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中原中也が訳したランボーの手紙

2014/02/06

中原中也が訳したランボーの手紙・その4

中原中也が翻訳したランボーの手紙の4番目
「パンヴィル宛書簡1870年5月24日」は、
「ヴァリエテ」第6号(昭和9年6月5日発行)に発表されました。
1870年5月24日付けでテオドール・ド・バンヴィルに宛てたもので
一度、眼を通しましたが再び読んでおきましょう。

ランボー15歳。
「酔いどれ船」を書く1年以上も前で
シャルルヴィル高等中学校の修辞学級の担当教官イザンバールの
生徒であったランボーは
フランス中央詩壇へのデビューを画策し
重鎮テオドール・ド・バンヴィルに
「現代高踏詩集」への自作詩の掲載を申し入れました。

ベルレーヌを知る以前に戻ります。

中原中也の15歳は、
歌集「末黒野(すぐろの)を共作した年(1922)で、
この学年度末(翌年3月)に落第を通告されました。

ランボーとは、およそ50年の隔たりがありますが
目指しているところは
大同小異といった印象です。

中原中也が
山口中学を落第した頃、
「中央」を意識していなかったという証拠はないはずですから。

「新字・新かな」表記で読みます。
洋数字に変換したところもあります。
文語的表現などを、一部、ひらがな書きにしました。


本文中の、
Sensationは、中原中也訳では「感動」、Credo in unam「一ナル女性を信ズ」はラテン語のタイトルで、その異稿は、Soleil et chair「太陽と肉体」、Les Etrennes des  Orphelinsは、中原中也訳で「孤児等のお年玉」です。

 *

ランボー書簡4 パンヴィル宛
 テオドール・ド・バンヴィル宛(註。この手紙が最初に発表されたのは1925年10月10日発行のヌーベル・リテレール誌上である)
                  シャルルヴィル(アルデンヌ県)にて、1870年5月24日
 拝啓
 時下春暖の候、小生間もなく17歳になります。(註。彼は16にもなっていなかった。「間もなく」の語は、稿本では書いた上を消してある。) 世間流に申せば、希望と空想の年齢(とし)――さて小生事ミューズの指に触(さわ)られまして――俗調ひらにお許し下さい――信念、希望、感動などすべて詩人がもの――小生それを春のものと呼びたく存じますが――を、表現致し始めました。

 只今その若干を良き出版者ルメール氏を通じてお送り致すにつきまして、理想美に熱中致します全ての詩人、全てのパルナシアンを――かく申しますのは、詩人たるやパルナシアンでございましょうから、――小生は慕っておりますこと申し上げたく存じます。なお、貴下、ロンサールの後裔、1830年代の宗匠の一人、真の浪漫主義者、真の詩人たる貴下を心よりお慕い致していることを申し上げねばなりません。かようの次第にて、無躾とは存じながら、詩稿お送り致します。

 2年後の後、否恐らく1年の後には、小生出京致すでございましょう――(小生もまた)、(訳者註。「小生もまた」はラテン語で書かれてある。) その節は諸兄と共にパルナシアンでございましょう。それからどうなりますことか存じませんが、小生が美の神と自由の神を信奉致して永えに変りませぬことは、お誓いすることが出来ます。

 同封の詩(註。この手紙には、次の諸詩篇が同封されていた。1870年4月20日と日付したSensation. 。1870年4月29日と日付したCredo in unam。これは後にSoleil et chair と改題されたものである。なお、追而書(おってが)きがあり、それは次のようである。《若しこれらの詩篇が「現代詩文集」(パルナス・コンタンポラン)に載っていましたなら、どんなものでございましょう?――これらの詩篇は、詩人等(パルナシアン)の誓約書ともいえるではありますまいか?――小生の名はいまだ知られておりませぬ、が、ともかく詩人は皆互いに兄弟であります――これらの詩篇は信じ、愛し、希望しております。そしてそれが全てであります。先生、何卒小生を御起用下さい。小生はなお稚うございます。何卒お手を伸べて下さいまし……》) 御高覧の程願い上げます。Credo in unamを若し御掲載下さらば、希望と喜びに、小生は狂喜致すことでございましょう。パルナス(註。「現代詩文集」(パルナス・コンタンポラン)の分本の最初の一群は、1866年に出た。次のは1869年以来着手されていたが、戦争のために遅延して1871年に出た。3度目のは1876年に。――ランボーに於けるパルナス礼讃及びそうした傾向が、一時的であったことを強調して考えることは無益なことである。何故なら、やがて彼は浪漫主義をも象徴主義をもパルナス同様瞬く間に汲み尽してしまうのであるから。然しこの手紙の当時には、彼は学生らしい夢をみていたのである。彼は原稿が発表され、田舎を抜け出すことが叶えばとばかり考えていたのである。因みに彼のLes Etrennes des Orphelins は1870年に、《La Revue pour tous 》誌上に掲載されたのである。)のお仲間に加わるを得ば、諸兄等が綱領書(クレド)ともなるでございましょう!
 右熱望してやみません!
                                      Arthur Rimbaud.

