消え入りそうな幸福/「更くる夜」
「無題」で敬虔(けいけん)な気持ちを歌ったところで
「みちこ」の章は
「更くる夜」「つみびとの歌」という二つの献呈詩を置いて閉じます。
献呈は
一人は内海誓一郎、
一人は阿部六郎へ。
どちらも丸眼鏡の
生真面目そうな人柄を感じさせる
「白痴群」同人です。
内海は
「帰郷」と「失せし希望」に作曲した「スルヤ」のメンバーでした。
◇
更くる夜
内海誓一郎に
毎晩々々、夜が更(ふ)けると、近所の湯屋(ゆや)の
水汲(く)む音がきこえます。
流された残り湯が湯気(ゆげ)となって立ち、
昔ながらの真っ黒い武蔵野の夜です。
おっとり霧も立罩(たちこ)めて
その上に月が明るみます、
と、犬の遠吠(とおぼえ)がします。
その頃です、僕が囲炉裏(いろり)の前で、
あえかな夢をみますのは。
随分(ずいぶん)……今では損(そこ)われてはいるものの
今でもやさしい心があって、
こんな晩ではそれが徐かに呟きだすのを、
感謝にみちて聴(き)きいるのです、
感謝にみちて聴きいるのです。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
湯屋(ゆや)は現在の銭湯(せんと)。
夜遅くというのですから
終業後の清掃時間に
ざーっざーっと水を流す音が
原稿用紙に向かう詩人の部屋に聞こえてきたのでしょう。
かなり近いところにあるらしく
黒々とした闇に
湯気が立ち上るのが見えたのです。
それが霧となっては天空に広がり
その向こうに月が出ています……。
◇
詩人はこの詩を作ったころ
「高井戸町中高井戸37」に住んでいました。
彫刻家、高田博厚の住まいの近くです。
現在の中央線、西荻窪駅南口から
およそ200メートル余りを歩いたあたりです。
◇
昭和初期のことでした。
このような武蔵野の夜の光景は
ついこの間までありふれたものでした。
現在でもその面影は残っていますが
夜の暗さや静けさは比較になりません。
天の川の見える星々のまたたきもありました。
◇
ものの音の絶えた静寂の中で
仕事を仕舞う人の気配が
詩人の孤独をなぐさめます。
犬の遠吠えも
馴染みのことなのかもしれません。
今夜ばかりは
やさしい気持ちになっています。
◇
「あえかな」は
「ほんのり」とか「わずかに」とかの意味。
消え入りそうにか弱い
まどろみの時を過ごすのです。
◇
詩人の時間に
このような幸福もあったのです。
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