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詩集「在りし日の歌」〜永訣の秋

後 記

 
 茲(ここ)に収めたのは、「山羊の歌」以後に発表したものの過半数である。作ったのは、最も古いのでは大正十四年のもの、最も新しいのでは昭和十二年のものがある。序(つい)でだから云(い)うが、「山羊の歌」には大正十三年春の作から昭和五年春迄のものを収めた。
 詩を作りさえすればそれで詩生活ということが出来れば、私の詩生活も既に二十三年を経た。もし詩を以て本職とする覚悟をした日からを詩生活と称すべきなら、十五年間の詩生活である。
 長いといえば長い、短いといえば短いその年月の間に、私の感じたこと考えたことは尠(すくな)くない。今その概略を述べてみようかと、一寸(ちょっと)思ってみるだけでもゾッとする程だ。私は何にも、だから語ろうとは思わない。ただ私は、私の個性が詩に最も適することを、確実に確かめた日から詩を本職としたのであったことだけを、ともかくも云っておきたい。
 私は今、此(こ)の詩集の原稿を纏(まと)め、友人小林秀雄に托し、東京十三年間の生活に別れて、郷里に引籠(ひきこも)るのである。別に新しい計画があるのでもないが、いよいよ詩生活に沈潜しようと思っている。
 扨(さて)、此(こ)の後どうなることか……それを思えば茫洋(ぼうよう)とする。
 さらば東京! おおわが青春!
                  〔一九三七・九・二三〕
 

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蛙 声

 
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一(ひ)と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?

その声は、空より来(きた)り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此(こ)の地方(くに)が湿潤(しつじゅん)に過ぎるとしても、
疲れたる我等(われら)が心のためには、
柱は猶(なお)、余りに乾いたものと感(おも)われ、

頭は重く、肩は凝(こ)るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲(あんうん)に迫る。
 

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春日狂想

 
   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながらうことともなったら、

奉仕(ほうし)の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

   2

奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前(せん)より、本なら熟読。
そこで以前(せん)より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田(ばっかんさなだ)を敬虔(けいけん)に編(あ)み――

まるでこれでは、玩具(おもちゃ)の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向(ひなた)を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)えば、にっこり致(いた)し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒(ま)いて、

まぶしくなったら、日蔭(ひかげ)に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔(こけ)はまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日(れいじつ)。

参詣人等(さんけいにんら)もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌(ごきげん)いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましょ。

勇(いさ)んで茶店に這入(はい)りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草(たばこ)なんぞを、くさくさ吹かし、
名状(めいじょう)しがたい覚悟をなして、――

戸外(そと)はまことに賑(にぎ)やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国(あっち)に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮(はなよめごりょう)。

まぶしく、美(は)しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手(あくしゅ)をしましょう。

つまり、我等(われら)に欠けてるものは、
実直(じっちょく)なんぞと、心得(こころえ)まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。
 

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正 午

       丸ビル風景
 
 
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取(げっきゅうとり)の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇(うすぐも)り、薄曇り、埃(ほこ)りも少々立っている
ひょんな眼付(めつき)で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 

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米 子

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、
肺病やみで、腓(ひ)は細かった。
ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿(そ)って、立っていた。

処女(むすめ)の名前は、米子(よねこ)と云(い)った。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであった。
――かぼそい声をしておった。

二十八歳のその処女(むすめ)は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なお)るかに思われた。と、そう思いながら
私はたびたび処女(むすめ)をみた……

しかし一度も、そうと口には出さなかった。
別に、云(い)い出しにくいからというのでもない
云って却(かえ)って、落胆させてはと思ったからでもない、
なぜかしら、云わずじまいであったのだ。

二十八歳のその処女(むすめ)は、
歩道に沿って立っていた、
雨あがりの午後、ポプラのように。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思うのだ……

 

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冬の長門峡

 
長門峡(ちょうもんきょう)に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如(ごと)く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

 

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或る男の肖像

 
   1

洋行(ようこう)帰(がえ)りのその洒落者(しゃれもの)は、
齢をとっても髪に緑の油をつけてた。

夜毎(よごと)喫茶店にあらわれて、
其処(そこ)の主人と話している様はあわれげであった。

死んだと聞いてはいっそうあわれであった。

   2
      ――幻滅は鋼(はがね)のいろ。
 
髪毛の艶(つや)と、ランプの金との夕まぐれ
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外(そと)に出て行った。

剃(そ)りたての、頚条(うなじ)も手頸(てくび)も
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。

開け放たれた戸口から
悔恨(かいこん)は、風と一緒に容赦(ようしゃ)なく
吹込(ふきこ)んでいた。

読書も、しんみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏の空とともに
風とともにもう其処にはなかった。

   3

彼女は
壁の中へ這入(はい)ってしまった。
それで彼は独り、
部屋で卓子(テーブル)を拭(ふ)いていた。
 

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村の時計

 
村の大きな時計は、
ひねもす動いていた

その字板(じいた)のペンキは
もう艶(つや)が消えていた

近寄ってみると、
小さなひびが沢山にあるのだった

それで夕陽が当ってさえが、
おとなしい色をしていた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴った

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかった

 

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月の光 その二

 
おおチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる

ほんに今夜は春の宵(よい)
なまあったかい靄(もや)もある

月の光に照らされて
庭のベンチの上にいる

ギタアがそばにはあるけれど
いっこう弾き出しそうもない

芝生のむこうは森でして
とても黒々しています

おおチルシスとアマントが
こそこそ話している間

森の中では死んだ子が
蛍のように蹲(しゃが)んでる

 

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月の光 その一

 
月の光が照っていた
月の光が照っていた

  お庭の隅の草叢(くさむら)に
  隠れているのは死んだ児(こ)だ

月の光が照っていた
月の光が照っていた

  おや、チルシスとアマントが
  芝生の上に出て来てる

ギタアを持っては来ているが
おっぽり出してあるばかり

  月の光が照っていた
  月の光が照っていた

 

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