「白痴群」前後・片恋の詩8「消えし希望」
その1
中原中也が長谷川泰子とともに上京したのは
大正14年3月10日のことでした。
東京市牛込区早稲田鶴巻町414早成館に仮の住まいを得て後
豊多摩郡戸塚町大字源兵衛195林方、
豊多摩郡中野町大字中野小字打越1985永島方、
そして小林秀雄が近くに住む杉並町大字高円寺249若林方へ移ったのは
大正14年5月中旬から下旬の間のことでした。
上京2か月で
まだ住まいが定まっていなかったことが分かります。
小林秀雄はこの頃
杉並町馬橋226に家族とともに住んでおり
中也らの住まいは省線(中央線)の高円寺駅を使う場合
中途に位置していましたから
小林が往復の途次に立ち寄ることもあったのです。
泰子と小林の初めての邂逅(かいこう)は
この「若林方」においてであったか
小林が盲腸炎で入院していた京橋の泉橋病院でであったか、
「11月の事件」は
この邂逅から間もなくして起こります。
◇
「追懐」や「消えし希望」が作られたのは
昭和4年7月ですから
4年の歳月が流れていました。
◇
消えし希望
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日を燃えし希望は。
夏の夜の星の如(ごと)くは今もなお
遠きみ空に見え隠る、今もなお。
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日の夢は希望は。
今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して
獣の如くも、暗き思いす。
そが暗き思い何時(いつ)の日
晴れんとの知るよしなくて、
溺れたる夜(よる)の海より
空の月、望むが如し。
その浪はあまりに深く
その月は、あまりにきよく。
あわれわが、若き日を燃えし希望の
今ははや暗き空へと消え行きぬ。
(1929、7、14)
◇
「山羊の歌」の「小年時」に配置され
「失せし希望」として広く読まれている詩は
はじめ「消えし希望」のタイトルでした。
「白痴群」に発表された時に「失せし希望」と変更され
「山羊の歌」でもそのままになり
内海誓一郎が作曲することになった時にもそのままでした。
この詩は
昭和5年5月7日に行われた
「スルヤ」の第5回発表演奏会で
内海誓一郎が作曲した歌曲として初演されました。
詩人はこの曲を気に入り
一部ながらメロディーを覚えて
酔ったときなどに鼻歌で歌っていたことが伝わっています。
◇
その2
上京して1年もしない大正14年11月に
泰子は中也の元を去り
小林秀雄と暮らしはじめます。
中也のほうは
一人大都会に投げ出された恰好で
まだ定まっていない住居を転々と変えましたが
昭和3年9月には
高井戸で関口隆克らとの共同生活に参加し
翌4年1月には渋谷・神山町へ引っ越し
このあたりからようやく落ち着きはじめ
「白痴群」の時代に入ります。
この頃から引っ越しのインターバルが
やや長目になっていきました。
◇
失せし希望
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日を燃えし希望は。
夏の夜の星の如くは今もなお
遐きみ空に見え隠る、今もなお。
暗き空へと消えゆきぬ
わが若き日の夢は希望は。
今はた此処(ここ)に打伏して
獣の如くも、暗き思いす。
そが暗き思いいつの日
晴れんとの知るよしなくて、
溺れたる夜(よる)の海より
空の月、望むが如し。
その浪はあまりに深く
その月は、あまりに清く、
あわれわが、若き日を燃えし希望の
今ははや暗き空へと消え行きぬ。
◇
ここに掲出したのは「失せし希望」です。
「消えし希望」とほとんど変わりません。
1連2行の2行目を2字下げにし
「遠」の字を「遐」に変えたのが主な変更でした。
◇
「消えゆきぬ」という文語の過去形が
3度現われるのは
「あの日」が失われた過去として
詩人の内部に「形」となったことを示しているのでしょう。
4年という時間が
詩人に「断念」をもたらしたのでしょうか?
いや、それは断念とか諦めとかではあっても
夏の夜空に瞬(またた)く星のように
「そこに」見え隠れしているものでした。
過去のもとして消えて無くなってしまったのではなく
星のように「いつも存在する」
星のように「見え隠れする」というように変化しただけでした。
◇
そのように思えるようになったということはしかし、
「客体化」されたということらしく
距離をおいて「眺める」ことができるようになったことらしく
詩にはどこかしら「さっぱりした感じ」が漂います。
ここに伏して、獣のように、暗い思い(に沈み)
この暗い思いはいつ晴れるのかも分からない
溺れた夜の海から、空の月、望むようだ
――という心境であっても
暗澹としたものだけではない「何ものか」が漂います。
「星」のように見え隠れし
「月」のように浮かんでいる
「形」として見えているのです。
◇
「ノート小年時」には
「消えし希望」のほかに
「木蔭」と「夏の海」が7月10日の日付けで
「頌歌」が13日付けで
「追懐」が14日付けで清書されて残っていますが
これらの詩篇にも
一様に「さっぱりとした感じ」があり
それは、たとえば「木蔭」に溢れる光や緑に
慰めを見出した詩人の姿を見ることができるからでしょうか。
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