諸世紀を通じ、神は此の者をば、
折々此の世に降し給う……
バルザック書簡。
Ⅰ
彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健(すこや)かに
軟風(そよかぜ)の云うを聞けば、《これはこれジュギュルタが孫!……》
やがては国のため人民のため、大ジュギュルタ王とはならん此の者が、
いたいけなりし或る日のこと、
来るべき日の大ジュギュルタの幻影は、
その両親のいる前で、此の子の上に顕れて、
その境涯を述べた後、さて次のように語った
《おお我が祖国よ! おお我が労苦に護られし国土よ!……》と
その声は、寸時、風の神に障(さまた)げられて杜切(とぎ)れたが……
《嘗て悪漢の巣窟、不純なりし羅馬は、
そが狭隘の四壁を毀(こぼ)ち、雪崩(なだ)れ出で、兇悪にも、
そが近隣諸国を併合した。
それより漸く諸方に進み、やがては世界を我が有(もの)とした。
国々は、その圧迫を逃(のが)れんものと、
競うて武器を執りはしたが、
空しく流血するばかり。
彼等に優(まさ)りし羅馬の軍は、
盟約不賛の諸国をば、その民(たみ)等をば攻め立てた。
彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健(すこや)かに
軟風(そよかぜ)の云うを聞けば、《これはこれジュギュルタが孫!……》
我、久しきより羅馬の民は、気高(けだか)き魂(たま)を持てると信ぜり、
さわれ成人するに及びて、よくよく見るに
そが胸には、大いなる傷、口を開け、
そが四肢には、有毒な物流れたり。
それや黄金の崇拝!……そは彼等武器執る手にも現れいたり!……
穢(けが)れたるかの都こそ、世界に君臨しいたるかと、
よい力試(ちからだめ)し、我こそはそを打倒さんと決心し、世界を統べるその民を、爾来白眼、以て注視を怠らず!……
彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健(すこや)かに
軟風(そよかぜ)の云うを聞けば、《これはこれジュギュルタが孫!……》
当時羅馬はジュギュルタが事に、
介入せんとは企ていたり、我は
迫りくるそが縄目(なはめ)をば見逃さざりき。立って羅馬を討たんとは決意せり
かくて我日夜悶々、辛酸の極を甞めたり!
おお我が民よ! 我が戦士! わが聖なる下々(しもじも)の者よ!
羅馬、かの至大の女王、世界の誇り、
かの土(ど)は、やがてぞ我が手に瓦解しゆかん。
おお如何に、我等羅馬のかの傭兵、ニュミイド人(びと)等を嗤いしことぞ!
此の蛮民等はジュギュルタが、あらゆる隙(すき)に乗ぜんとせり
当時世に、彼等に手向うものとてなかりし!……
彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健(すこや)かに
軟風(そよかぜ)の云ふを聞けば、《これはこれジュギュルタが孫!……》
我こそは羅馬の国土に乗り込めり、
その都までも。ニュミイドよ! 汝(なれ)が額に
我平手打(ひらてうち)を啖(くら)わせり、我は汝等(なれら)傭兵ばらを物の数とも思わざり。
茲にして彼等久しく忘れいたりし武器を執り、
我亦立って之に向えり。我は捷利を思わざり、
唯に羅馬に拮抗せんことこそ思えり!
河に拠り、巌嶮(いわお)に拠りて、我敵軍に対すれば、
敵勢(ぜい)は、リビイの砂原(すなはら)、或(ある)はまた、丘上の角面堡より攻めんとす。
敵軍の血はわが野山蔽いつつ、
我がなみならぬ頑強に、四分五裂となりやせり……
彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健(すこや)かに
軟風(そよかぜ)の云うを聞けば、《これはこれジュギュルタが孫!……》
恐らくは我敵方(かた)の、歩兵隊をも敗りたらむを……
此の時ボキュスが裏切りに遇い……思い返すも徒(あだ)なれど、
されば我、祖国(くに)も王位も棄て去りて、
羅馬に謀反(むほん)をせしという、ことに甘んじていたりけり。
さても今復(また)フランスは、アラビヤの、都督を伐ちて誇れるも……
汝(なんじ)、我が子よ、汝(いまし)もし、此の難関に処しも得ば、
汝(なれ)こそはげにそのかみの、我がため仇を報ずなれ。いざや戦え!
去(い)にし日の、我等が勇気、今は汝(な)が、心に抱き進めかし、
汝(なれ)等が剣《つるぎ》振り翳せ! ジュギュルタをこそ胸に秘め、
居並ぶ敵を押返し! 国の為なり血を流せ!
おお、アラビヤの獅子共も、此の戦いに参ぜかし!
鋭き汝(なれ)等が牙をもて、敵の軍勢裂きもせよ!
栄(さかえ)あれ! 神冥の加護汝(なれ)にあれ!
アラビヤの恥、雪(そそ)げかし!……》
かくて幻影消えゆけば、幼な子は、青竜刀の玩具(おもちゃ)もて、遊び興じていたりけり……
Ⅱ
ナポレオン! おお! ナポレオン!(1) 此の今様のジュギュルタは、
打負かされて、縛られて、幽閉(おしこ)められて暮したり!
茲にジュギュルタ更(あらた)めて、夢の容姿(かたち)にあらわれて
此の今様のジュギュルタにいとねむごろに云えるよう、
《新らしき神に来れかし! 汝が災害を忘れかし、
佳き年(とし)今やめぐり来て、フランス汝(なれ)を解放せん……
汝(なれ)は見るべし、フランスの治下に栄ゆるアルジェリア!……
汝(なれ)は容るべし、寛大の、このフランスの条約を、
世に並びなき信仰と、正義の司祭フランスの……
愛せよ、汝がジュギュルタを、心の限り愛すべし
さてジュギュルタが命数を、つゆ忘れずてありねかし
註(1)アムボワーズの城に幽閉されたりしアブデルカデルは ナポレオン
三世の手によりて釈放されたり 時に千八百五十二年
Ⅲ
これぞこれ、汝(な)に顕れしアラビヤが祖国(くに)の精神(こころ)ぞ!》
千八百六十九年七月二日
シャルルヴィル公立中学通学生
ランボー・ジャン・ニコラス・アルチュール