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汚れなき幸福/「いのちの声」その4

「いのちの声」「Ⅱ」の第3連が
併(しか)し幸福というものが、
――と「幸福」について歌うのは唐突(とうとつ)なのではなく
すでに「Ⅱ」に入ってそのことを歌ってきたのを継いでいるだけです。

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

生は生きるに値する
それが現実だ
汚れなき幸福だ
あらわれるものはあらわれるままによいということ!
そのことを希望している
それは誰も知る放心の快感(に似て)
誰もが望み
完全には望み得ないもの
……
などと歌ってきたのは
みんな「幸福」に関わることでした。

幸福が「このように無私の境のもの」であって
頭のよい(慧敏なる)商人からは「アホ(阿呆)」としか見えないものであるのなら
食わねば生きていけない現世は
不公平であるといわねばならない。

幸福は「無私の境のもの」というのは
「金銭関係から離れた領域」ということでしょう。

にもかかわらず
食わねば生きていけないこの世(の風)に晒(さら)されざるを得ないのは
不公平なことだよといわねばなりません。

だけれども
それがこの世というものでもありまして
そのこの世に我らは生きているのでありまして
それは「任意の不公平」なのではない。

「任意の」は「自由な」ほどの意味か。
「自由意志による不公平」なのではない。

この世というのは
そこに我らが生きている
それ(この世)によって我ら自身を構成している
(この世が我らを作っている)
そういう「原理」(システム)と考えればいいんだ。

だから
この世には「極端」はない。

極端な不公平はないものと
ひとまず「休心」してもよいのではなかろうか。

この世に生きている自分を
ひとまずは認めてもよろしかろう。

この世に生きていることを
まずは肯定してもよかろう。

「いのちの声」は
「Ⅰ」「Ⅳ」は口語、
「Ⅱ」「Ⅲ」は文語を交えて歌われました。

詩人は
「Ⅱ」「Ⅲ」を文語まじりで歌いたかったのです。

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