愚行告白/「つみびとの歌」
「つみびとの歌」を献呈している阿部六郎については
阿部が残した日記に
この詩を制作した動機と推測される
かなり直接的で具体的な記述があり
それを読まないでは語れないようなものがあります。
が……。
はやり詩を読むことが先決でしょう。
「みちこ」の章5編の
最終詩です。
◇
つみびとの歌
阿部六郎に
わが生(せい)は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
由来(ゆらい)わが血の大方(おおかた)は
頭にのぼり、煮え返り、滾(たぎ)り泡だつ。
おちつきがなく、あせり心地(ごこち)に、
つねに外界(がいかい)に索(もと)めんとする。
その行いは愚(おろ)かで、
その考えは分ち難い。
かくてこのあわれなる木は、
粗硬(そこう)な樹皮(じゅひ)を、空と風とに、
心はたえず、追惜(ついせき)のおもいに沈み、
懶懦(らんだ)にして、とぎれとぎれの仕草(しぐさ)をもち、
人にむかっては心弱く、諂(へつら)いがちに、かくて
われにもない、愚事(ぐじ)のかぎりを仕出来(しでか)してしまう。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
はじめに飛び込んでくるのは
「下手な植木師」――。
その、詩人自身ではない何者かによって
「あまりに夙(はや)く、手を入れられた」ために
「行いは愚(おろ)か」
「愚事(ぐじ)のかぎりを仕出来(しでか)してしまう」
――と自分の愚行を後悔し原因を解き明かし告白する詩です。
◇
何をしたのか。
愚行の具体的な内容は歌われません。
手を入れられた悲しさ
わが血の大方(おおかた)
おちつきがなく
あせり心地(ごこち)
外界(がいかい)
考えは分ち難い
あわれなる木
粗硬(そこう)な樹皮(じゅひ)
追惜(ついせき)のおもい
懶懦(らんだ)
とぎれとぎれの仕草(しぐさ)
心弱く
諂(へつら)いがち
――などと抽象表現(内面表現)に満ちています。
抽象的であることによって
「つみびと」の「罪」を彫りあげます。
献呈した阿部六郎には
それですぐに通じたのでしょう。
◇
「白痴群」最終号である第6号に発表された
全13篇の一つです。
制作は
昭和5年(1930年)1月から2月と推定されていますが
初稿は昭和4年の可能性もあります。
◇
このころ渋谷署に連行され拘留された事件がありました。
また長谷川泰子とかつて出会い暮らした京都へ旅行しました。
また成城学園の阿部の同僚への乱行がありました。
(「新全集」)
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