解できるものの
ある特定の詩行が難解で
とりあえずは「回避」して読み過ごしてきた詩があります。
 
出だしはそれほど難解ではなく
詩世界の中にスムーズに没入していけるのだけれど
「岩のような」その難解な詩行にぶつかり
その岩には登らずに
回り道して頂上に辿りついたような詩――。
 
分からない詩句は分からないままに
およその見当はつけても
アバウトな想像に留めておいて
最後まで読んだ詩です。
 
 
トタンがセンベイ食べて
(春の日の夕暮)
 
死んだ火薬と深くして
眼に外套の滲みいれば
(都会の夏の夜)
 
夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩のかなたの地平の目の色。
(秋の一日)
 
波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向うに運ぶ
(深夜の思い)
 
人の情けのかずかずも
ついに蜜柑の色のみだった?……
(冬の雨の夜)
 
飛んでくるあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
(逝く夏の歌)
 
……
 
 
「初期詩篇」をパラパラめくれば
こんな詩句にぶつかります。
 
これらの難解さは
「初期詩篇」の前半部だけにあるもののようです。
 
「初期詩篇」の後半部の詩篇からは
次第にその難しさは薄れていきます。
 
 
これらの難解詩行を含む詩篇のうち
「生活者」初出の作品を読んでいきましょう。
 
という絞り方をすると
「都会の夏の夜」が浮かんできます。
 
 
都会の夏の夜
 
月は空にメダルのように、
街角に建物はオルガンのように、
遊び疲れた男どち唱(うた)いながらに帰ってゆく。  
――イカムネ・カラアがまがっている――
 
その脣(くちびる)は胠(ひら)ききって
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊(つちくれ)になって、
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。
 
商用のことや祖先のことや
忘れているというではないが、
都会の夏の夜の更――
 
死んだ火薬と深くして
眼(め)に外燈(がいとう)の滲(し)みいれば
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。
 
(新編中原中也全集 第1巻」より。「新かな」に改め、一部「振りがな」を加えました。編者。)
 
 
その2
 
「都会の夏の夜」には
「イカムネ・カラア」のように
聞きなれない言葉がありますが
単語の意味を知るのは割合容易です。
 
辞書を引くなり
参考書で調べるなりすれば
たいがいは解答が得られますし
前後関係から推測して
大体は見当がつく場合がほとんどでしょうから。
 
 
この詩の最終連
 
死んだ火薬と深くして
眼(め)に外燈(がいとう)の滲(し)みいれば
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。
 
――のような詩句にぶつかったとき
辞書や参考書で調べても
まず明快に答えを見出せないことが多く
「想像する」ほどで読み終えたことにしておくのが
普通のケースでしょう。
 
 
このようなとき
類推や連想を頼りにするしか手はありません。
 
その方法に
磨きをかけるしかないのです。
 
その一つが
前後関係から類推するという方法で
これは「言語の理解」の基本中の基本で
常日頃あらゆる場面で人々が意識的無意識的に行っていることです。
 
それほど普通に行っていることであり
有効なことだから行っている方法です。
 
 
死んだ火薬と深くして
――という詩行は
都会の夏の夜の「風景」の中に置いてみれば
類推がいっそう奏功してくることでしょう。
 
都会の夏の夜の更――
――という前連終行から連想するのです。
 
連が終わりいったん「間(ま)」が開けられて
「断絶」が設けられた印象ですが
ここは「断絶」ではなく「断続」を読みます。
 
詩は
全体で「繋がっている」はずですから。
 
であるならば
「死んだ火薬」は
「人気もなく灯りの消えた街」の情景として浮かび上がってきます。
 
 
「死んだ火薬」というのは
さっきまで喧騒に満ちて皓々と輝いていた街のことで
その街がまだそこにあるかのように
その街に「深く」交わった人々が
歌い行進する様子であることが読めてきます。
 
その人々の眼には
外燈がまだ滲みるほどに鮮やかなのです。

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