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思い出の歴史/「生い立ちの歌」その2

思い出は
人であるゆえに経験できる特権みたいなものですから
創作活動、ことさら時間芸術である文学の
主要なテリトリーであり得意とする領域です。

言葉によって
思い出と現在と未来までをも自在に旅することができるのですから
言葉の芸術の王であるといってよい詩が
思い出を扱わない理由はありません。

中也の詩の中でも
思い出を歌ったものがすこぶる美しいのは
何か深いわけでもあるのでしょうか。

自分がたどってきた人生の足取りを振り返り
現在いる位置やこれから向かうであろう方角に見当をつけたり
古い記憶を呼び起こし
幸福な時間を追体験したり……。

ある特定の過去の思い出と違って
思い出の連なり(=自己の歴史)そのものを詩に歌うという例は
そう多いことではありません。

思い出を歌った詩とは別に
中也は過去履歴(パーソナル・ヒストリー)を
折りあるごとに書き残しました。

昭和11年(1936年)に書いた「我が詩観」中の
「詩的履歴書」は創作の歴史です。

昭和12年2月に「千葉寺雑記」というノートに
書き付けた「泣くな心」は1連4行で12連構成の詩です。

「泣くな心」と同じころに「千葉寺雑記」に書いた草稿で
「中村古峡宛書簡下書稿3」として整理されている手紙の下書きも
自己を振り返ったパーソナル・ヒストリーです。

そして「生い立ちの歌」は
整然とした定型詩です。

生い立ちの歌

   Ⅰ

    幼 年 時

私の上に降る雪は
真綿(まわた)のようでありました

    少 年 時

私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のようでありました

    十七〜十九

私の上に降る雪は
霰(あられ)のように散りました

    二十〜二十二

私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思われた

    二十三

私の上に降る雪は
ひどい吹雪(ふぶき)とみえました

    二十四

私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……

   Ⅱ

私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍(こお)るみ空の黝(くろ)む頃

私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸(さしの)べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ながいき)したいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔(ていけつ)でありました

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「Ⅰ」の数字は数え年での詩人の年齢を表わしています。

この年齢は
詩人の実体験に対応して書かれていることがわかっています。

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