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押し寄せる寂漠/「いのちの声」その2

バッハやモーツアルトが
「倦き果て」られるほどに聴かれ
ジャズが「お調子者」に聴こえるほど
「倦き果て」るまで聴かれました。

音楽が詩人を「ちょっとは生き生き」とさせることがあっても
「怠惰」の中に詩人は存在したのです。

「空の歌」「海の歌」が聴こえてきたとしても
ああ、それにしてもやすやすと得ることはできないのが「美」で
その核心を僕は知っていながら
「怠惰」から逃れることができない。

「怠惰」を逃れては
「美の核心」を知ることはできない
――と「憔悴」で歌われても明示されなかった「何か」への追求は
「いのちの声」にそのまま引き継がれます。

音楽を通過しても獲得し得なかった怠惰の果ては
雨上がりの曇った空の下の鉄橋のような「生」ですが
そこにあるのは「寂漠(じゃくばく)」です。

「怠惰」の底にあるのは
「寂漠」です。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(せきばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のもの
とすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「いのちの声」は
「怠惰」の先(または底)にあるのが「寂漠(じゃくばく)」で
それに沈潜し静まってはいない詩人の
求めているものを歌いはじめるのです。

「怠惰」や「倦怠(けだい)」を歌った詩(行)は
幾つもありますが
その先(または底)を歌って
ここでは内部にある「寂」「漠」に触れます。

バッハやモーツアルトやジャズを通じてでも
押し寄せてくる「寂漠」が
僕を沈静させることはありません。

僕はまだ何かを求めています。
それは音楽のような
すでに築きあげられている形のあるものではありません。

いまだれっきとした形のないものの中にあるはずのもので
それを求めて求めて心は逸(はや)るばかり。

それを求めるあまり
食欲も性欲もどっかへすっ飛んでしまいます。

それが何かは分からない
分かったためしがない。

それは「二つ」あるものでもない
たった「一つ」のものであると思う。

それが何かは分からない、分かったためしがない。
それへ行き着くいろんな方法さえも、すっかり分かったことがない。

時に自分をからかうようにして、僕は僕に聞いてみる
それは女か?
甘いものか?うまいか?
それは栄誉のことか?

すると心は叫ぶ、
あれでもない
これでもない
あれでもこれでもない!

それでは
それは空の歌。

朝の高い空に鳴り響く空の歌とでもいうのだろうか?

いやいや、そうじゃない。

「それ」は
「憔悴」末尾に現われた空の歌ともいえないもののようです。

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