雨蕭々として/「修羅街輓歌」
「修羅街輓歌」は
第1詩集のいくつかあったタイトルの候補でしたが
校正の段階でついには「山羊の歌」に落ち着いたということです。
献呈された関口隆克は
文部官僚を振り出しに
後には開成学園の校長となる人で
中也とは昭和3年にはじめて会いました。
諸井三郎(作曲家)、佐藤正彰(仏文学者)の義兄になります。
◇
関口の妹が諸井三郎と同棲(後に結婚)していたことを
自身が明らかにしているところから察すると(CD「関口隆克が語り歌う中原中也」)
中也は関口を諸井を通じて知ったのでしょうか。
「白痴群」の同人ではありません。
◇
関口は「豊多摩郡高井戸町下高井戸(現・杉並区下高井戸)」で
石田五郎と共同生活をしていました。
その下宿へ中也は押しかけた格好で
昭和3年9月から翌4年1月まで暮らします。
◇
修羅街輓歌
関口隆克に
序 歌
忌(いま)わしい憶(おも)い出よ、
去れ! そしてむかしの
憐(あわれ)みの感情と
ゆたかな心よ、
返って来い!
今日は日曜日
椽側(えんがわ)には陽が当る。
――もういっぺん母親に連れられて
祭の日には風船玉が買ってもらいたい、
空は青く、すべてのものはまぶしくかがやかしかった……
忌わしい憶い出よ、
去れ!
去れ去れ!
Ⅱ 酔 生(すいせい)
私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴(けいめい)よ!
私の青春も過ぎた。
ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあんまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!
それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。
いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おお、霜にしみらの鶏鳴よ……
Ⅲ 独 語(どくご)
器(うつわ)の中の水が揺れないように、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
そうでさえあるならば
モーションは大きい程いい。
しかしそうするために、
もはや工夫を凝(こ)らす余地もないなら……
心よ、
謙抑(けんよく)にして神恵(しんけい)を待てよ。
Ⅳ
いといと淡き今日の日は
雨蕭々(しょうしょう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡き空気にて
林の香りすなりけり。
げに秋深き今日の日は
石の響きの如(ごと)くなり。
思い出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。
まことや我(われ)は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。
それよかなしきわが心
いわれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
「下高井戸」で共同生活をしている間の制作でしょう。
関口は「文学界」の中原中也追悼号(昭和12年12月1日発行)で
このころを回想し「北沢時代以後」というエッセイを残します。
そこでは「下高井戸」と書かずに「北沢」の地名を使い
この共同生活の時代を記録しています。
◇
今日は日曜日
椽側(えんがわ)には陽が当る。
――は幼き日に母親に連れられていった縁日を思い出すきっかけですが
この日この武蔵野の一角にも
穏やかな日ざしがあったことでしょう。
◇
詩人は
穏やかなその日曜日への賛歌を歌うのではなく
過ぎこしかたの忌まわしい思い出が消えるように
唾棄(だき)する言葉を紡(つむ)ぐことから
この詩を歌いはじめるのです。
◇
第2節は、第1節「序歌」をうけて
夢のように過ぎていった青春を「酔生」のタイトルで。
「酔生夢死(すいせいむし)」の「酔生」でしょう。
酒に酔うように生きてきた
がむしゃらな青春。
悔いもあれば
無邪気を讃(たた)えたい気持ちもあるような。
パラドクサルな。
「しみらの」は
「すきまなくいっぱいに」を意味する副詞「しみらに」を
中也は形容詞(連体語)にして
「凍(しみ)る」のニュアンスを加えたものらしい。
(「新全集」語註より。)
◇
第3節「独語」は
しんみり自分に向けての戒(いまし)め。
◇
第4節はタイトルなしで
文語75調で歌います。
「雨蕭々として」は
「史記」「刺客列伝」中の荊軻の項にある
「風蕭々として易水寒し」を意識していることでしょう。
「げに秋深き今日の日」とあり
「縁側に陽のあたる日曜日」は
長雨の晩秋に入っています。
◇
前作「秋」の気分は
ここにきて深まったのでしょうか。
挽歌を歌う気持ちには
過去との決別の意志が込められているのかもしれません。
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