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関口隆克のムシュー・スガンのシェブル/「いのちの声」その15

「春の日の夕暮」を読んだのは
いつのことだったでしょう。

「山羊の歌」の最終詩「いのちの声」を読み
「山羊の歌」という詩集名について若干まとめてみながら
それが遠い日であったような感覚が残ります。

前に読んだ詩を振り返ることより
一つ一つの詩を次々に読み進めてきたために
詩集のページをめくるにしたがって
遠ざかっていったということなのでしょうか

詩の一つ一つが作られた日時をもち
前進していった日時をたどって読んできたから
それだけ時間が遠のいていったということなのでしょうか

「いのちの声」の詩行にも
しかし「春の日の夕暮」の時間が流れ込んでいるなと感じられる瞬間はあります。

たとえば
ゆうがた、空の下で、
――と「いのちの声」が歌う「景色」は
無言ながら 前進します
――と歌われる「春の日の夕暮」とつながっています。

同じものであるとは言いませんが。

「いのちの声」を読み終えることは
詩集「山羊の歌」を読み終えることなので
「山羊の歌」のタイトルの由来について少しまとめてみましたが
そのどの一つでもなく
これだと思ったそばからいやあれだと思える仕掛けなのかもしれません。

「山羊の歌」だから
「山羊の歌」なのだよ
――と詩人は言っているようでもあります。

「宗教の山羊」については
宗教を理解していない者が深く立ち入ることはできませんが
最後に少しふれておきましょう。

先にアルフォンス・ドーデーの「スガンさんのやぎ」について記しましたが
あれは「関口隆克が語り歌う中原中也」というCDの中で語られていることを元にしています。

関口は中也の詩は「山羊の歌」のほうを高く評価していますが
「羊の歌」を解説しているくだりで
「山羊の歌」というタイトルについて自説を披瀝(ひれき)しています。

(略)

本当は「羊の歌」になるんじゃなかったのか、なぜ「山羊の歌」になったのか。

羊は飼われている。山羊も飼われているけど、山羊は岩山に立っている。山羊は、どこへ行っても、アルプスの山のてっぺんに飼われている。角を持ってですね。そして、狼にも向かっていきますね。ただ食われているだけじゃない。

アルフォンス・ドーデーの「風車小屋だより」の中に「ムシュー・スガンの山羊」という美しい短編があります。羊飼いの男が、山に迷ってしまって、牧場主のお嬢さんを守って一晩語る、星を見ながら一晩語る。

ムシュー・スガンの山羊が、ほかの者が、群が、狼に襲われた時に、戦って、みんなを守り通して、星月夜ですね 星がまたたいている間戦う、星が消えると同時に戦い破れて死んでしまった。南フランスの田舎に伝わっている物語ですが、それをアルフォンス・ドーデーが「風車小屋」の中で書いているんです。

あれは、われわれ、みんな読んだものなんです。わたしはね、中原がね、本当に山羊を知っていたか、どうかは、疑問だと思うんですがね。だけど「ムシュー・スガンのシェブル」というのは読んだと思いますよ。私はね、日本での山羊は戦う羊ですよね、羊だけど、ただ食われてしまったり、ただ言うなりになってしまう羊じゃない。従順であるからといって、弱虫じゃない。意気地なしじゃない。

(略)

「羊の歌」の第1章「祈り」を朗読する。

祈 り

死の時には私が仰向(あおむ)かんことを!
この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!
それよ、私は私が感じ得なかったことのために、
罰されて、死は来たるものと思うゆえ。

ああ、その時私の仰向かんことを!
せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!

社交とかしきりに言っていて、ボードレールの引用をしたりしている。
最後のところですね。

さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
夜(よ)な夜なは、下宿の室(へや)に独りいて
思いなき、思いを思う 単調の
つまし心の連弾(れんだん)よ……

汽車の笛(ふえ)聞こえもくれば
旅おもい、幼(おさな)き日をばおもうなり
いなよいなよ、幼き日をも旅をも思わず
旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……

思いなき、おもいを思うわが胸は
閉(と)ざされて、醺生(かびは)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ
しらけたる脣(くち)、乾きし頬(ほう)
酷薄(こくはく)の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……

この最後のところ「もろに佗(わび)しいわが心」っていう、ここが、みんなイヤでね。相撲なんかでモロにさす、っていって、まったく市井の言葉であって、詩に入る言葉じゃない、ここをよせって言ったんだけれども、中原はどうしてもよさない。直さない。安原君も、恐縮していた。「もろに侘しい」っての、どっか落ち着きが悪いって。

だけどその、雅に対する俗っていうか、反っていうか、アンラッキーというか、乱というか、何かいるんです。つまり、「山羊の歌」っていうのは、私はそこだと思うんです。ただの従順じゃない。本質的従順じゃない。本質的従順であるけれども、ただ従順なのではない。

人が真に従順であるべきは、神に対してでしかない。人間に対して従順である必要はない、っていう、真理と神に対してこそ従順であるべきだ、それが中原の考えなんです。

神が人間のかたちをしつつ現われた、くだらない人間でも神になることがあるんです。そのときはその人に従順であるべきでね。しかし彼が常に神であるってことはあり得ないのですね。だからある人にいつも従順であるってことはあり得ない。本質的従順ってのはそういうものじゃない、っていうのが中原の考えだと私は思います。

(略)

(※以上は、CDから起こしたもので、正確でない部分を含むことをお断りします。編者。)

「いのちの声」には
ついに「神」は現われませんが
近くに「山羊」が存在したことも確実なことでしょう。

今回で「山羊の歌」の鑑賞をひとまず終わりといたします。

いのちの声
 
          もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                            ――ソロモン
 
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。
あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。
僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(じゃくばく)だ。

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。
そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

   Ⅱ

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、
めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといわねばならぬ

だが、それが此(こ)の世というものなんで、
其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

   Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

   Ⅳ

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

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