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最後の輝き/「時こそ今は……」

いと貞潔でありました
――と閉じる「生い立ちの歌」の「貞潔」が
「汚れっちまった悲しみに……」の「汚れ」の反意として現われるのは
この二つの詩の関係、とりわけ経過(距離)を示すものでしょう。

「雪3部作」は
ひとまずは「生い立ちの歌」で終わります。
 
「秋」の章の最終詩「時こそ今は……」へと
バトンを渡して。

「時こそ今は……」が
「秋」の章の最終詩であるのは
恋の季節が秋の終わりに差しかかっていることを示しています。

この秋はたけなわであります。
「終焉」を孕(はら)む頂点のようです。

最後の輝きのようです。

時こそ今は……
 
         時こそ今は花は香炉に打薫じ
                 ボードレール

時こそ今は花は香炉(こうろ)に打薫(うちくん)じ、
そこはかとないけはいです。
しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。

いかに泰子(やすこ)、いまこそは
しずかに一緒に、おりましょう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情(なさ)け、みちてます。

いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青の
空もしずかに流るころ。

いかに泰子、いまこそは
おまえの髪毛なよぶころ
花は香炉に打薫じ、

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

泰子の名前が詩行の中に現われるのは
「山羊の歌」「在りし日の歌」を通じて
初めてでありこれが最後です。

エピグラフになったボードレールの詩の一節
時こそ今は花は香炉に打薫じ
――は、開花した花が芳香を放つ絶頂の瞬間を歌ったものでしょう。

上田敏の翻訳「薄暮の曲(くれがたのきょく)」を引っ張り出して
中也はアレンジを加えました。
(「新全集」第1巻・解題篇。)

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