恋(人)ふたたび/「無題」その7
「無題」の「Ⅳ」は
恋人を「おまえ」と呼び
その恋人のことをひがな一日思う気持ちを
罪人ででもあるように感じる詩人をさらけ出します。
私はおまえのことを思っているよ。
私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。
私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。
そうすることは、私に幸福なんだ。
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!
――と、あられもなく心のうちをぶちまけます。
◇
「寒い夜の自我像」の第1次形態が作られたのが
昭和4年(1929年)1月29日で
「無題」は同年2月と推定されていますから
心境に変化があったとみるか同じとみるか。
「寒い夜の自我像」の第1連(=最終形)に
人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
――とある「罰」に「罪人」がかすかに響き合います。
◇
「無題」「Ⅳ」では
思っているよ
愛しているよ
お前に尽くすよ
尽くせるのは幸福なんだ
――と、「罰の受身」ではなく「罪の積極」を歌うのですから
より前進した気持ちになっていたのかもしれません。
◇
最終行の末尾
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!
――の「!」は
感情が激高していることを示すというよりも
詩人があたりかまわず泣いている姿を想像させます。
第4節以外にも
私は頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!(第1節)
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みずか)ら信ずる!(第1節)
彼女の心は真(ま)っ直(すぐ)い!(第2節)
彼女は美しい、そして賢い!(第2節)
彼女は可哀想(かわいそう)だ!(第2節)
汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!(第5節)
――と「!」がありますが
これも単純に「感動」の感嘆符が置かれているというよりも
「!」を打つたびに泣いているのではないかと思わせます。
湧き出てくる涙をぬぐおうともせずに
さめざめと泣いているのです。
◇
詩人は涙にかきくれながら
キリスト生誕の場所である厩(うまや)の
藁束の上の「幸福」を思ってみたのでした。
◇
Ⅳ
私はおまえのことを思っているよ。
いとおしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸っているよ、
まるで自分を罪人ででもあるように感じて。
私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。
いろんなことが考えられもするが、考えられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。
またそうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
そうすることは、私に幸福なんだ。
幸福なんだ、世の煩(わずら)いのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!
Ⅴ 幸福
幸福は厩(うまや)の中にいる
藁(わら)の上に。
幸福は
和(なご)める心には一挙にして分る。
頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、
せめてめまぐるしいものや
数々のものに心を紛(まぎ)らす。
そして益々(ますます)不幸だ。
幸福は、休んでいる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでいる。
頑なの心は、理解に欠けて、
なすべきをしらず、ただ利に走り、
意気銷沈(いきしょうちん)して、怒りやすく、
人に嫌われて、自(みずか)らも悲しい。
されば人よ、つねにまず従(したが)わんとせよ。
従いて、迎えられんとには非ず、
従うことのみ学びとなるべく、学びて
汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
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