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沈滞期を脱け出る/「憔悴」その6

「憔悴」の初稿が書かれたのは昭和7年2月。

「白痴群」が廃刊した昭和5年4月以後の「雌伏期間」に
中也は中央大学予科に通い
続けて東京外国語学校専修科(仏語)に入り
フランス語の修得に励みました。
(東京外語を修了するのは昭和8年の3月。)

このおよそ2年の間に
泰子が築地小劇場の演出家・山川幸世の子を生み
高田博厚が渡仏し
弟・恰三が死亡する
――という経験をくぐりました。

代々木へ転居し
千駄ヶ谷へ転居し
――と「角川ソフィア文庫」の年譜にありますが
詳しくは、

「白痴群」が廃刊してすぐに
長崎町(北豊島郡)に「ひっこみ」(大岡昇平)
中高井戸(高田博厚アトリエの近く)に住み
代々木(代々幡町山谷、小田急本社裏)へ転居し
また近くの千駄ヶ谷(「山羊の歌」を編集)へ転居したのです。
(「新編中原中也全集」別巻<上>ほか。)

吉田秀和を知ったのは昭和5年秋
高森文夫を知ったのは昭和6年冬で
ともに「雌伏中」ということになります。

学校に通いながらも
「怠惰を飲んで蛙さながらに生きる」
詩人の道を放棄したものではありません。

にもかかわらず
この時期は詩人の「沈滞期」といわれていて
「憔悴」はその「沈滞期」を脱け出した詩人が
ようやく書いた詩篇と考えられています。
(「新編中原中也全集」第1巻・解題篇。)

昭和6年春から年末までの詩作における沈滞期を通過した後、年が明けてようやく中原の精神が活力を取り戻した時期に書かれたもの
――と「新全集」は記録しています。

憔 悴
 
       Pour tout homme, il vient une èpoque
     
       où l'homme languit. ―Proverbe.

       Il faut d'abord avoir soif……
                       
                 ――Cathèrine de Mèdicis.

私はも早、善(よ)い意志をもっては目覚めなかった
起きれば愁(うれ)わしい 平常(いつも)のおもい
私は、悪い意志をもってゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)わなかった)
そして、夜が来ると私は思うのだった、
此(こ)の世は、海のようなものであると。

私はすこししけている宵(よい)の海をおもった
其処を、やつれた顔の船頭(せんどう)は
おぼつかない手で漕(こ)ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

   Ⅱ

昔 私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣(ぐれつ)なものだと

今私は恋愛詩を詠(よ)み
甲斐(かい)あることに思うのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違っているかいないか知らないが
とにかくそういう心が残っており

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起(おこ)させる

昔私は思っていたものだった
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

   Ⅲ

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるんだ私の怠惰(たいだ)
今日も日が照る 空は青いよ

ひょっとしたなら昔から
おれの手に負えたのはこの怠惰だけだったかもしれぬ

真面目(まじめ)な希望も その怠惰の中から
憧憬(しょうけい)したのにすぎなかったかもしれぬ

ああ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男になろうとはおもわなかった!

   Ⅳ

しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配しているのだ

山蔭(さんいん)の清水のように忍耐ぶかく
つぐんでいれば愉(たの)しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇って 虹となるのだろうとおもう……

   Ⅴ

さてどうすれば利(り)するだろうか、とか
どうすれば哂(わら)われないですむだろうか、とかと

要するに人を相手の思惑(おもわく)に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤(もっと)もと感じ
一生懸命郷(ごう)に従ってもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひっぱったゴムを手離したように

そうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇(おうぎ)のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜とて星をみる
ああ 空の奥、空の奥。

   Ⅵ

しかし またこうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするようなことをしなければならないと思い、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさえ驚嘆(きょうたん)する。

そして理窟(りくつ)はいつでもはっきりしているのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑(かいぎ)の小屑(おくず)が一杯です。
それがばかげているにしても、その二っつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞えてくる音楽には心惹(ひ)かれ、
ちょっとは生き生きしもするのですが、
その時その二っつは僕の中に死んで、

ああ 空の歌、海の歌、
僕は美の、核心を知っているとおもうのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「憔悴」の現在は、
エピグラフとともに
詩の冒頭に開示されています。

第1節、

私はも早、善(よ)い意志をもっては目覚めなかった
起きれば愁(うれ)わしい 平常(いつも)のおもい
私は、悪い意志をもってゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)わなかった)
そして、夜が来ると私は思うのだった、
此(こ)の世は、海のようなものであると。

――という何やら難しそうな詩行が
「憔悴」の現在を示しています。

ここに詩人はいます。

夜になると「海」を思う詩人です。
海で詩人は船頭になります。

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