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至福の時間のウラで/「修羅街輓歌」その2

五郎さんが黙っててきぱき調理している傍で、中原は次ぎ次ぎに失敗をしては、何の手助けも出来ないのを悲しんだ、ただ、葱の刻んだのを水に晒してソースをかけて喰べる料理は中原の発明で、それを作るのは中原に限ることになっていた。布片にくるんで長いこと氷の様に冷い井戸水の中に入れてもんで、きらきらひかる白い葱の山を皿にのせて運んで来る時に、中原は嬉しそうであった。
(※「新編中原中也全集」別巻<下>より。「新かな」に改めました。)

「北沢時代以後」(「文学界」昭和12年12月1日発行)に
関口隆克はこのように記しています。

嬉しそうな詩人の顔が見えるようです。

関口らとともにした下高井戸(上北沢)の暮らしは
1年近く続いたのですが
中也がこのような「至福の時間」を過ごしたことを思うだけで
胸がいっぱいになってきます。

晴れた日には雲雀の声が聞こえ
庭つづきの道を岸田国士が行き来するのが見えた住まいでした。

今日は日曜日
椽側(えんがわ)には陽が当る。

――とあるのは武蔵野の風景のはずですが
それはまっすぐに故郷の住まいのたたずまいへつながっていくものでした。

修羅街輓歌

       関口隆克に

   序 歌

忌(いま)わしい憶(おも)い出よ、
去れ! そしてむかしの
憐(あわれ)みの感情と
ゆたかな心よ、
返って来い!

  今日は日曜日
  椽側(えんがわ)には陽が当る。
  ――もういっぺん母親に連れられて
  祭の日には風船玉が買ってもらいたい、
  空は青く、すべてのものはまぶしくかがやかしかった……

     忌わしい憶い出よ、
     去れ!
        去れ去れ!

   Ⅱ 酔 生(すいせい)

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴(けいめい)よ!
私の青春も過ぎた。

ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあんまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おお、霜にしみらの鶏鳴よ……

   Ⅲ 独 語(どくご)

器(うつわ)の中の水が揺れないように、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
そうでさえあるならば
モーションは大きい程いい。

しかしそうするために、
もはや工夫を凝(こ)らす余地もないなら……
心よ、
謙抑(けんよく)にして神恵(しんけい)を待てよ。

   Ⅳ

いといと淡き今日の日は
雨蕭々(しょうしょう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡き空気にて
林の香りすなりけり。

げに秋深き今日の日は
石の響きの如(ごと)くなり。
思い出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。

まことや我(われ)は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。

それよかなしきわが心
いわれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「修羅街輓歌」を歌う背景に
このような田園牧歌的風景があるのが
なんとも矛盾するようですが
詩人の来し方、少なくとも上京後の足取りは
「修羅場を踏む」日々であったことでしょう。

ふっと一息ついたような暮らしの中に
「忌まわしき思い出」の数々が頭をもたげてこざるを得なかったのです。

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