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、「新字・新かな」で表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。読みやすくするための「行アキ」を加えてあります。編者。

中原中也が訳したランボーの手紙・その3

ランボーが1873年7月7日付けでベルレーヌに宛てた手紙の翻訳は、
昭和9年4月1日発行の「苑」に発表されました。
この発表の時には「ランボーよりヴェルレーヌへ」のタイトルが付けられていましたし
「ランボー書簡2」を受けた形で
宛名の部分は、「同」と省略されていましたが
「新編中原中也全集」にならい、
ここでは省略しない形を掲出しました。

1873年7月7日は、
ブリュッセル銃撃事件(1874年7月10日)のちょうど1年前になります。
1年前から、すでに二人の関係には混乱が生じていたところを
中原中也の訳でも読むことができます。

「新字・新かな」表記で読みます。
洋数字変換したところもあります。

手紙の中にある「註」は、
原詩にある「編註」を中原中也が要約したものです。

 *

ランボー書簡3 ヴェルレーヌ宛

 ブリュッセルなる
  ポール・ヴェルレーヌへ
                         ロンドンにて、月曜日午
                               1873年7月7日

 拝啓 スミス婦人(註。――ヴェルレーヌの宿のお主婦(かみ))宛ての手紙を見た。君はまたロンドンに来たいのらしいが、どうももう遅過ぎたね! みんながどういう風に君を迎えるか君は知らないんだろうが、アンドリューやなんかは、僕がまた君といるところをみたらどんな顔をすることだろう。然し僕はそんなことは気にしないようにしようから、ともかく君のほんとの気持を聞かせて欲しいんだ。君がロンドンに来たいというのはいったい僕のためにか? して来るとすれば何日だ? 僕の手紙(註。――先便)を見たんで来る気になったのか? だがもう部屋には何もないんだよ、外套一つ残してあとはもうみんな売っちゃった。2フラン10サンチームがものになったさ。下着類は洗濯屋に行っているのがまだあり猶別に一(ひ)と山(やま)程の物は自分用にととっておいた。つまりチョッキを五つ、シャツの全部、ズボン下二つ、カラー、手套、履物の全部、本や原稿の類は全部とってある。結局、まだある物で売れるものといったら、黒と鼠の両ズボン、外套とチョッキが各一つ、それから袋と帽子の箱があるきりだ。だって君は僕に宛てて手紙はくれなかったじゃないか。でもまあいいや、僕はもう1週間当地にいるから。それでと君は来るんだね? 本当のことを言ってくれよ。随分君としてからが来るにつけては勇気の要ったことなんだろうが、まあそうだってよかったよ。僕については心配御無用、至極もう人の好いもんさ。でも僕は、待っている。
                                              Rimb.

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、「新字・新かな」で表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

中原中也が訳したランボーの手紙・その2

ランボーが1873年7月4日付けでベルレーヌに宛てた手紙の翻訳も、
「ドラエー宛1873年5月」の手紙と同じ、
「紀元」昭和9年新年小説号(昭和9年1月1日発行)に発表されました。

「紀元」同号には、
ほかに「詩二篇」として、
「汚れっちまった悲しみに……」と「月」が掲載されています。
(「新編中原中也全集」第3巻 翻訳・解題篇)

ランボーが書いた手紙を翻訳する詩人と
「汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」や
「今宵月はいよよ愁しく 養父の疑惑に瞳を睜る。」と
歌っていた詩人は同じ詩人だった! と
いまさらながらに驚かざるをえません。
(「汚れっちまった悲しみに……」の初出は、昭和5年4月発行の「白痴群」第6号です。)

