恋の行方(ゆくえ)/「寒い夜の自我像」その1
中原中也の恋の行方(ゆくえ)は
大岡昇平が書いた伝記などが
詳細にわたって追跡しているところですが。
伝記が詩の成り立ちについて
どんなに詳細に追求しても
それは詩の背景にしか過ぎません。
詩を味わうには
なんといっても詩を読むのに限ります。
その上で
詩の来歴を知れば
味わいは深まるということになります。
◇
にょきにょきとペーブ(舗道)歩む
モガ(モダンガール)・泰子の足。
彼女との濃密な時間を歌った――「わが喫煙」
人っ子一人いない夜の野原で
風の音に泰子の幻の声を聞く――「妹よ」
実存的な「恋人」と非在(不在)の「恋人」を歌った後に
「寒い夜の自我像」が置かれました。
◇
タイトルにある「自我像」は
「自らを描いた像=Self-portrait」であると同時に
「自我の像=Ego-images」という意味を含ませた造語です。
「恋人(泰子)」は姿を隠し
「詩人の決意」のようなものが歌われて
「恋愛詩」は途絶えたように見えますが
そうではありません。
◇
寒い夜の自我像
きらびやかでもないけれど
この一本の手綱(たずな)をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を我(われ)は嘆(なげ)かず
人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもって
われはわが怠惰(たいだ)を諫(いさ)める
寒月(かんげつ)の下を往(ゆ)きながら。
陽気で、坦々(たんたん)として、而(しか)も己(おのれ)を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
第6行、第7行の、
人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を
――という下りに「泰子」は隠されていません。
ここに歌われているのは
泰子ですし……。
◇
「寒い夜の自我像」の原形は
泰子を歌った3節構成の詩でした。
「白痴群」創刊号に発表されたとき
第2節と第3節をカットして
第1節を独立させたのです。
カットされた第2、第3節は
まぎれもなく「恋の歌」でした。
◇
その原形詩は
「新全集」に「未発表詩篇」として収録されていますから
ここで読んでおきましょう。
◇
寒い夜の自我像
1
きらびやかでもないけれど、
この一本の手綱(たづな)をはなさず
この陰暗の地域をすぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を、我は嘆かず、
人々の憔懆(しょうそう)のみの悲しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等の鼻唄を、
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)か儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諌(いさ)める、
寒月の下を往きながら、
陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!……
2
恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、
おまえの魂がいらいらするので、
そんな歌をうたいだすのだ。
しかもおまえはわがままに
親しい人だと歌ってきかせる。
ああ、それは不可(いけ)ないことだ!
降りくる悲しみを少しもうけとめないで、
安易で架空な有頂天を幸福と感じ倣(な)し
自分を売る店を探して走り廻るとは、
なんと悲しく悲しいことだ……
3
神よ私をお憐(あわ)れみ下さい!
私は弱いので、
悲しみに出遇(であ)うごとに自分が支えきれずに、
生活を言葉に換えてしまいます。
そして堅くなりすぎるか
自堕落になりすぎるかしなければ、
自分を保つすべがないような破目(はめ)になります。
神よ私をお憐れみ下さい!
この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。
ああ神よ、私が先(ま)ず、自分自身であれるよう
日光と仕事とをお与え下さい!
(一九二九・一・二〇、)
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