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終わった心の歴史/「夏」

「血を吐くような」と
いきなり歌い出されて
いったい何が起こったのかと
息を呑んで読み進めれば
その正体は「倦(もの)うさ」とその「たゆけさ」です。

「倦(もの)うさ」と「たゆけさ」が
血を吐くようなグレード(段階)にあるということなのですが。

血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく
血を吐くような倦うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩(まぶ)しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くようなせつなさに。

嵐のような心の歴史は
終焉(おわ)ってしまったもののように
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように
燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くようなせつなさかなしさ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「盲目の秋」にもありましたね。
「Ⅲ」に
とにかく私は血を吐いた!……
おまえが情けをうけてくれないので、
とにかく私はまいってしまった……
――というのが。

こちらは
恋心を受け止めてくれないので
参ってしまって血を吐いたというのですからわかりやすいのですが
今度は「倦(もの)うさ」と「たゆけさ」で血を吐くほどであるというのです。

その原因は何なのでしょうか?
その根っこにあるものは何なのでしょうか?

目前にしているのは
畑に陽は照り
麦に陽は照り
空は燃え
畑はつづき
雲浮び
眩(まぶ)しく光り
陽は炎(も)ゆる
地は睡る……光景です。

この光景が
誘発し喚起するのです。

「倦(もの)うさ」と「たゆけさ」を。
血を吐くようなのを。

元を辿(たど)れば
恋の喪失に行き当たるのは間違いありません。

第3連に「嵐のような心の歴史」ともあり
それは終わってしまったもののように
ばしゃーんと扉を閉じてしまって
手繰(たぐ)り解(ほど)くための糸口一つもないかのように
燃える日の彼方に眠ってしまっているのですから。

「心の歴史」に
恋が含まれないわけはありません。

けれど恋以外をも含んでいるかもしれません。
友情とか青春とか情熱とか。

「終焉(おわ)ってしまったもののように」はこれを受けて
「燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る」にかかっていくことにも注意したいところです。

亡骸になって「残る」というのは
「もぬけの殻」の状態ですが
それにもかかわらず(それであるからこそ)
「せつなさかなしさ」でいっぱいで
それが血を吐くように高じているのです。

「夏」は
昭和4年(1929年)9月1日発行の「白痴群」第3号に発表された後
「山羊の歌」に配置されました。

その第1次形態が草稿として「ノート小年時」に残り
末尾に「1929、8、20」の制作日があります。

同じように夏の昼下がりを歌った「少年時」が
昭和7年の「山羊の歌」編集時に作られていますが
それより前の作品になります。

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