はるかなる空/「みちこ」その2
「木陰」に、
怨みもなく喪心(そうしん)したように
空を見上げる私の眼(まなこ)――
「失せし希望」に、
暗き空へと消え行きぬ
わが若き日を燃えし希望は。
「夏」に、
睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく
血を吐くような倦うさ、たゆけさ
「心象」に、
あわれわれ、亡びたる過去のすべてに
涙湧く。
み空の方より、
風の吹く
――などとあるように
「空」は「少年時」の幾つかの詩篇に明示され(詩語化され)
章を飛び越えて「みちこ」にも
重要なモチーフとして現われ続けます。
◇
みちこ
そなたの胸は海のよう
おおらかにこそうちあぐる。
はるかなる空、あおき浪、
涼しかぜさえ吹きそいて
松の梢(こずえ)をわたりつつ
磯白々(しらじら)とつづきけり。
またなが目にはかの空の
いやはてまでもうつしいて
竝(なら)びくるなみ、渚なみ、
いとすみやかにうつろいぬ。
みるとしもなく、ま帆片帆(ほかたほ)
沖ゆく舟にみとれたる。
またその顙(ぬか)のうつくしさ
ふと物音におどろきて
午睡(ごすい)の夢をさまされし
牡牛(おうし)のごとも、あどけなく
かろやかにまたしとやかに
もたげられ、さてうち俯(ふ)しぬ。
しどけなき、なれが頸(うなじ)は虹にして
ちからなき、嬰児(みどりご)ごとき腕(かいな)して
絃(いと)うたあわせはやきふし、なれの踊れば、
海原(うなばら)はなみだぐましき金にして夕陽をたたえ
沖つ瀬は、いよとおく、かしこしずかにうるおえる
空になん、汝(な)の息絶(た)ゆるとわれはながめぬ。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
第1連に
はるかなる空、あおき浪、
涼しかぜさえ吹きそいて
第2連に
またなが目にはかの空の
いやはてまでもうつしいて
――とあるのに続いて
決定打を放つかのように、
空になん、汝(な)の息絶(た)ゆるとわれはながめぬ。
――と最終連最終行を閉じるのです。
みちこという女性は
「空」に息絶えたのを
われ=詩人は見届けるのです。
◇
「空」は
「木陰」以前に配置された「妹よ」にもあります。
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……
――とあるのに遡ることができますが
詳しく読めば「初期詩篇」にも見つかるかもしれません。
やがては「在りし日の歌」で
多種多様な「空の世界」が展開されてゆきますから
中也の詩のコア(核)を占めるテーマであることも分かってきます。
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