恐ろしく憂鬱なる
ー萩原朔太郎ー
こんもりとした森の木立のなかで
いちめんに白い蝶類が飛んでいる
むらがる むらがりて飛びめぐる
てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ
みどりの葉のあつぼったい隙間から
ぴか ぴか ぴか ぴかと光る そのちいさな鋭どい翼(つばさ)
いっぱいに群がってとびめぐる てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ
ああ これはなんという憂鬱(ゆううつ)な幻だ
このおもたい手足 おもたい心臟
かぎりなくなやましい物質と物質との重なり
ああ これはなんという美しい病気だろう
つかれはてたる神経のなまめかしいたそがれどきに
私はみる ここに女たちの投げ出したおもたい手足を
つかれはてた股や乳房のなまめかしい重たさを
その鮮血のようなくちびるはここにかしこに
私の青ざめた屍体(したい)のくちびるに
額に 髮に 髮の毛に 股に 胯に 腋の下に 足くびに 足のうらに
みぎの腕にも ひだりの腕にも 腹のうえにも押しあいて息ぐるしく重なりあう
むらがりむらがる 物質と物質との淫猥(いんわい)なるかたまり
ここにかしこに追いみだれたる蝶のまっくろの集團(しゅうだん)
ああこの恐ろしい地上の陰影
このなまめかしいまぼろしの森の中に
しだいにひろがってゆく憂鬱の日かげをみつめる
その私の心はばたばたと羽ばたきして
小鳥の死ぬるときの醜いすがたのようだ
ああこのたえがたく悩ましい性の感覚
あまりに恐ろしく憂鬱なる。
註。「てふ」「てふ」はチョーチョーと読むべからず。蝶の原音は「て・ふ」である。蝶の翼の空気をうつ感覚を音韻に寫(うつ)したものである。
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