下手な植木師たち/「つみびとの歌」その3
阿部六郎の日記を読んでも
「つみびとの歌」を読むためのヒントになっても
詩を読んだことにはなりません。
詩を読むならば
詩の一字一句を熟読玩味することが先決ですし
すべてといってもよいでしょう。
◇
ですから
詩句をたどってみましょう。
◇
つみびとの歌
阿部六郎に
わが生(せい)は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
由来(ゆらい)わが血の大方(おおかた)は
頭にのぼり、煮え返り、滾(たぎ)り泡だつ。
おちつきがなく、あせり心地(ごこち)に、
つねに外界(がいかい)に索(もと)めんとする。
その行いは愚(おろ)かで、
その考えは分ち難い。
かくてこのあわれなる木は、
粗硬(そこう)な樹皮(じゅひ)を、空と風とに、
心はたえず、追惜(ついせき)のおもいに沈み、
懶懦(らんだ)にして、とぎれとぎれの仕草(しぐさ)をもち、
人にむかっては心弱く、諂(へつら)いがちに、かくて
われにもない、愚事(ぐじ)のかぎりを仕出来(しでか)してしまう。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
一通り目を通すと
わが生(せい)は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
――とある冒頭に、
なぜ遠い過去の生い立ちの「傷」のようなことが歌われるのか
なぜ、阿部六郎への献呈詩にそのようなことが歌われるのか
――という問いが生まれるでしょう。
今日昨日仕出かしてしまった愚事の原因を
遠い過去の記憶を呼び覚まして
質(ただ)しているわけですから。
阿部との会話のなかで
お互いの幼時体験が交わされたことは
想像できることですから。
しかし……。
◇
中也らしい強い詩語といえる
「下手な植木師ら」に目を奪われるあまり
第2連第2行に
「外界に索(もと)めんとする」とあるのを
通り過ぎてしまいがちではないかと考えてみます。
◇
この詩の主語は――
わが生
わが血
その行い
その考え
あわれなる木
心
……とさまざまに変化しますが
みんな「私」と置き換えることが可能でしょう。
これらを受ける述語は――
手を入れられた
頭にのぼり
煮え返り
滾(たぎ)り泡だつ
おちつきがなく
あせり心地(ごこち)に
外界(がいかい)に索(もと)めんとする
愚(おろ)かで
分ち難い
粗硬(そこう)な樹皮(じゅひ)を
空と風とに
追惜(ついせき)のおもいに沈み
懶懦(らんだ)にして
とぎれとぎれの仕草(しぐさ)をもち
人にむかっては心弱く
諂(へつら)いがち
愚事(ぐじ)のかぎりを仕出来(しでか)してしまう
……となります。
一部に省略がまざりますが
はじめから終わりまで
下手に剪定(せんてい)された「あわれな木」である「私」の
行為や性向(性癖)が「叙述」されています。
◇
阿部六郎のテーマにかぶさる
「外界」に解決の道を求めてしまう「罪」――。
中也もそのようなテーマに
ぶちあたっていた時だったのでしょうか。
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