恋(人)ふたたび/「無題」その2
「無題」が「汚れっちまった悲しみに……」の後に配置されたのは
冒頭節の第5行、
私は私のけがらわしさを歎(なげ)いている。
――につながり
やがては全詩へと接続していくことを示すものでしょうか。
「汚れっちまった悲しみに……」の「汚れ」は
「無題」の「けがらわしさ」に連続しているのでしょうか。
第1節だけを
クローズアップして読んでみましょう。
◇
Ⅰ
こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまえと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまえのやさしさを思い出しながら
私は私のけがらわしさを歎(なげ)いている。そして
正体もなく、今茲(ここ)に告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといって正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂い廻(まわ)る。
人の気持ちをみようとするようなことはついになく、
こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに
私は頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!
目が覚めて、宿酔(ふつかよい)の厭(いと)うべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配(けはい)を感じながら
私はおまえのやさしさを思い、また毒づいた人を思い出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みずか)ら信ずる!
◇
第1節はこのように
16行ぶっ通しの1連で終わる詩です。
リズムを刻む余裕も意志もないままに
息せききって書きなぐったような16行です。
一見して、
第3行、第5行、第6行に無理矢理な「改行」があり
何らかのたくらみが潜んでいるのかと疑問を抱かせられますが
ここでは「形」に目を奪われていられません。
◇
こい人よ、おまえが
――と呼びかける相手は
まさしく長谷川泰子ですから!
泰子が現われるのが
まずは驚きですが。
私=詩人はいま二日酔いの朝を迎え
泰子を思いながら
反省しているのです。
その反省が
自分の「けがらわしさ」へ向かっているのです。
◇
となれば……。
この「けがらわしさ」は
「汚れてしまった悲しみ」の「汚れ」と同じことになります。
「ヨゴレ」と読んできたものと
「ケガラワシサ」が同じことになります。
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