立原道造
立原 道造(たちはら みちぞう、1914年(大正3年)7月30日 - 1939年(昭和14年)3月29日)は、昭和初期に活動し24歳で急逝した詩人。また建築家としても足跡を残している。父は立原貞次郎(婿養子)、母は立原登免(通称 光子)。次男として生まれる。先祖には立原翠軒、立原杏所などがいる。学歴は東京帝国大学工学部建築学科卒業。学位(当時は称号)は工学士(東京帝国大学)。戒名は温恭院紫雲道範清信士。墓は東京都谷中の多宝院。賞歴は、辰野賞3年連続受賞、中原中也賞受賞。(ウィキペディアより抜粋)
夢みたものは……
夏 へ
浅き春に寄せて
石柱の歌
はじめてのものに
忘れていた
夏の弔い
長いまつげのかげ
灼ける熱情となって
脳髄のモーターのなかに
高い籬(まがき)に沿って
コップに一ぱいの海がある
昨 日
雨の言葉
この闇(やみ)のなかで
黄昏に FRAU R. KITA GEWIDMET
唄
それは雨の
ある人は
失なわれた夜に
しあわせな一日は
やがて秋……
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