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下手な植木師たち/「つみびとの歌」その3

阿部六郎の日記を読んでも
「つみびとの歌」を読むためのヒントになっても
詩を読んだことにはなりません。

詩を読むならば
詩の一字一句を熟読玩味することが先決ですし
すべてといってもよいでしょう。

ですから
詩句をたどってみましょう。

つみびとの歌
       阿部六郎に

わが生(せい)は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
由来(ゆらい)わが血の大方(おおかた)は
頭にのぼり、煮え返り、滾(たぎ)り泡だつ。

おちつきがなく、あせり心地(ごこち)に、
つねに外界(がいかい)に索(もと)めんとする。
その行いは愚(おろ)かで、
その考えは分ち難い。

かくてこのあわれなる木は、
粗硬(そこう)な樹皮(じゅひ)を、空と風とに、
心はたえず、追惜(ついせき)のおもいに沈み、

懶懦(らんだ)にして、とぎれとぎれの仕草(しぐさ)をもち、
人にむかっては心弱く、諂(へつら)いがちに、かくて
われにもない、愚事(ぐじ)のかぎりを仕出来(しでか)してしまう。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

一通り目を通すと

わが生(せい)は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
――とある冒頭に、
なぜ遠い過去の生い立ちの「傷」のようなことが歌われるのか
なぜ、阿部六郎への献呈詩にそのようなことが歌われるのか
――という問いが生まれるでしょう。

今日昨日仕出かしてしまった愚事の原因を
遠い過去の記憶を呼び覚まして
質(ただ)しているわけですから。

阿部との会話のなかで
お互いの幼時体験が交わされたことは
想像できることですから。

しかし……。

中也らしい強い詩語といえる
「下手な植木師ら」に目を奪われるあまり
第2連第2行に
「外界に索(もと)めんとする」とあるのを
通り過ぎてしまいがちではないかと考えてみます。

この詩の主語は――

わが生
わが血
その行い
その考え
あわれなる木

……とさまざまに変化しますが
みんな「私」と置き換えることが可能でしょう。

これらを受ける述語は――

手を入れられた
頭にのぼり
煮え返り
滾(たぎ)り泡だつ
おちつきがなく
あせり心地(ごこち)に
外界(がいかい)に索(もと)めんとする
愚(おろ)かで
分ち難い
粗硬(そこう)な樹皮(じゅひ)を
空と風とに
追惜(ついせき)のおもいに沈み
懶懦(らんだ)にして
とぎれとぎれの仕草(しぐさ)をもち
人にむかっては心弱く
諂(へつら)いがち
愚事(ぐじ)のかぎりを仕出来(しでか)してしまう
……となります。

一部に省略がまざりますが
はじめから終わりまで
下手に剪定(せんてい)された「あわれな木」である「私」の
行為や性向(性癖)が「叙述」されています。

阿部六郎のテーマにかぶさる
「外界」に解決の道を求めてしまう「罪」――。

中也もそのようなテーマに
ぶちあたっていた時だったのでしょうか。

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