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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和9年8月25日

その1
 
また2か月の時間が流れました。
 
発信地は、山口県湯田です。
詩人は10日ほど前に、
身重(みおも)の孝子夫人とともに帰省しました。
 
「手紙78 8月25日 (封書)」(新全集は「145」)は
封筒、書簡ともに毛筆で認(したた)められています。
 
改まった感じがありますが
どんな気持ちが込められたのでしょうか。
 
 
詩人が毛筆を使った例はそう多くはなく
文也死後、はじめてものを書いた
日記の中の「文也の一生」や
創作詩「冬の長門峡」や「夏の夜の博覧会はかなしからずや」などであり
「山羊の歌」が刊行された時に
安原喜弘に感謝の気持ちを込めて贈った詩「薔薇」の例などがあるだけです。
 
どのような時に
詩人は毛筆を使うことにしていたのか
なんらかの決め事を自らに課していたのかもしれませんが
特別なケースであることは確かなようです。
 
長文ですが
全文を読みましょう。
 
 
 お手紙有難うございました 御変りもなくて何よりです 僕はブラブラと暮しています 甲子園がある間は毎日聞いていました 昨日は朝から汽車で2時間位の海辺の町に出掛けて来ました 懶(ものう)げな風物が何のことはない面白いのです 女房の眼は次第によくなりつつあります
 
 般若心経(はんにゃしんぎょう)読まれた由、森ラ万象が畢竟(ひっきょう)‘気’だとしたらやりきれないと僕も思いますが、森ラ万象を傍観したら結局‘気’で運転していることになっているので、各当人‘現在’としたら、潜在意識層を外れず意識の働いている有様なれば‘気’に満ちているわけにて、潜在意識層というのは畢竟感性のことにて、感性の新鮮さは精神統一と謂われる状態にて得られるもので、精神統一とは何か或る一事の統制ではなく放心的生活のことにて、即ち「無」にて、「無」とは「不在」ではなく一切が出発するかもしれぬ点のことにて、子供がいるのはその点にです――と、般若心経を知らないのですが、かにかくにそう僕は心得ていたいと思います
 
 それにつけても僕事はノンビリしたいです 昨日はその海岸の近くの人も行かない、石の川床がヒデリのためにアラワレていて、川のそばの高いヤブのために陽の当らないその川床の上に、2時間ばかりネコロンでいました
 
 自分のノボセを去ることも困難ですが、時代的なノボセを去ることは一層の困難です 時代的なノボセを避けようというのではありませんが、時代的なノボセをそれがどんな性質のものだと、ゆっくり述べられるようになりたいと思っているのです
 
 陶酔の線がヒヨワくなっているということはどっちにしても幸福なことではありませんし、何時迄もヒヨワくては国が駄目になります ナミナミとした タルミのある線というものが現代のように稀になったこともないでしょう
 
 オーケストレーションをもっと簡素にして今と同様の感銘を持たせるようなジャズというようなものが、生れなくてはならないのだろうと思います
 
 油一滴、屁もひらず――こういう一種の呪文が心を往来しています 弗(フツ)これがまた呪文です
 
 まとまりもないことを申しましたが今日はこれで失礼します
 
   8月25日
  安原喜弘様                       中也
 
 
今回は、「新編中原中也全集」第5巻 日記・書簡 本文篇から引用しました。
読みやすくするために、「歴史的かな遣い」をやめ、「新かな」「洋数字」に変えてあります。
「行アキ」を加えたり、
底本の傍点は‘ ’で示したほか、
「必竟」を「畢竟」で統一するなど、校訂を加えたところもあります。
 
 
長い時を過ごした実家の
使い慣れた文机(ふづくえ)で
毛筆を使って書かれたためでしょうか
ゆったりとしてどっしりとして
明朗快活な文章の流れを感じさせるものになっています。
 
汽車の中ででも
旅館のお膳の上ででも
郵便局の事務机ででも
詩人は「達意の文章」を書く名人ですから
万年筆で畳の上に寝転がって書いたにしてもよいのですが
毛筆となれば
詩人が端座してこれを書いた姿が浮かんでくるというものです。
 
