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クロスオーバーする内面/「つみびとの歌」その2

阿部六郎は
「三太郎の日記」で有名な哲学者・阿部次郎の弟です。
当時、成城高校のドイツ語教師で
国語教師の村井康男とともに「白痴群」のメンバーでした。

全部で17冊の日記・習作のノートが残されていて
昭和3年から5年の記述には
数回、中也が登場します。
(「新全集」別巻<下>資料・研究篇)

たとえば
昭和3年(1928年)9月1日

人間は解体しないから解体する――中原から落ちて来た言葉。
だが、俺の解体は、復活を、約束しているか。

10月21日

諸井君のピアノコンツェルト。ヒリネ。
昨夜中原が俺のことを「絶望の中に言葉がある」といった。観察家ではあるが観察の演繹でない動きがあるといった。そして、諸井の音楽を聴くといい、老婆が嬰児を見てわっと泣き出すことがある。そういうものが諸井にあると言った。

今日、おほらかな歓びのさやぎに俺は一度涙ぐんだ。

だが、いま、薄い硝子戸の中に俺を凝座させている悲しみは、それとは違ったものだ。

昭和4年(1929年)3月26日

その時、中原が呼んだ。小雨の中に出た。バッハを聴いたら今迄あまり怠けている間にみんなとり逃してしまったような気がしていらいらしてしようがないと言っていた。俺は俺のからっぽなガタ馬車のような自己嫌悪をゆすぶりながら黙ってついて行った。斥けていたビールを二杯ほどのんだ。

帰って鏡をみたら、犬殺しの金茶色の眼をしていた。

彼等の夜に俺を入れたがって迎いに来た中原を、光って唸る乱心を口実に断って帰した。

やっとしがみついた部屋にひとりになったら、乱心が廻れ右をして俗人の呆然にだれやがった。

  これが孤独か化猫さん
  どっかで家骨が崩れやしたぜ

  雨がふって菌が生えて
  お月様は葬式の馬になるか

――といった具合です。
(同上「新全集」別巻より。いずれも一部を抜粋。「新かな」に変え、改行を加えました。編者。)

日記は内面の記録ですから
どんな日記も深刻さが拡大されるようですが
その拡大された内面に
中也がずっしりとした存在感をもって出現しています。

この日記と「つみびとの歌」が
どのような具体的な繋がりがあるのか
それを断定することはできませんが
無関係でないことは確かなことでしょう。

阿部六郎の内的関心が
詩人のものとクロスオーバーしていたことも確かなことでしょう。

そこでまた
詩を読んでみますが。

つみびとの歌

       阿部六郎に

わが生(せい)は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
由来(ゆらい)わが血の大方(おおかた)は
頭にのぼり、煮え返り、滾(たぎ)り泡だつ。

おちつきがなく、あせり心地(ごこち)に、
つねに外界(がいかい)に索(もと)めんとする。
その行いは愚(おろ)かで、
その考えは分ち難い。

かくてこのあわれなる木は、
粗硬(そこう)な樹皮(じゅひ)を、空と風とに、
心はたえず、追惜(ついせき)のおもいに沈み、

懶懦(らんだ)にして、とぎれとぎれの仕草(しぐさ)をもち、
人にむかっては心弱く、諂(へつら)いがちに、かくて
われにもない、愚事(ぐじ)のかぎりを仕出来(しでか)してしまう。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

いくら詩の「外部」(内面の記録であっても!)を知っても
詩を読んだことにはならない。

詩の読みの手助けになっても。

――ということを知るばかりです。

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