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はるかなる空/「みちこ」

「みちこ」は5篇の詩を含む章ですが
冒頭に同題の詩を置きます。

「みちこ」
「汚れっちまった悲しみに……」
「無題」
「更くる夜」
「つみびとの歌」
――というラインアップですが
ここでもタイトルを見ただけでは一括(ひとくく)りにされた意図は見えません。

「みちこ」が
前章の最終詩「心象」の
松の木に風が吹き、
踏む砂利(じゃり)の音は寂しかった。
――という始まりに応じているのかどうか。

「みちこ」は
女性の胸を賛美し「海」に喩(たと)えて
遥かな空、青い浪、
松の梢(こずえ)に風が吹く
白々と続く磯――と歌いはじめるのです。

みちこ

そなたの胸は海のよう
おおらかにこそうちあぐる。
はるかなる空、あおき浪、
涼しかぜさえ吹きそいて
松の梢(こずえ)をわたりつつ
磯白々(しらじら)とつづきけり。

またなが目にはかの空の
いやはてまでもうつしいて
竝(なら)びくるなみ、渚なみ、
いとすみやかにうつろいぬ。
みるとしもなく、ま帆片帆(ほかたほ)
沖ゆく舟にみとれたる。

またその顙(ぬか)のうつくしさ
ふと物音におどろきて
午睡(ごすい)の夢をさまされし
牡牛(おうし)のごとも、あどけなく
かろやかにまたしとやかに
もたげられ、さてうち俯(ふ)しぬ。

しどけなき、なれが頸(うなじ)は虹にして
ちからなき、嬰児(みどりご)ごとき腕(かいな)して
絃(いと)うたあわせはやきふし、なれの踊れば、
海原(うなばら)はなみだぐましき金にして夕陽をたたえ
沖つ瀬は、いよとおく、かしこしずかにうるおえる
空になん、汝(な)の息絶(た)ゆるとわれはながめぬ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

ここに歌われている「みちこ」が
長谷川泰子であるかないかという疑問を追及していくのは
研究者の仕事になりましょう。

大岡昇平は「みちこ」を
作家谷崎潤一郎の義妹である女優葉山三千子で
「痴人の愛」のモデルとされる女性と推定しています。
(角川文庫「中原中也」)

葉山三千子は大正12年に日活下鴨撮影所に属し
椿寺付近にあった長谷川泰子と同じ下宿に住んでいて
詩人が三千子を理想的な女性として語るのを幾度か聞いたことを証言しているのです。

そうとなればそれはそれで身を乗り出すようなニュースですが
「みちこ」第4連第3行
絃(いと)うたあわせはやきふし、なれの踊れば、
――という詩行が
永井淑らと泰子が四国松山への旅回りの道中で
泰子が舞った即興の踊りであると解釈する向きもあり
どちらとも断定できません。

「山羊の歌」の読者は
その疑問を抱く前に
「少年時」の流れの終わりに「みちこ」が現われたことに目を瞠(みは)り
「みちこ」が女性そのものの美しさを歌い
その上、肉体賛美の詩であることに驚きを禁じ得ないはずです。

なぜ「みちこ」という章が設けられたのでしょう。
なぜ「みちこ」という詩が歌われたのでしょう。

ヒントはやはり「空」にありそうです。

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