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スガンさんの「山羊」/「いのちの声」その9

 白いやぎが山に着くと、山じゅうがうっとりとした。年を経たもみも、今までこれほどきれいなのには会ったことがなかった。やぎは小さな女王のように迎えられた。くりの木は枝先で彼女をなでようとして、地に着くまで身を屈めた。黄金色のえにしだは、その通路に花を開いて、香りの限り快くにおった。山にありとあるものが、彼女を歓待した。
 
(「風車小屋だより」ドーデー作、桜田佐訳。岩波文庫昭和37年3月30日第35刷発行。※ルビ・傍点はすべて省略してあります。編者。)

アルフォンス・ドーデーの短編小説「スガンさんのやぎ」は
山にやってきた小娘の山羊ブランケットの様子をこのように描写しています。

少しおいて
さらに描写は続きます。

 半ば酔い心地の白いやぎは、その中を仰向けに転げまわり、落葉やくりと乱れ合いながら、坂道を転げ落ちたりした…… やがて、いきなり彼女は一跳ねして立ち上がった。そら行け! さあやぎは駆けだした。頭を前に突き出して、やぶを抜け、つげ林を過ぎ、ある時は険しい峰の上に、ある時はくぼ地の底に、あるいは高く、あるいは低く、ここといわず、かしこといわず…… まるで山の中に、スガンさんのやぎが十匹もいるかのように。
 ブランケットはもう何も恐くなかったのである。

小娘やぎは
夜になって狼と戦い
鶏が一声あげるころに息絶え
白い毛皮を紅に染めて地に横たえたところで
食べられてしまいます。

「スガンさんのやぎ」は
後輩のグランゴアールが
新聞記者の職を放棄して詩人になろうとするのを知って
「はなむけ」に書いた手紙という形の短編です。

作者アルフォンス・ドーデーが
せっかく斡旋(あっせん)した記者の仕事を蹴っぽって
グランゴアールは抒情詩を書く貧乏暮らしを選び取ったという設定です。

中原中也が「いのちの声」を作り
「山羊の歌」を編む中で
「スガンさんのやぎ」を参照していたか
そもそも読んでいたのか
はっきりしたことは分かっていません。

「山羊の歌」という詩集のタイトルがつけられた理由は
さまざまな説があります。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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