恋(人)ふたたび/「無題」その5
「無題」を
もしも外国人、ことさら西欧人が読んだら
どのような感想を抱くだろうか。
ほかの言葉にすれば
「無題」を英語に翻訳したら
第2節末行の「彼女は可哀想だ!」はどうなるか。
――などと、ふと考えてしまいます。
◇
恋文(ラブレター)を読むのと同じようには
恋の詩(歌)を読んでいないでしょう。
これは
日本語をしゃべっている人々への疑問でもあります。
◇
特定の相手に向けた恋文(ラブレター)と
不特定多数の読者に読ませる詩とは異なるものですから
そのことを頭のどこかに入れていることによって
心穏やかに恋愛詩を味わっていられるのでしょう。
失恋のさなかにある女性(男性)が
失恋を歌った詩を読んで
では何を感じているでしょうか。
どんなふうに役立てているでしょうか。
◇
中原中也が「無題」の「Ⅱ」で歌っている「可哀想」は
同情に他なりませんが
憐れみというよりも
「同苦同悲」の境地に近いのではないでしょうか?
恋人のこうむっている苦難や悲しみと
同じところに立とうとして
彼女は可哀想だ!と叫んでいるように聞こえてこないでしょうか?
◇
そう聞こえてきたところで
第3節「Ⅲ」を読む番です。
破調を含んだ七五、五七、七七……の文語ソネットを
ここに置いた意図が見えるようです。
◇
Ⅲ
かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがえば
なが心、かたくなにしてあらしめな。
かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ)
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。
おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む
わが世のさまのかなしさや、
おのが心におのがじし湧(わ)きくるおもいもたずして、
人に勝(まさ)らん心のみいそがわしき
熱を病(や)む風景ばかりかなしきはなし。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
元は「詩友に」という独立した詩でした。
「詩友に」が呼びかけている相手「な」は
「詩の友だち」というより
「詩の同志(士)」の響きがありますが
彼女=泰子でありながら詩人自身でもありそうです。
ここにきて「同苦同悲」は
自らにも向けられ
「な」は相手である泰子でもあり
詩人でもあります。
◇
詩人は泰子に同化しているのです。
かくは悲しき生きん世に(このように悲しく生きなくてはならない世の中に)
――は、明きらかに、
彼女(おまえ)にも自分自身にも言っています。
◇
「白痴群」の創刊号に
「寒い夜の自我像」とともに発表され
マニフェストの役割を負った詩であることとは
このようなことです。
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