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恋(人)ふたたび/「無題」その8

「!」の連発がなんと多いか。

「無題」を読みながら
「こういう詩を嫌うひとは多いだろうなあ」という思いにとらわれては
何度も何度も読み返します。

モダニストや
プロレタリアート陣営や
ロマンチストや
星菫派や……。

その声の実例を挙げることはしませんが
感情的なものから冷静なものまで
「プロフェショナルの眼」は
大体が声に挙げることもなく
無視か沈黙していることでしょう。

ところが「無題」に感応する詩人がいます。
立原道造です。

立原が昭和11年(1936年)6月に「四季」に発表した詩。

「或る不思議なよろこびに」は
詩集「暁と夕の詩」に収められている連作詩の一部で
現在「失われた夜に」のタイトルになっていますが
「四季」発表時には
中也の「無題」「Ⅰ」から取り
エピグラフとしていました。

「或る不思議なよろこびに」のタイトルの後に
戸の外の、寒い朝らしい気配を感じながら
私はおまへのやさしさを思ひ……
         ――中原中也の詩から
――と「無題」「Ⅰ」のフレーズを置いたのです。
(「新全集Ⅰ 解題篇」より。)

ちなみにこの詩は
「新編立原道造詩集」(角川文庫、昭和48年改版13版)では

  Ⅵ 失われた夜に
  
灼(や)けた瞳(ひとみ)が 灼けてゐた
青い眸(ひとみ)でも 茶色の瞳でも
なかつた きらきらしては
僕の心を つきさした。

泣かそうとでもいふやうに
しかし 泣かしはしなかつた
きらきら 僕を撫(な)でてゐた
甘つたれた僕の心を嘗(な)めてゐた。

灼けた瞳は 動かなかつた
青い眸でも 茶色の瞳でも
あるかのやうに いつまでも

灼けた瞳は しづかであつた!
太陽や香りのいい草のことなども忘れてしまひ
ただかなしげに きらきら きらきら 灼けてゐた

――となっています。

なぜか
エピグラフは外されています。

「白痴群」の僚友、河上徹太郎も
ベルレーヌの詩「叡智」を援用して
「無題」第5節「幸福」への深い読みを残しています。
(同上「新全集」より)

捨てる神あれば拾う神あり、です。

なにをくよくよ川端柳、です。

通じる人には通じるものです。

中也の詩は
涙にかきくれていようと
ピンと立っているところが抜群です。

無 題

   Ⅰ

こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまえと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまえのやさしさを思い出しながら
私は私のけがらわしさを歎(なげ)いている。そして
正体もなく、今茲(ここ)に告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといって正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂い廻(まわ)る。
人の気持ちをみようとするようなことはついになく、
こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに
私は頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!
目が覚めて、宿酔(ふつかよい)の厭(いと)うべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配(けはい)を感じながら
私はおまえのやさしさを思い、また毒づいた人を思い出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みずか)ら信ずる!

   Ⅱ

彼女の心は真(ま)っ直(すぐ)い!
彼女は荒々しく育ち、
たよりもなく、心を汲(く)んでも
もらえない、乱雑な中に
生きてきたが、彼女の心は
私のより真っ直いそしてぐらつかない

彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きている。
あまりにわいだめもない世の渦(うず)のために、
折(おり)に心が弱り、弱々しく躁(さわ)ぎはするが、
而(しか)もなお、最後の品位をなくしはしない
彼女は美しい、そして賢い!

甞(かつ)て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめていたかは!
しかしいまではもう諦めてしまってさえいる。
我利(がり)々々で、幼稚な、獣(けもの)や子供にしか、
彼女は出遇(であ)わなかった。おまけに彼女はそれと識らずに、
唯(ただ)、人という人が、みんなやくざなんだと思っている。
そして少しはいじけている。彼女は可哀想(かわいそう)だ!

   Ⅲ

かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがえば
なが心、かたくなにしてあらしめな。

かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ)
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。

おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む
わが世のさまのかなしさや、

おのが心におのがじし湧(わ)きくるおもいもたずして、
人に勝(まさ)らん心のみいそがわしき
熱を病(や)む風景ばかりかなしきはなし。

   Ⅳ

私はおまえのことを思っているよ。
いとおしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸っているよ、
まるで自分を罪人ででもあるように感じて。

私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。
いろんなことが考えられもするが、考えられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。

またそうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
そうすることは、私に幸福なんだ。
幸福なんだ、世の煩(わずら)いのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!

   Ⅴ 幸福

幸福は厩(うまや)の中にいる
藁(わら)の上に。
幸福は
和(なご)める心には一挙にして分る。

  頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、
  せめてめまぐるしいものや
  数々のものに心を紛(まぎ)らす。
  そして益々(ますます)不幸だ。

幸福は、休んでいる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでいる。

  頑なの心は、理解に欠けて、
  なすべきをしらず、ただ利に走り、
  意気銷沈(いきしょうちん)して、怒りやすく、
  人に嫌われて、自(みずか)らも悲しい。

されば人よ、つねにまず従(したが)わんとせよ。
従いて、迎えられんとには非ず、
従うことのみ学びとなるべく、学びて
汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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