この手紙を翻訳した昭和8年末に
詩人は生地・山口県湯田温泉に帰郷していました。
遠縁の上野孝子と見合いし、結婚式をあげ、
12月3日には、東京の住まいを四谷・花園アパートに移すなど
あわただしく過ごす中での仕事でした。

山口滞在中には、11月10日付けで詩友・安原喜弘宛に
「ランボオの書簡とコルビエールの詩を少しと訳しました」などと書き送っています。

「新字・新かな」表記で読みます。
洋数字変換したところもあります。
原作にない行アキを加え、読みやすくしてあります。

 *

ランボー書簡2 ヴェルレーヌ宛

 ブリュッセルなる
  ポール・ヴェルレーヌへ
     (註。――当時ヴェルレーヌは、ランボオを置きざりにして、ブリュッセルに来たばかりであった。そこに彼は妻君を呼び寄せ、復縁を希望した。)
                         ロンドンにて、金曜日午後
                               1873年7月4日

 帰って来い、帰って来い、友よ、唯一人の友よ、帰って来い。僕は君に悪い気持を持ってはいない。こないだ頃悪かったのは、あれは意地づくで冗談をしただけなんだ、なんとも後悔しているよ。帰って来い、すれば何もかも解けるんだ。冗談を本気にとられては、ほんとに堪らん! ここ2日間僕は泣き通しだ。気をよくしてくれ。何も困ったわけはないのだ。帰って来てくれさえすればよいのだ。二人で又当地(ここ)で、元気に辛棒して暮らそう。お願いだよ。君にもその方がいいよ。帰って来い。そうすればまた君の仕事も始まるんだ。我々の口論は根も葉もないものだったんだ。思い出してもゾットするよ。それにしても僕が船を降りるように君に合図した時に、君は何故降りて来なかったんだろう? 2年間一緒に暮らしたのは、こんなことになるためだったとでもいうのか! 君はどうするつもりだ? 君が帰って来たくないのなら僕が君の方へ行ってもいいのか?

さなり過(あやま)てりしは我なり、
さるにても汝(なれ)、我を忘れじ
否よ、汝(なれ)、忘れえすまじ
我、汝(なれ)を忘れ得ざれば。

 ねえ、返事をおくれ。もう一度一緒に暮らすことは出来ないものか。気をよくしてくれ。直ぐに返事をくれ。僕は当地にもう長くはいまい。やさしい気を起こしてくれ。
 直ぐに、色よい返事をくれ。
                         心からなる
                              Rimbaud.

 直ぐに返事をくれ。僕は来る月曜日の午後以後は、もう当地(ここ)にいることは六ヶ敷い。僕はまだ一文も持ってはおらぬので、郵送も叶わず、君の本と原稿とはベルメルシに委托した。もしもう君が会ってくれぬのなら、僕は海軍にでも陸軍にでも雇われるとしよう。帰って来てくれ、僕は泣き通しなんだ。来いなら来いと言ってくれ、直ぐに行くから、電報で言ってくれ。月曜日の午後には出発しなきゃあならないのだからね。君は何処に行き、どうしようというのだ?
    
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、「新字・新かな」で表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

中原中也が訳したランボーの手紙・その1

「中原中也が訳したランボー」というタイトルで
ランボーの詩を読んできた流れの終りに
「中原中也が訳したランボーの手紙」を読むことにします。

中原中也は、
ランボーの作品では、韻文(詩)しか翻訳していませんが、
散文として手紙4篇を訳しています。

その4篇は、
①ドラエー宛書簡1873年5月、
②ベルレーヌ宛書簡1873年7月4日、
③同1873年7月7日、
④バンビル宛書簡1870年5月24日
――で、すべて雑誌に発表しています。

①と②は、「紀元」昭和9年新年小説号(昭和9年1月1日発行)、
③は、「苑」第二冊(昭和9年4月1日発行)、
④は、「ヴァリエテ」第6号(昭和9年6月5日発行)
――にそれぞれ発表されました。
制作は、いずれも発行日の3か月前(推定)です。

「紀元」に発表した散文ということで
「散文」の中の「生前発表翻訳散文」に分類・配置されます。

ランボーが「1873年5月」の日付けを記して
シャルルビル高等学校以来の友人エルネスト・ドラエーに宛てた手紙①は
「地獄の季節」執筆の経緯(いきさつ)を知る資料としても
重要な位置づけをされるもので
現在では、多くの翻訳が行われていますが、
中原中也は、これを
昭和9年1月1日発行の「紀元」新年小説号に発表しました。

