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死んだ僕を僕が見ている/「秋」

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ(「少年時」)
血を吐くような倦うさ、たゆけさ(「夏」)
――と歌ってからずいぶん時間が経った感じがします。

「山羊の歌」の第4章のタイトルは「秋」とされ
そのトップに置かれたのが「秋」です。

   1

昨日まで燃えていた野が
今日茫然として、曇った空の下につづく。
一雨毎(ひとあめごと)に秋になるのだ、と人は云(い)う
秋蝉(あきぜみ)は、もはやかしこに鳴いている、
草の中の、ひともとの木の中に。

僕は煙草(たばこ)を喫(す)う。その煙が
澱(よど)んだ空気の中をくねりながら昇る。
地平線はみつめようにもみつめられない
陽炎(かげろう)の亡霊達が起(た)ったり坐(すわ)ったりしているので、
――僕は蹲(しゃが)んでしまう。

鈍い金色を滞びて、空は曇っている、――相変らずだ、――
とても高いので、僕は俯(うつむ)いてしまう。
僕は倦怠(けんたい)を観念して生きているのだよ、
煙草の味が三通(みとお)りくらいにする。
死ももう、とおくはないのかもしれない……
 
   2

『それではさよならといって、
みょうに真鍮(しんちゅう)の光沢かなんぞのような笑(えみ)を湛(たた)えて彼奴(あいつ)は、
あのドアの所を立ち去ったのだったあね。
あの笑いがどうも、生きてる者ののようじゃあなかったあね。

彼奴(あいつ)の目は、沼の水が澄(す)んだ時かなんかのような色をしてたあね。
話してる時、ほかのことを考えているようだったあね。
短く切って、物を云うくせがあったあね。
つまらない事を、細かく覚えていたりしたあね。』

『ええそうよ。――死ぬってことが分っていたのだわ?
星をみてると、星が僕になるんだなんて笑ってたわよ、たった先達(せんだって)よ。

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たった先達よ、自分の下駄(げた)を、これあどうしても僕のじゃないっていうのよ。』

   3

草がちっともゆれなかったのよ、
その上を蝶々(ちょうちょう)がとんでいたのよ。
浴衣(ゆかた)を着て、あの人縁側に立ってそれを見てるのよ。
あたしこっちからあの人の様子 見てたわよ。
あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。
お豆腐屋の笛が方々(ほうぼう)で聞えていたわ、
あの電信柱が、夕空にクッキリしてて、
――僕、ってあの人あたしの方を振向(ふりむ)くのよ、
昨日三十貫(かん)くらいある石をコジ起しちゃった、ってのよ。
――まあどうして、どこで?ってあたし訊いたのよ。
するとね、あの人あたしの目をジッとみるのよ、
怒ってるようなのよ、まあ……あたし怖かったわ。

死ぬまえってへんなものねえ……
 
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

ここでは真正面から「死」が歌われるのですが
さりげなく現われるのはまたも「空」です。

灼熱の太陽のもとで燃えていた野が
いまは「曇った空の下」へと続いています。

そこで僕は煙草を吸いながら
遠くはない「死」を思うのですが……。

次の節で
僕は死んでいます。

「汚れっちまった悲しみに……」で歌われた
「倦怠のうちに死を夢む」が実現したかのように。

死んでしまった僕を
もう一人の僕が見ている。
見ているのは僕のほかにもう一人いて
それは泰子らしき女性です。

二人が会話し
逝った僕を思い出します。

「1」 は「僕」の独白ですが
まるでナレーション(語り)のよう。

この独白は
まるで詩の足取りを回想し案内するかのように
季節のめぐりを歌っているかと思えば
この詩自体の導入部となり
語り手である僕の死を
僕と女性(泰子)がコメントする「2」「3」へ繋(つな)げていきます。

「2」 は
死んだ僕と女性(泰子)が会話し
「3」 は
女性が「あの人」が死んだ時の様子を語って聞かせるのですが
これが独白のようであり
僕に向かって語っているようでもあり
不思議な感じです。

詩の終わり(「3」)で
死の化身であるかのような黄色い蝶々が現われますが
その蝶々は「在りし日の歌」の「一つのメルヘン」へ続くかのように
草の上を飛んでいきます。

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