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恋(人)ふたたび/「無題」その6

「かく悲しく生きん世」の「かく」とは
「Ⅰ」の
酒をのみ、弱い人に毒づいた
恥もなく、品位もなく、かといって正直さもなく
幻想に駆られて、狂い廻(まわ)る
人の気持ちをみようとするようなことはついになく、
頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!
――という「私」や、

「Ⅱ」の
荒々しく育ち、
たよりもなく、心を汲(く)んでも
もらえない、乱雑な中に
生きてきた
――という「彼女」や、

わいだめもない世の渦の中に
賢くつつましく生きている
――という「彼女」や

我利(がり)々々で、幼稚な、獣(けもの)や子供にしか、
出遇(であ)わなかった。
――という「彼女」や、

それと識らずに、
唯(ただ)、人という人が、みんなやくざなんだと思っている。
そして少しはいじけている。
――という「彼女」を含み

「Ⅲ」の
おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む
わが世のさま
――であり

おのが心におのがじし湧(わ)きくるおもいもたずして、
人に勝(まさ)らん心のみいそがわしき
熱を病(や)む風景
――などです。

「かく(=このようにして)」は
「彼女」も「私」も含んでいるのです。

このような濁世(じょくせい)を生きていく
「彼女」や「私」へエールを送っているのです。

「な」は2人称「汝=なんじ」をつづめた言い方ですが
それに詩(人)は
泰子も詩人自身も含めたのです。

「かたくなにしてあらしめな。」は
「頑(かたく)なにしてあらしめな」で
「頑固にさせていてほしくない」、
つまり「(心を)素直にさせてほしい」で
自身もそうしなければならないと思っていることを
「彼女=おまえ」にも希望したのです。

「われはわが、したしさにあらんとねがえば」は
「我は我が、親しさにあらんと願えば」で
「親しさにあらんと願う」は
「親しくなりたいと願うからこそ」という意味です。

どのようにすれば
「頑なの心」を解くことができるのか。

それを歌ったのが
「Ⅳ」です。
「Ⅴ」もそうです。

   Ⅳ

私はおまえのことを思っているよ。
いとおしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸っているよ、
まるで自分を罪人ででもあるように感じて。

私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。
いろんなことが考えられもするが、考えられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。

またそうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
そうすることは、私に幸福なんだ。
幸福なんだ、世の煩(わずら)いのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!

   Ⅴ 幸福

幸福は厩(うまや)の中にいる
藁(わら)の上に。
幸福は
和(なご)める心には一挙にして分る。

  頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、
  せめてめまぐるしいものや
  数々のものに心を紛(まぎ)らす。
  そして益々(ますます)不幸だ。

幸福は、休んでいる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでいる。

  頑なの心は、理解に欠けて、
  なすべきをしらず、ただ利に走り、
  意気銷沈(いきしょうちん)して、怒りやすく、
  人に嫌われて、自(みずか)らも悲しい。

されば人よ、つねにまず従(したが)わんとせよ。
従いて、迎えられんとには非ず、
従うことのみ学びとなるべく、学びて
汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

まるで自分を罪人ででもあるように感じて。
――というフレーズにドキリとします。
撃たれます。

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