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恋の行方(ゆくえ)/「寒い夜の自我像」その2

 

「寒い夜の自我像」の原形詩は

「ノート小年時」に草稿が残っています。

第2節(2)は、
恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、
――
という泰子への呼びかけで、

第3節(3)は、
神よ私をお憐(あわ)れみ下さい!
――
という神への告白(懇願)で、
それぞれ「恋」が歌いだされていることを知ります。

ともに、第1節(1)を受けた詩行といえますが……

末尾に(一九二九・一・二〇)とある制作日の直後。

1929年(昭和4年)4月発行の「白痴群」創刊号に発表したときに
ばっさりとこれらを削除したのです。

このようにして
「寒い夜の自我像」は
詩人の決意表明のような詩である第1節が独立しましたが
「恋の歌」の片鱗を残しました。

これらのことを知った上で
「寒い夜の自我像」を読んでみれば
「わが喫煙」「妹よ」からの流れ(連続性と非連続性)は
自ずと理解できることでしょう。

公表された詩「寒い夜の自我像」は
「白痴群」のものであれ
「山羊の歌」のものであれ
「恋の歌」というよりも
「詩人のマニフェスト(宣言)」の意味合いを持つことになりました。

「わが喫煙」「妹よ」を読んできて
断絶感があるのはそのためですが
中也の「恋愛詩」には
単に「相聞」であるという以上のものが目指されてあることは
「盲目の秋」などで明らかですから
これは落差ではなく
「幅」と取ったほうがよいのかもしれません。

詩の来歴は複雑です。

 

「寒い夜の自我像」は
「白痴群」創刊号に
もう一つの詩「詩友に」とともに発表されましたが
この詩を併せて読むことで
詩の背景は一層すっきりと見えてきます。

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