恋の行方(ゆくえ)/「寒い夜の自我像」その3
「山羊の歌」の「寒い夜の自我像」(第3次形態)に戻りましょう。
「白痴群」の創刊号に発表した時にも
この形でした。(第2次形態)
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寒い夜の自我像
きらびやかでもないけれど
この一本の手綱(たずな)をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を我(われ)は嘆(なげ)かず
人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもって
われはわが怠惰(たいだ)を諫(いさ)める
寒月(かんげつ)の下を往(ゆ)きながら。
陽気で、坦々(たんたん)として、而(しか)も己(おのれ)を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
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「白痴群」の創刊号(昭和4年4月1日発行)に発表した時に
第2、第3節をカットしたのは
巻頭に載せる詩としての役割を持たせたかったからでした。
「白痴群」は「ゆるい集団」でしたから
規約も方針も定まっているわけではないので
勝手な意思表明(マニフェスト)のつもりで
詩人は創刊号にそれらしきものを載せようとしたのです。
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詩集「山羊の歌」としては
「わが喫煙」や「妹よ」の「恋愛詩」の流れがトーンダウンし
詩人のスタンスの表明が前面に出てきたようですが
「恋歌」が消えてしまったわけではありません。
「一本の手綱」をしっかりとにぎり
陰暗の地域を過ぎる
詩人として生きるという志は確かなものでしたから
たとえ
人々が憔懆だけで愁しんだり
(泰子が)憧れに引き廻されて鼻唄を歌ったりしても……
それは自分への罰と感じるものであるし
その罰が自分の皮膚を刺すに任せておく、と歌ったのです。
(原形詩では、ここのところをいっそう詳細に歌い、ついには「神」を呼び出します。)
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「蹌踉(よろ)めくままに」は
「蹌踉(そうろう)として」という漢語をやわらかくしたもので
「よろよろとしながらも」という意味合いです。
「聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもって」も
「少しは礼儀正しくして」というほどの意味で
「怠惰」を諫(いさ)める気持ちを表明しているのです。
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倦怠(けだい)に親しい詩人が
「怠惰を諫める」と言明するのは珍しいことです。