死んだ僕を僕が見ている/「秋」
黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ(「少年時」)
血を吐くような倦うさ、たゆけさ(「夏」)
――と歌ってからずいぶん時間が経った感じがします。
「山羊の歌」の第4章のタイトルは「秋」とされ
そのトップに置かれたのが「秋」です。
◇
秋
1
昨日まで燃えていた野が
今日茫然として、曇った空の下につづく。
一雨毎(ひとあめごと)に秋になるのだ、と人は云(い)う
秋蝉(あきぜみ)は、もはやかしこに鳴いている、
草の中の、ひともとの木の中に。
僕は煙草(たばこ)を喫(す)う。その煙が
澱(よど)んだ空気の中をくねりながら昇る。
地平線はみつめようにもみつめられない
陽炎(かげろう)の亡霊達が起(た)ったり坐(すわ)ったりしているので、
――僕は蹲(しゃが)んでしまう。
鈍い金色を滞びて、空は曇っている、――相変らずだ、――
とても高いので、僕は俯(うつむ)いてしまう。
僕は倦怠(けんたい)を観念して生きているのだよ、
煙草の味が三通(みとお)りくらいにする。
死ももう、とおくはないのかもしれない……
2
『それではさよならといって、
みょうに真鍮(しんちゅう)の光沢かなんぞのような笑(えみ)を湛(たた)えて彼奴(あいつ)は、
あのドアの所を立ち去ったのだったあね。
あの笑いがどうも、生きてる者ののようじゃあなかったあね。
彼奴(あいつ)の目は、沼の水が澄(す)んだ時かなんかのような色をしてたあね。
話してる時、ほかのことを考えているようだったあね。
短く切って、物を云うくせがあったあね。
つまらない事を、細かく覚えていたりしたあね。』
『ええそうよ。――死ぬってことが分っていたのだわ?
星をみてると、星が僕になるんだなんて笑ってたわよ、たった先達(せんだって)よ。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たった先達よ、自分の下駄(げた)を、これあどうしても僕のじゃないっていうのよ。』
3
草がちっともゆれなかったのよ、
その上を蝶々(ちょうちょう)がとんでいたのよ。
浴衣(ゆかた)を着て、あの人縁側に立ってそれを見てるのよ。
あたしこっちからあの人の様子 見てたわよ。
あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。
お豆腐屋の笛が方々(ほうぼう)で聞えていたわ、
あの電信柱が、夕空にクッキリしてて、
――僕、ってあの人あたしの方を振向(ふりむ)くのよ、
昨日三十貫(かん)くらいある石をコジ起しちゃった、ってのよ。
――まあどうして、どこで?ってあたし訊いたのよ。
するとね、あの人あたしの目をジッとみるのよ、
怒ってるようなのよ、まあ……あたし怖かったわ。
死ぬまえってへんなものねえ……
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
ここでは真正面から「死」が歌われるのですが
さりげなく現われるのはまたも「空」です。
灼熱の太陽のもとで燃えていた野が
いまは「曇った空の下」へと続いています。
そこで僕は煙草を吸いながら
遠くはない「死」を思うのですが……。
◇
次の節で
僕は死んでいます。
「汚れっちまった悲しみに……」で歌われた
「倦怠のうちに死を夢む」が実現したかのように。
◇
死んでしまった僕を
もう一人の僕が見ている。
見ているのは僕のほかにもう一人いて
それは泰子らしき女性です。
二人が会話し
逝った僕を思い出します。
◇
「1」 は「僕」の独白ですが
まるでナレーション(語り)のよう。
この独白は
まるで詩の足取りを回想し案内するかのように
季節のめぐりを歌っているかと思えば
この詩自体の導入部となり
語り手である僕の死を
僕と女性(泰子)がコメントする「2」「3」へ繋(つな)げていきます。
◇
「2」 は
死んだ僕と女性(泰子)が会話し
「3」 は
女性が「あの人」が死んだ時の様子を語って聞かせるのですが
これが独白のようであり
僕に向かって語っているようでもあり
不思議な感じです。
◇
詩の終わり(「3」)で
死の化身であるかのような黄色い蝶々が現われますが
その蝶々は「在りし日の歌」の「一つのメルヘン」へ続くかのように
草の上を飛んでいきます。
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