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はるかなる空/「みちこ」その4

「みちこ」を
じっくり読んでおきましょう。

みちこ

そなたの胸は海のよう
おおらかにこそうちあぐる。
はるかなる空、あおき浪、
涼しかぜさえ吹きそいて
松の梢(こずえ)をわたりつつ
磯白々(しらじら)とつづきけり。

またなが目にはかの空の
いやはてまでもうつしいて
竝(なら)びくるなみ、渚なみ、
いとすみやかにうつろいぬ。
みるとしもなく、ま帆片帆(ほかたほ)
沖ゆく舟にみとれたる。

またその顙(ぬか)のうつくしさ
ふと物音におどろきて
午睡(ごすい)の夢をさまされし
牡牛(おうし)のごとも、あどけなく
かろやかにまたしとやかに
もたげられ、さてうち俯(ふ)しぬ。

しどけなき、なれが頸(うなじ)は虹にして
ちからなき、嬰児(みどりご)ごとき腕(かいな)して
絃(いと)うたあわせはやきふし、なれの踊れば、
海原(うなばら)はなみだぐましき金にして夕陽をたたえ
沖つ瀬は、いよとおく、かしこしずかにうるおえる
空になん、汝(な)の息絶(た)ゆるとわれはながめぬ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

君の胸はまるで海のよう
大きく打ち寄せ打ち上がる。
遥かな空、青い波に
涼しい風が吹いて
松の梢を抜け
磯が白々と続いているかのようだ。

君の目は、あの空の
遠い果てをも映し
次々に並んでやって来る波の
とても速く移ろっていくのに似ている。
君の目は
見るともなしに、真帆片帆(まほかたほ)で思い思いの
沖を行く舟をみている。

君の額の美しいこと
物音に驚いて
昼寝から目覚めた牡牛のように
あどけなく
軽やかでしとやかに
頭をもたげたかと見る間に
打ち臥して眠りに入る。

しどけない、君の首筋は虹のようで
力なく、赤ん坊のような腕をして
速いフレーズの歌曲に乗って
君が踊ると
海原は涙に濡れて金色の夕日をたたえ
沖の瀬は、とても遠く、
向こうの方に静かに潤っている
空に、君の息が絶えようとするのを
僕は見たのだ。

「みちこ」は文語詩ですから、
そなた(の胸)
な(が目)
なれ(が項)
なれ(の踊れば)
汝(の息絶ゆる)
――という人称に「異化感(異和感)」があり
「君」なのか
「あなた」なのか
「あんた」なのか
「おまえ」なのか
判別しにくい響きですが
それらのすべてが含まれているのでしょう。

第2連の「ま帆片帆」は
真帆片帆(まほかたほ)のことで
帆船(はんせん)の走行(操縦)の方法。
真帆は、帆を一杯にあげて追風で走り
片帆は、帆を半分ほどにして横風を受けて走る。

正岡子規に
涼しさや淡路をめぐる真帆片帆
――があります。
(以上Kotobankより)

中也はこの句を知っていたのでしょうか。
昔の人は日常的に使っていたのかもしれません。

最終連の
「絃うたあわせはやきふし(イトウタアワセハヤキフシ)」は
「糸・唄・合わせ・速き・節」で
「糸(弦)と唄」は「歌曲」を指し
それが「速い調べ」であることを意味するのなら
長谷川泰子固有の経験を連想できます。

とすれば
「みちこ」は泰子を歌った詩ということになりますが……。

泰子を前面で出さずに
「みちこ」というタイトルにしたのは
どちらをも含みどちらでもない女性を歌ったからではないでしょうか。

「山羊の歌」は
「みちこ」に続けて
「汚れっちまった悲しみに……」を置きます。

謎の多いこの詩への流れが
「みちこ」に隠されてあるのかもしれません。

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