 
毎日ブラブラ
甲子園(現高校野球)は毎日(ラジオで)聞いた
昨日は、汽車で2時間のところの町へ行った
その町の「ものうげな風物」が面白くて。
女房の眼病は順調に直りつつある
 
書き出しの短い挨拶で
これだけの近況を伝える筆致に過不足がありません。
 
 
 
その2
 
「手紙78 8月25日 (封書)」(新全集は「145」)は
安原が般若心経を読んで感想を送ったのに対して
詩人が持論を展開して返信した流れで投じられました。
 
この往復書簡をやりとりしていた頃の安原は26歳(5月19日生まれ)。
詩人は27歳(4月29日生まれ)です。
 
詩人の死後3年して「中原中也の手紙」を
「文学草紙」に書いていた頃(昭和15年)でもなく
戦後に単行本を再刊発行したときに増補加筆した頃(昭和54年)でもなく
詩人と「生(なま)で交感」していた昭和9年の青年安原が
般若心経の読後感を詩人にぶつけ
それに詩人が応答したという事情を忘れてはなりません。
 
 
安原は、その頃を振り返って
 
私が般若心経を読み、その余りにも観念論的方便論であるのに閉口して感想を書き送ったの対し、彼がこの手紙の中で極めて気儘に書き流した叙述は蓋し彼の「形而上学」の注目すべき一貌を洩らすものの様である。私は今にしてそれを思うのである。(「中原中也の手紙」より。)
――とコメントしたのです。
 
この「今」が
昭和9年の「今」でないことは明らかです。
 
 
安原は昭和9年当時
般若心経を余りにも観念論的方便論と斥(しりぞ)けたのに対し
詩人は「反論」を展開したのでした。
 
もしかすると
この手紙を毛筆で書いたのは
そのあたりにあるのかもしれませんが
憶測に過ぎません。
 
 
かつて学業の成績が急降下して
大分の寺に修行に出された経験のある詩人は
般若心経に疎(うと)いわけではなく
仏心に篤(あつ)いというほどではなかったにせよ
さらさら無関心ではない距離にありました。
 
安原君、ちょっと聞いてくれ!
僕の考えはこうだ……
 
森羅万象が「気」だとしたらやりきれないと僕も思う
でも森羅万象を眺め渡してみれば、「気」が動かしているということも見えてくるさ
一人一人の現在を取りあげてみれば
潜在意識層の外で意識は働いている様子が見えるというのは
「気」が満ちているということなんで、
潜在意識層というのは、つまるところ「感性」のことなのだ
その感性の新鮮さは精神統一の状態で得られるもの
 
では、精神統一とは何かというと
ある一事の統制ではなく、放心的生活のこと
 
(放心)とは、つまりは「無」で、
「無」とは「不在」ではなく、一切が出発するかもしれぬ点のこと。
子供はその「点」にあるのです
――と僕は心得ていたい
 
(どうかな?)
(違うかな?)
(君の考えをもう少し聞かせてくれ)
 
 
般若心経への考えをひとたび披瀝した後に
昨日汽車に乗って訪れた
ある川の、近くの住人も行かない
日照りで石の川床が露出したところに
2時間も寝転んでいた詩人の脳裡に去来していたことが述べられます……
 
「ノボセ」がどのようなものか
この説明が不足していてわかりにくいのですが
これを説明できるようになりたいと詩人が言っていることが
重要です。
 
 
詩人は、なんとかそれを安原に説明しようとしています。
 
陶酔の線と幸福
ナミナミとしたタルミのある線
オーケストレーションをもっと簡潔にしたジャズ
――などという喩(ゆ)を使って。
 
 
しかし、まだ説明が足りないと感じたのか
 
油一滴、屁もひらず=アブライッテキ・ヘモヒラズ
弗=フツ
――という呪文を述べて
ひとまず、般若心経の「議論」を締めくくりました。

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