水中花
ー伊東静雄ー
水中花(すいちゅうか)と言って夏の夜店に子供達のために売る品がある。木のうすいうすい削片を細く圧搾してつくったものだ。そのままでは何の変哲もないのだが、一度水中に投ずればそれは赤青紫、色うつくしいさまざまの花の姿にひらいて、哀れに華やいでコップの水のなかなどに凝(じっ)としずまっている。都会そだちの人のなかには瓦斯燈(ガスとう)に照しだされたあの人工の花の印象をわすれずにいるひともあるだろう。
今歳(ことし)水無月(みなづき)のなどかくは美しき。
軒端(のきば)を見れば息吹(いぶき)のごとく
萌えいでにける釣(つり)しのぶ。
忍ぶべき昔はなくて
何をか吾の嘆きてあらん。
六月の夜(よ)と昼のあわいに
万象のこれは自(みずか)ら光る明るさの時刻(とき)。
遂(つ)い逢わざりし人の面影
一茎(いっけい)の葵(あおい)の花の前に立て。
堪えがたければわれ空に投げうつ水中花。
金魚の影もそこに閃(ひらめ)きつ。
すべてのものは吾にむかいて
死ねという、
わが水無月のなどかくはうつくしき。
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