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内海誓一郎への感謝/「更くる夜」その3

「スルヤ」の第1回演奏会が開かれたのは昭和2年12月で
中也が諸井三郎を知った直後ということですが
内海誓一郎は中原中也追悼文「追憶」の冒頭で
「中原中也とは、昭和3年の正月以来の交友」と記述していますから
「スルヤ」メンバーとの交流の中でも
諸井三郎、河上徹太郎に次いで
早い時期に面識があったことがわかります。

内海誓一郎は
「スルヤ」にも「白痴群」にも同人として参加していたのは
河上徹太郎と同じようなスタンス(距離感)だったのでしょうか
二人ともにピアノを弾き
文学にも関心を寄せる学生(知識人)でした。

内海はまた
「社会及国家」を詩人に紹介しました。

「白痴群」廃刊で発表の場を失った中也は
フランス文学・思想の翻訳に傾注しますが
「社会及国家」(昭和4年11月1日発行)に
ポール・ベルレーヌが書いた詩人論「呪われた詩人たち」の一つ
「トリスタン・コルビエール」を訳出し発表します。

その後も
「マックス・ヂャコブとの一時間」
「ヴヱルレエヌ訪問記」
「オノリーヌ婆さん」
――などを発表し続けます。

京都で富永太郎に感化されたフランス象徴詩派の翻訳を
「白痴群」でも発表していましたが
「社会及国家」でその仕事を継続する形となったのです。

更くる夜
       内海誓一郎に 
毎晩々々、夜が更(ふ)けると、近所の湯屋(ゆや)の
  水汲(く)む音がきこえます。
流された残り湯が湯気(ゆげ)となって立ち、
  昔ながらの真っ黒い武蔵野の夜です。
おっとり霧も立罩(たちこ)めて
  その上に月が明るみます、
と、犬の遠吠(とおぼえ)がします。

その頃です、僕が囲炉裏(いろり)の前で、
  あえかな夢をみますのは。
随分(ずいぶん)……今では損(そこ)われてはいるものの
  今でもやさしい心があって、
こんな晩ではそれが徐かに呟きだすのを、
  感謝にみちて聴(き)きいるのです、
感謝にみちて聴きいるのです。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

ずいぶんと脱線したようですが
「更くる夜」を内海誓一郎に献呈した背景をすこし見てみました。

「帰郷」「失せし希望」に作曲し
「社会及国家」への橋渡しをしたのが内海誓一郎です。

「白痴群」廃刊後に陥っていたに違いない虚脱感のなかで
詩人は「仕事」を得ました。

ほとんど報酬もなく
第17回衆議院総選挙があった昭和5年(1930年)には
発行日が遅延してしまうマイナーメディアでしたが
ベルレーヌの散文を翻訳した先駆けでもあり
やがて中也がフランス文学の翻訳に「活路」を見い出すきっかけとなったメディアでもありました。

内海が「失せし希望」に作曲しているさ中に
「更くる夜」は制作されたました。

献呈をサブ・タイトルとして明示することは
感謝の表明にほかなりませんが
「山羊の歌」編集時点でも
感謝の気持ちは継続したのでしょう。

このようなことどもを知りながら読めば
また詩の味わいも深くなることでしょうか。

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