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恋(人)ふたたび/「無題」その7

「無題」の「Ⅳ」は
恋人を「おまえ」と呼び
その恋人のことをひがな一日思う気持ちを
罪人ででもあるように感じる詩人をさらけ出します。

私はおまえのことを思っているよ。
私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。
私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。
そうすることは、私に幸福なんだ。
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!

――と、あられもなく心のうちをぶちまけます。

「寒い夜の自我像」の第1次形態が作られたのが
昭和4年(1929年)1月29日で
「無題」は同年2月と推定されていますから
心境に変化があったとみるか同じとみるか。

「寒い夜の自我像」の第1連(=最終形)に

人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

――とある「罰」に「罪人」がかすかに響き合います。

「無題」「Ⅳ」では
思っているよ
愛しているよ
お前に尽くすよ
尽くせるのは幸福なんだ
――と、「罰の受身」ではなく「罪の積極」を歌うのですから
より前進した気持ちになっていたのかもしれません。

最終行の末尾
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!
――の「!」は
感情が激高していることを示すというよりも
詩人があたりかまわず泣いている姿を想像させます。

第4節以外にも

私は頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!(第1節)
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みずか)ら信ずる!(第1節)
彼女の心は真(ま)っ直(すぐ)い!(第2節)
彼女は美しい、そして賢い!(第2節)
彼女は可哀想(かわいそう)だ!(第2節)
汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!(第5節)

――と「!」がありますが
これも単純に「感動」の感嘆符が置かれているというよりも
「!」を打つたびに泣いているのではないかと思わせます。

湧き出てくる涙をぬぐおうともせずに
さめざめと泣いているのです。

詩人は涙にかきくれながら
キリスト生誕の場所である厩(うまや)の
藁束の上の「幸福」を思ってみたのでした。

   Ⅳ

私はおまえのことを思っているよ。
いとおしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸っているよ、
まるで自分を罪人ででもあるように感じて。

私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。
いろんなことが考えられもするが、考えられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。

またそうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
そうすることは、私に幸福なんだ。
幸福なんだ、世の煩(わずら)いのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!

   Ⅴ 幸福

幸福は厩(うまや)の中にいる
藁(わら)の上に。
幸福は
和(なご)める心には一挙にして分る。

  頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、
  せめてめまぐるしいものや
  数々のものに心を紛(まぎ)らす。
  そして益々(ますます)不幸だ。

幸福は、休んでいる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでいる。

  頑なの心は、理解に欠けて、
  なすべきをしらず、ただ利に走り、
  意気銷沈(いきしょうちん)して、怒りやすく、
  人に嫌われて、自(みずか)らも悲しい。

されば人よ、つねにまず従(したが)わんとせよ。
従いて、迎えられんとには非ず、
従うことのみ学びとなるべく、学びて
汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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