はるかなる空/「みちこ」その3
「みちこ」の美しい肉体が息絶えるところが
「空」でした。
逆に言えば
「空」の向こうには「みちこ」がいるということになります。
こちらにはいないけれど
あちらにはいる
――という存在として
「みちこ」は歌われた(=現われた)ということになります。
◇
みちこ
そなたの胸は海のよう
おおらかにこそうちあぐる。
はるかなる空、あおき浪、
涼しかぜさえ吹きそいて
松の梢(こずえ)をわたりつつ
磯白々(しらじら)とつづきけり。
またなが目にはかの空の
いやはてまでもうつしいて
竝(なら)びくるなみ、渚なみ、
いとすみやかにうつろいぬ。
みるとしもなく、ま帆片帆(ほかたほ)
沖ゆく舟にみとれたる。
またその顙(ぬか)のうつくしさ
ふと物音におどろきて
午睡(ごすい)の夢をさまされし
牡牛(おうし)のごとも、あどけなく
かろやかにまたしとやかに
もたげられ、さてうち俯(ふ)しぬ。
しどけなき、なれが頸(うなじ)は虹にして
ちからなき、嬰児(みどりご)ごとき腕(かいな)して
絃(いと)うたあわせはやきふし、なれの踊れば、
海原(うなばら)はなみだぐましき金にして夕陽をたたえ
沖つ瀬は、いよとおく、かしこしずかにうるおえる
空になん、汝(な)の息絶(た)ゆるとわれはながめぬ。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
ここへ来て「みちこ」が歌われたのは
新たな「恋(人)」が生じたからなのではなく
心の歴史が終焉した(「夏」)とか
過去が亡びた(「心象」)とかしたからです。
「みちこ」はいま存在しないのです。
ですから「みちこ」は
特定の誰それである必要がありません。
特定の誰それであってもおかしくはありませんが
心の歴史の一こまに現われた「女性」であったり
亡びたる過去のすべてのうちの一つである「女性」であったりするだけで
十分です。
固有名は意味を持たないのです。
◇
そのために「みちこ」は
完璧な女性美として歌われました。
失われた恋(人)は
失われた故に完璧であり
今ここに存在しない故にかつて確かにあったのです。
それは歌うことによってしか
現前しない存在でした。
◇
中也の詩に現われる
多くの女性の「普遍性」も
このような由来を持つといえるかもしれません。
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