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雪のダブルイメージ/「生い立ちの歌」その5

「生い立ちの歌」は「Ⅱ」に入って
満年齢で23歳の現在を雪の「喩(ゆ)」で歌いますが
ふと、この雪は泰子のようであると
感じられてくる仕掛けに気付かされ驚きます。

雪のメタファーが
いつしか泰子とダブルイメージになるのですから
不思議な仕掛けですが
何度読み返しても
どこでそうなってしまうのか
マジックに遭うような謎(なぞ)が残ります。

第1連は、
花びらのように
第2連は、
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて
第3連は、
熱い額に落ちもくる
涙のよう
第5連は、
いと貞潔で
――と「降る雪」が主語ですが

第4連は
私の上に降る雪に
――と雪が主語でなく
目的語になっているのに気づかされます。

雪は、
第4連で目的格に変化し
いとねんごろに感謝して
神様に、長生したいと祈りました
――という述語の主語(私=詩人)に変わるのです。

私(=詩人)が雪に感謝するのです。

そして、神様に祈るのです、長生したい、と。

この雪は
泰子以外にありません。

生い立ちの歌

   Ⅰ

    幼 年 時

私の上に降る雪は
真綿(まわた)のようでありました

    少 年 時

私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました

    十七〜十九

私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました

    二十〜二十二

私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思われた

    二十三

私の上に降る雪は
ひどい吹雪(ふぶき)とみえました

    二十四

私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……

   Ⅱ

私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍(こお)るみ空の黝(くろ)む頃

私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸(さしの)べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ながいき)したいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔(ていけつ)でありました

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「Ⅱ」に入ってから
雪は花びらのように降るのですが
第1連の後半2行が重要です。

薪の燃える音もして
凍るみ空の黝(くろ)む頃

――は「雪の宵」のホテルの屋根の情景と響き合っています。

凍るみ空の黝(くろ)む頃
――の「み空」は
今夜み空は真っ暗で
暗い空から降る雪は……
――の「み空」とまっすぐにつながっています。

第2連の
いとなよびかになつかしく
手を差伸(さしの)べて降りました
――の主語が雪であると同時に泰子であり

第3連の
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました
――の主語が雪であると同時に泰子であるということが
こうしてくっきりしてきます。

第4連を
「私の上に降る雪に」としたのは
私(=詩人)を主格にするためであったことも
こうして見えてきます。

泰子にとても感謝します
そして、神様には長生きしたいことを祈りました、と歌うのが現在の私です。

その私に降る雪が「貞潔」であると歌うところに
この詩は「汚れっちまった悲しみに……」を歌った時から
遠くへ来ていることを暗示しています。

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