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ループする悲しみ/「汚れっちまった悲しみに……」その2

初めに気づくのは
「汚れっちまった悲しみ」というフレーズの繰り返し(ルフラン)です。

数えれば4連16行の中に各連2行ありますから
詩の半分を占めていることになります。

汚れっちまった悲しみに……
 
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

同時に第1連と第4連が
汚れっちまった悲しみに
――と「汚れっちまった悲しみ」を「に」で受け
目的格とするか「手段」を表わす格助詞とし
第2連と第3連は主格「は」で受け
まったく同一フレーズのルフランではないところです。

「汚れっちまった悲しみに」と
「汚れっちまった悲しみは」が
合計8回繰り返されるのです。

ここに平明単純な詩であるように見えながら
複層し重層する「意味」の世界が企(たくら)まれています。

このことを
まず言っておかなければならないでしょう。

そして最終行が「……」で閉じられて
ここで詩は終わっていないという余韻を残すのです。

余韻は余韻でよいのですが
一通り読んでみて
何かがわかったようでありながら
何かがわからない感覚が残るために
冒頭行へと再び戻るというようなことが起こります。

3度も4度も……
繰り返されることになりそうですが
実際にそうはいかないで
「汚れっちまった悲しみ」という詩語の
強い印象を刻んだまま
詩を読み終えることになります。

義務教育の教科書で
「汚れっちまった悲しみに……」に初めて触れた少年少女(または青年男女)は
このようにして
1度はこの詩に出会うのですが
やがて記憶の片隅にしまいこんで
2度と読み返すことはしない
――というがのこの詩の読まれ方の定番でしょうか。

このようにして
中原中也の名前と
「汚れっちまった悲しみに……」というタイトルとフレーズとは
忘れ去られずに少年たち青年たちに刻まれます。

この詩は中原中也の「代表作」ということになりました。
代表作というより
中原中也という詩人の「ランドマーク」みたいなものです。
「代名詞」みたいなものです。

しかし。

「汚れっちまった悲しみに……」が愛唱されていく理由は
こういうことだけではありません。

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