いまに帰ってくるのやら/「雪の宵」
東京が「修羅街」ならば
「雪の宵」も同じその街で歌われました。
その街を歌いました。
◇
「秋」の章に配置された
雪の詩であるのは
やはり「恋愛」の段階を示すものです。
局面といったほうがいいかな。
詩人自身がそのことを自覚していたことを明かしていますが
一寸先は闇の恋のことですから
自覚と恋の命運は別です。
ほんにわかれたあのおんな、
いまに帰ってくるのやら
(第5連)
――とあるのも本心(のはず)でした。
◇
雪の宵
青いソフトに降る雪は
過ぎしその手か囁きか 白 秋
ホテルの屋根に降る雪は
過ぎしその手か、囁(ささや)きか
ふかふか煙突(えんとつ)煙吐(けむは)いて、
赤い火の粉(こ)も刎(は)ね上る。
今夜み空はまっ暗で、
暗い空から降る雪は……
ほんに別れたあのおんな、
いまごろどうしているのやら。
ほんにわかれたあのおんな、
いまに帰ってくるのやら
徐(しず)かに私は酒のんで
悔(くい)と悔とに身もそぞろ。
しずかにしずかに酒のんで
いとしおもいにそそらるる……
ホテルの屋根に降る雪は
過ぎしその手か、囁きか
ふかふか煙突煙吐いて
赤い火の粉も刎ね上る。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
「雪の宵」は
「白痴群」第6号に発表されましたが
同じ号に
「汚れっちまった悲しみに……」
「生い立ちの歌」もあり
雪をモチーフにした詩の3作同時発表ということになります。
「山羊の歌」では
まとめられなかったのですが
「雪3部作」といってもよいでしょう。
3作品は
深部でつながっています。
恋愛の局面が動いているということです。
◇
ほんに別れたあのおんな、
いまごろどうしているのやら。
――と75のリズムに俗謡っぽさを混ぜて歌うことができるほど
「恋」は冷めています。
おかしみさえあります。
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