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ループする悲しみ/「汚れっちまった悲しみに……」その3

「汚れっちまった悲しみ」が主格であれ
目的格であれ「手段」を表わす格助詞であれ
「悲しみ」が「実質上の主格」となることに
ルフランを口ずさんでいるうちに気づきます。

汚れた悲しみに小雪が降りかかる
――という日本語は
文法上は小雪が主格であるけれど
小雪よりも悲しみに重心があります。

文法上そうであるということではないのですが
悲しみに対して雪が降るというときの悲しみのインパクトが
雪が降ることよりも大きく感じられるのです。

悲しみという抽象(名詞)に対して雪が降るということが
まずは驚きであるからでしょうか。

このことは第2連(第3連)で「汚れちまった悲しみ」が
文法上の主格になることによって際立ちます。

こちらの「汚れた悲しみ」が主格なのに
第1連の「汚れた悲しみ」が目的格であるのは何故だろう。
第4連の「汚れた悲しみ」が「に」で受けられるのは何故だろう。

「汚れた悲しみに」と「汚れた悲しみは」の
二つの「汚れた悲しみ」を比較ししたとき
結局は同じことを違った角度から歌っているということに気づくというわけです。

明確にそれを自覚するまでに至らないかもしれませんが
何度も何度もこの詩を読んでいるうちに
「に」で受けられ「は」で受けられた二つの悲しみは
実質同じであることに気づいてしまうのです。

汚れっちまった悲しみに……
 
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

このことは「汚れた悲しみ」という日本語が、
汚れた悲しみ(を抱いている)である私=私は汚れた悲しみである
――と
悲しみ自身が汚れてしまっている=悲しみが汚れている
――という二つの意味を指示していることと
パラレル(平行的)ですし
重層し複層します。

「汚れっちまった悲しみに……」に
16行の半分の8行に「汚れっちまった悲しみ」が現われて
退屈な詩と見えながら
実は複雑な構造を持っているというのは
このようなことです。

このようなことは
繰り返し繰り返し読んでいるうちに
誰もが心の中で了解してしまっています。

知らず知らずに
分かってしまう。

と同時に
謎のような詩語「狐の革裘」にも出会って
また読み返す。

読み返すだけでは足りなくて
口ずさんでみる。

きちんと朗読するとまではいかなくとも
「汚れっちまった悲しみは……」の
フレーズばかりは覚えている。

狐の革裘も覚えている。
……。

愛唱されていく理由は
こういうことだけでもありません。

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