ループする悲しみ/「汚れっちまった悲しみに……」その5
「狐の革裘」は
どう見ても「汚れてしまった悲しみ」のメタファーでしょう。
ということは
詩人の悲しみのことになります。
◇
それがどうしたのでしょう?
なぜ、狐の革裘なのでしょう?
大きな謎です。
◇
しかし、ここに詩の「山」があります。
「山」はまた「動き」です。
突如、生き物が現われるのですから。
詩が俄(にわ)かに「息づく」感じです。
◇
汚れっちまった悲しみに……
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
狐といえばキツネ色。
その「わきの下(ワキノシタ)」はキツネ色ではなく
アイボリー・ホワイトの白です。
繊細(せんさい)で敏感なこの白い毛の衣(ころも)を
「汚れた悲しみ」に喩(たと)えたのです。
その衣がちぢこまる。
その悲しみがちぢこまる。
小雪が降りかかり
ちぢこまるのです。
◇
この悲しみは
何も望まず何も願うこともない「喪心」を生みます。
しつこくつきまとわう悲しみに「慣れっこ」になる中で
ふと死を思うこともあります。
◇
第2連、第3連では
主格「は」で歌った「汚れてしまった悲しみ」を
第1連では目的格「に」で
第4連では「手段」を表わす格助詞「に」で受けます。
そうすることで
「悲しみ」に一歩の距離を置いて眺めるのです。
◇
「は」と「に」を交互に繰り返しますが
末尾に「……」を置いて
また冒頭行へ戻るように促します。
悲しみはこうしてエンドレス(無限の)ループを描くことになります。
◇
狐の革裘の登場が
この詩(うた)の世界に明るさをもたらします。
暗いだけでない世界を
狐の革裘の登場がもたらすのです。
「山」を作り
「動き」を作ったと同時に
詩に「光」をもたらします。
◇
一条の光のようなもの。
希望といってもよいものが
狐の革裘に託されます。
それは
メタファーであるという以上に
シンボル(象徴)といえるものです。
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