「新字・新かな」表記で読みます。
洋数字変換したところもあります。
原作にない行アキを加え、読みやすくしてあります。

 *

 ランボー書簡1 ドラエー宛

シャルルビル在住
 エルネスト・ドラエー宛

               ライトゥにて(アティニー郡)
                     千八百七十三年五月

 拝啓、同封の水彩画ご覧になって、小生現在の生活がお分かりのことと存じます。
 おお自然よ! おおわが母よ! です。

   ペン画

〔空には、顕置台の上に、鋤を持った小さな無邪気な人物が居て、その口からはこんな言葉が出ている、《おお自然、おおわが妹!》――地には、上のよりもっと大きい男が、木靴を穿いて手にシャベルを持って、綿(めん)の頭巾を冠って花や草や木の中に立っている。草の所では鵞鳥がその嘴でこんなことを言っている、《おお自然、おおわが叔母!》〕

これらの田舎者達は、なんと朴訥な怪物達でしょう! 夕方には、2里の道を辿らなければならず、飲むためにはもっと歩かなければなりません。母が小生をこの悲しい土地に押し込めたのです。

   ペン画

〔『地獄の季節』が書かれた家、その家では又、印刷に付されたその小著はランボー自(みずか)らの手に棄却された、その家から眺められたローシュの部落。この素描の下方には《我が村、ライトゥ》とある。〕

 小生には、ここからどうして、抜け出したものか分かりません。どっちみち出るつもりではいますが、小生はシャルルビルと、カッフェ・ユニーベールと、図書館等を懐かしく思います……。勉強の方はキチキチと運んでいます。数篇の小話を書きました。それらには、異端の書、もしくは黒ん坊の書という題を付けるつもりです。それらの小話は愚直にして無辜なものです。おお無辜、無辜、無辜、無辜……もう沢山!

べルレーヌは、ノール・デスト紙の印刷者、ドバン氏と商議するという難題を貴下に持ち掛けたことと存じます。ドバン氏は、ベルレーヌの本(註。―『言葉なき歌』のこと。)を安く、小綺麗に作りもしましょう。ただ、ノール・デスト紙に使い古した活字を用いてさえくれなければよいと思います。

 右、自然の観賞に夢中だということをお知らせしたかったまでです。
 再会を期して貴下の手を握ります。
                                       R

 ベルレーヌは貴下に、18日日曜日、ブイヨンにて会いたい旨言ってやったことと思いますが、小生はその日は、行くことが出来ません。貴下が行かれれば、ベルレーヌはきっと、小生もしくは彼の散文の数篇を小生に返すようお托しすることと存じます。(註。―この会合はブイヨンで5月24日に行われた。そこでベルレーヌとランボーとは英国に向けて再度旅行することとなり、7月にはまた帰って来たが、かのブリュッセルでの不幸な事件は、ついで起こったことであった。)

 母はシャルルビルに来る6月中には帰ります。それは確かです。小生もあの綺麗な町に、暫く滞在したいものと思っています。

 太陽はやりきれなく、今朝は氷が張っております。一昨日は、人口1万の郡庁所在地、ブージェに例の普露西人達を訪ねました。ここから2里足らずの所です。それは小生の元気を回復させました。

 小生は今、大変困っています。1冊の本もありません。近くに居酒屋もなく町に事件もありません。なんとこのフランスの田舎のやりきれないことでしょう。小生の運命は、全くこの書(註。―『地獄の季節』のこと。)この狂暴な小話は、なお6篇ばかり書かなければなりません。その狂暴さを今ここで、どんなに申したらよいでしょうか? 既に出来上がっているのが3篇ありますが、(註。『地獄の季節』は9章よりなる。)今日はお送りしますまい、お金がかかるからです!(註。―ランボーは例によって、母から1銭も持たされず、うっちゃらかしにされていた。)やれやれ!
                             ではさようなら、御機嫌よう
                                            Rimb

近々に切手お送りしますから、普及版屋のゲーテのファウスト御送付下さい。送料は1スーだったと思っています。
 なお本屋の新刊中に、シェークスピアの訳本あらば、御報知下さい。
 その最近のカタログお送り下されば幸甚に存じます。
                                     R

※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、「新字・新かな」で表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。

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