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中原中也の詩に出てくる「人名・地名」 6

未発表詩篇に現われる「地名・人名」を見ていますが、
最後の部分には
「ノート翻訳詩(1933年)」9篇
「草稿詩篇(1933年―1936年)」65篇
「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」5篇
「草稿詩篇(1937年)」6篇
――が残っています。
 
これらの詩に出てくる「地名・人名」を一気にピックアップします。
 
 
<ノート翻訳詩(1933年)>
 
「地名・人名」は現われません。
 
 
<草稿詩篇(1933年―1936年)>
 
小 唄
 
僕は知ってる煙(けむ)が立つ
 三原山には煙が立つ
行ってみたではないけれど
 
三原山には煙が立つ
 三原山には煙が立つ
※「三原山」
 
 
(形式整美のかの夢や)
      ▲
         高橋新吉に
形式整美のかの夢や
羅馬(ローマ)の夢はや地に落ちて、
※「高橋新吉」「羅馬(ローマ)」
 
 
(風が吹く、冷たい風は)
 
(汽車が小さな駅に着いて、散水車がチョコナンとあることは、
小倉(こくら)服の駅員が寒そうであることは、幻燈風景
七里結界に係累はないんだ)
※「小倉(こくら)服の駅員」
 
 
(とにもかくにも春である)
        ▲
         此(こ)の年、三原山に、自殺する者多かりき。
 
十一時十五分、下関行終列車
 
昨夜東京駅での光景は、
あれはほんとうであったろうか、幻ではなかったろうか。
 
闇に梟(ふくろう)が鳴くということも
西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食い
我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、
みんなおんなしようなことなんだ
※「三原山」「下関行終列車」「東京駅」「西洋」「朝鮮人」
 
 
(宵の銀座は花束捧げ)
 
宵(よい)の銀座は花束捧(ささ)げ、
  舞うて踊って踊って舞うて、
我等(われら)東京市民の上に、
  今日は嬉(うれ)しい東京祭り
今宵(こよい)銀座のこの人混みを
  わけ往く心と心と心
我等東京住いの身には、
  何か誇りの、何かある。
心一つに、心と心
  寄って離れて離れて寄って、
今宵銀座のこのどよもしの
  ネオンライトもさんざめく
ネオンライトもさざめき笑えば、
  人のぞめきもひときわつのる
宵の銀座は花束捧げ、
  今日は嬉しい東京祭り
※「銀座」「東京市民」「東京祭り」
※全文を掲載しました。
 
 
 
それは中国のとある田舎の、水無河原(みずなしがわら)という
雨の日のほか水のない
伝説付の川のほとり、
※「中国」
 
 
京浜街道にて
※「京浜街道」
 
 
(小川が青く光っているのは)
 
秋の日よ! 風よ!
僕は汽車に乗って、富士の裾野(すその)をとおっていた。
※「富士の裾野(すその)」  
 
 
玩具の賦
      昇平に
※「昇平」
 
 
秋岸清凉居士
 
秋岸清凉居士といい――僕の弟、
月の夜とても闇夜じゃとても
今は此の世に亡い男
 
その秋死んだ弟が私の弟で
今じゃ秋岸清凉居士と申しやす、ヘイ。
※「秋岸清凉居士」
 
 
月下の告白
      青山二郎に
 
月の光に明るい墓場に
エジプト遺蹟(いせき)もなんのその
※「青山二郎」「エジプト遺蹟(いせき)」
 
 
誘蛾燈詠歌
 
      あおによし奈良の都の……
 
      やまとやまと、やまとはくにのまほろば……
※「奈良」「やまと」
 
 
初恋集
   すずえ
   むつよ
※「すずえ」「むつよ」
 
 
不気味な悲鳴
    如何(いか)なれば換気装置の、穹窿(きゅうりゅう)の一つの隅に蒼ざめたるは?     ランボオ
※「ランボオ」
 
 
大島行葵丸にて
        ――夜十時の出帆
 
観音岬に燈台はひかり
ぐるりぐるりと射光(ひかり)は廻(まわ)った
僕はゆるりと星空見上げた
急に吾子(こども)が思い出された
※「大島行葵丸」「観音岬」
 
 
桑名の駅
 
桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロ鳴いていた
 
「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪
    間の不通のため、臨時関西線を運転す」
※「桑名」「京都大阪間」「臨時関西線」
 
 
砂 漠
 
        疲れた駱駝(らくだ)よ、
         無口な土耳古人(ダッチ)よ、
※「土耳古人(ダッチ)」
 
 
小唄二編
 
三原山には煙が立つ
  三原山には煙が立つ
※「三原山」
 
 
夏の夜の博覧会はかなしからずや
 
三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍(しのばず)ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや
 
広小路にて玩具を買いぬ、兎の玩具かなしからずや
※「不忍(しのばず)ノ池」「広小路」
 
<療養日誌・千葉寺雑記(1937年)>
 
(丘の上サあがって、丘の上サあがって)
 
丘の上サあがって、丘の上サあがって、
 千葉の街サ見たば、千葉の街サ見たばヨ、
※「千葉」
 
 
道修山夜曲
※「道修山」
 
<草稿詩篇(1937年)>
 
「地名・人名」はありません。
 
 
「地名・人名」だけを列記すると、
「三原山」
「高橋新吉」
「羅馬(ローマ)」
「小倉(こくら)服の駅員」
「三原山」
「下関行終列車」
「東京駅」
「西洋」
「朝鮮人」
「銀座」
「東京市民」
「東京祭り」
「中国」
「京浜街道」
「富士の裾野(すその)」  
「昇平」
「秋岸清凉居士」
「青山二郎」
「エジプト遺蹟(いせき)」
「奈良」
「やまと」
「すずえ」
「むつよ」
「ランボオ」
「大島行葵丸」
「観音岬」
「桑名」
「京都大阪間」
「臨時関西線」
「土耳古人(ダッチ)」
「三原山」
「不忍(しのばず)ノ池」
「広小路」
「千葉」
「道修山」
 
――となります。

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