ドラマの内部/「つみびとの歌」その4
斥けていたビールを二杯ほどのんだ。
と、阿部六郎は昭和4年(1929年)3月26日の日記に記していますから
飲めないのではなくこの時期に禁じていたのか
大酒飲みの人でなかったようです。
桜の開くころか
夜、小雨の降る中を訪れた中也に付き合い
2杯のビールを飲んで切り上げる意志の人のようです。
◇
「白痴群」は
まさにこの4月に創刊号を出しました。
創刊号を出した直後の阿部六郎の日記は
「白痴群」という固有名こそ記述しませんが
その磁場の中での出来事と内面を記録した以外のことに
触れていないようです。
◇
昭和4年(1929年)5月12日。
この宿で私は歴史から没落した。そして、中原の烈しく美しい魂と遭った。中原との邂逅は、とにか
く私には運命的な歓びで、又、偶然には痛みでもあった。
中原はいま、幾度目かの解体期にぶつかっている。昨年初冬、私と一緒に入って行った義務愛に
破綻して、存在にも価値にもひどい疑惑に落ちている。そして、不思議な因縁で離合して来たも一
つの罰せられた美しい魂と一緒にいま、京都に行っている。生きるか死ぬかだと言う彼の手紙は
決して誇張ではないのだ。
「どっちがお守りをされているのか分からないわよ」と言った咲子さんの顫え声にも、私には勿体な
いほどのしんじつを感ずる。
だが、私にはそれをどうすることができよう。
(「新全集」別巻<下>より。一部を抜粋。「新かな」に変え、改行を加えました。編者。)
◇
「咲子さん」は長谷川泰子のこと。
京都帝国大学へこの春進学した
「白痴群」のメンバーは
大岡昇平
富永次郎
若原喜弘の3人。
「白痴群」の打ち合わせを兼ねて
泰子とともに
中也は京都旅行に出かけたのです。
◇
つみびとの歌
阿部六郎に
わが生(せい)は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
由来(ゆらい)わが血の大方(おおかた)は
頭にのぼり、煮え返り、滾(たぎ)り泡だつ。
おちつきがなく、あせり心地(ごこち)に、
つねに外界(がいかい)に索(もと)めんとする。
その行いは愚(おろ)かで、
その考えは分ち難い。
かくてこのあわれなる木は、
粗硬(そこう)な樹皮(じゅひ)を、空と風とに、
心はたえず、追惜(ついせき)のおもいに沈み、
懶懦(らんだ)にして、とぎれとぎれの仕草(しぐさ)をもち、
人にむかっては心弱く、諂(へつら)いがちに、かくて
われにもない、愚事(ぐじ)のかぎりを仕出来(しでか)してしまう。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
しかし、重なるようで重なりません。
しかし、繋がっていないようで繋がっています。
原因があり結果があるというような関係が
阿部の日記と「つみびとの歌」にあるわけがありません。
ここでも「詩の外部」は
詩のなにものも明きらかにしません。
◇
阿部の日記は
詩の外部のドラマに触れているし
「ドラマの内部から」の記述であるけれど
「つみびとの歌」とつながることはありません。
あくまでもヒントです。
◇
詩は
状況からも背景からも
独立した世界です。
たとえ
そこにしか詩の世界への糸口がないものだとしても。
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