ループする悲しみ/「汚れっちまった悲しみに……」その2
初めに気づくのは
「汚れっちまった悲しみ」というフレーズの繰り返し(ルフラン)です。
数えれば4連16行の中に各連2行ありますから
詩の半分を占めていることになります。
◇
汚れっちまった悲しみに……
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
同時に第1連と第4連が
汚れっちまった悲しみに
――と「汚れっちまった悲しみ」を「に」で受け
目的格とするか「手段」を表わす格助詞とし
第2連と第3連は主格「は」で受け
まったく同一フレーズのルフランではないところです。
「汚れっちまった悲しみに」と
「汚れっちまった悲しみは」が
合計8回繰り返されるのです。
◇
ここに平明単純な詩であるように見えながら
複層し重層する「意味」の世界が企(たくら)まれています。
このことを
まず言っておかなければならないでしょう。
◇
そして最終行が「……」で閉じられて
ここで詩は終わっていないという余韻を残すのです。
余韻は余韻でよいのですが
一通り読んでみて
何かがわかったようでありながら
何かがわからない感覚が残るために
冒頭行へと再び戻るというようなことが起こります。
3度も4度も……
繰り返されることになりそうですが
実際にそうはいかないで
「汚れっちまった悲しみ」という詩語の
強い印象を刻んだまま
詩を読み終えることになります。
◇
義務教育の教科書で
「汚れっちまった悲しみに……」に初めて触れた少年少女(または青年男女)は
このようにして
1度はこの詩に出会うのですが
やがて記憶の片隅にしまいこんで
2度と読み返すことはしない
――というがのこの詩の読まれ方の定番でしょうか。
◇
このようにして
中原中也の名前と
「汚れっちまった悲しみに……」というタイトルとフレーズとは
忘れ去られずに少年たち青年たちに刻まれます。
この詩は中原中也の「代表作」ということになりました。
代表作というより
中原中也という詩人の「ランドマーク」みたいなものです。
「代名詞」みたいなものです。
◇
しかし。
「汚れっちまった悲しみに……」が愛唱されていく理由は
こういうことだけではありません。
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