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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和6年2月16日

その1
 
「はじめに」からつづく)
 
昭和6年(1931年)10月16日付けの
安原喜弘宛の書簡をたまたま読んだだけなのですが
日記が自分に向けて自分を告白するものであるように
手紙は相手のいる告白(のようなもの)ですから
どちらも他人がする「評論」ではありません。
 
詩や小説などと同じような作者(詩人)の「肉声」がそこにあり
その意味で「第一級資料」です。
その作者(詩人)に接近するには
どのような「評論」もかなわないのです。
 
 
この年(昭和6年)の書簡で残っている最初のものが
2月16日付けの、同じく安原喜弘宛の封書です。
 
安原は京都にいますが
住所は、左京区浄土寺馬場町。
詩人は、東京渋谷の代々木山谷にいます。
 
「暫らく。」とはじまる手紙の中ごろに
 
君にデディケートする筈だった詩は、流産しちまいました。
 
――とあるこの詩こそ「羊の歌」のことです。
 
 
「中原中也の手紙」には
安原喜弘のコメントが適宜付けられていて
2月16日付けの書簡には
 
永い間の約束であった私への贈り物の詩はこの後暫らくして私の手許に送り届けられた。
「羊の歌」と題する彼にしては比較的長い詩の一つである。
 
――と記されているのです。
 

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その2
 
「新編中原中也全集」は
中原中也が出した書簡で現存するものを時系列に分類し
大正14年(1925年)2月23日付け正岡忠三郎宛の
封緘葉書(ふうかんはがき)を1として
昭和12年(1937年)10月5日付け安原喜弘宛の
封書を225とする整理番号をつけています。
 
このうちの半数が安原喜弘に宛てたもので
昭和5年5月4日付けが最も古く
昭和12年10月5日付けが最も新しく
この間の102通が残されました。
 
「白痴群」が第6号で廃刊したのが昭和5年4月です。
その頃から詩人が鎌倉で死去する昭和12年10月22日の直前まで
8年以上になる「文通」の、
詩人の側からの発信記録が集められたことになります。
 
 
「羊の歌」の「羊」は
詩人がこだわった「動物」で
生れ年の「星座」に着想し
「神の子羊」「スケープゴート」の意味を含めたという詩人の発言があり
最後には「山羊」にたどり着いて
第1詩集のタイトルとしたことはよく知られたことです。
 
「羊」と「山羊」の位置関係は
まるで安原喜弘と中原中也の関係のシンボルでもあるかのようです。
 
 
「羊の歌」をここで読んでおきましょう。
 
羊の歌
        安原喜弘に
 
   Ⅰ 祈 り
死の時には私が仰向(あおむ)かんことを!
この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!
それよ、私は私が感じ得なかったことのために、
罰されて、死は来たるものと思うゆえ。
 
ああ、その時私の仰向かんことを!
せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!
 
   Ⅱ
 
思惑(おもわく)よ、汝(なんじ) 古く暗き気体よ、
わが裡(うち)より去れよかし!
われはや単純と静けき呟(つぶや)きと、
とまれ、清楚(せいそ)のほかを希(ねが)わず。
 
交際よ、汝陰鬱(いんうつ)なる汚濁(おじょく)の許容よ、
更(あらた)めてわれを目覚ますことなかれ!
 
われはや孤寂(こじゃく)に耐えんとす、
わが腕は既(すで)に無用の有(もの)に似たり。
 
汝、疑いとともに見開く眼(まなこ)よ
見開きたるままに暫(しば)しは動かぬ眼よ、
ああ、己(おのれ)の外(ほか)をあまりに信ずる心よ、
それよ思惑、汝 古く暗き空気よ、
わが裡より去れよかし去れよかし!
われはや、貧しきわが夢のほかに興(きょう)ぜず
 
   Ⅲ
 
     我が生は恐ろしい嵐のようであった、
     其処此処に時々陽の光も落ちたとはいえ。
                    ボードレール
 
九歳の子供がありました
女の子供でありました
世界の空気が、彼女の有であるように
またそれは、凭(よ)っかかられるもののように
彼女は頸(くび)をかしげるのでした
私と話している時に。
 
私は炬燵(こたつ)にあたっていました
彼女は畳に坐っていました
冬の日の、珍(めずら)しくよい天気の午前
私の室には、陽がいっぱいでした
彼女が頸かしげると
彼女の耳朶(みみのは)陽に透(す)きました。
 
私を信頼しきって、安心しきって
かの女の心は密柑(みかん)の色に
そのやさしさは氾濫(はんらん)するなく、かといって
鹿のように縮かむこともありませんでした
私はすべての用件を忘れ
この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味(じゅくどくがんみ)しました。
 
   Ⅳ
 
さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
夜(よ)な夜なは、下宿の室(へや)に独りいて
思いなき、思いを思う 単調の
つまし心の連弾(れんだん)よ……
 
汽車の笛(ふえ)聞こえもくれば
旅おもい、幼(おさな)き日をばおもうなり
いなよいなよ、幼き日をも旅をも思わず
旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……
 
思いなき、おもいを思うわが胸は
閉(と)ざされて、醺生(かびは)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ
しらけたる脣(くち)、乾きし頬(ほお)
酷薄(こくはく)の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……
 
これやこの、慣れしばかりに耐えもする
さびしさこそはせつなけれ、みずからは
それともしらず、ことように、たまさかに
ながる涙は、人恋(ひとこ)うる涙のそれにもはやあらず……
 
(「新編中原中也全集」より。「新かな」にあらため、適宜、ルビを加えてあります。編者。)
 
 
 
その3
 
中原中也が安原喜弘にデディケートした詩「羊の歌」は
初稿が昭和6年の3月か4月に制作されたものと推定されています。
 
昭和6年2月16日の書簡からしばらくして
安原喜弘は「羊の歌」を贈られたのです。
 
 
「羊の歌」といえば
詩集「山羊の歌」の最終章に収められた絶唱の一つです。
「憔悴」「いのちの声」につながる「羊の歌」の冒頭詩です。
 
この詩が作られた頃に
詩人はマージャン三昧の日々を送っていたということが
手紙からわかるというのも驚きです。
 
 
「君にデディケートする筈だった詩は、流産しちまいました。」と書かれた次の行に、
 
 麻雀は三四日日前からイヤ気がさして来ました。底の知れたものです。僕事、多分初段
位ではあるでしょう。三四日前までは、正月以来、毎日三卓はやっていました。
 
――と記されてあるのを読めるのは手紙ならではです。
 
 
発信地は
東京府下代々木山谷百十二近間方、とありますから
小田急電鉄本社の裏手の
新宿へ10分程度で歩ける当時、千駄ヶ谷だった地域のことです。
 
住まいの近くに雀荘があったのか
自宅でやったのか
新宿近辺の繁華街かの行きつけのマージャン店だったのか
 
詩作の合間か
マージャンの合間の詩作か
 
「羊の歌」のような長詩が
1日で作られたとは思えませんが
ジャラジャラとパイをかき回す音と
詩を生み出す時間が
反発しあうこともなかった(?)というところが
新鮮です。
 
 
安原喜弘は
この手紙にコメントを加える中で
中也の麻雀を
「一種異様な殺気に満ちたもの」と評していて
詩人が卓を囲んでいる姿を想像させてくれます。
 
 
 
その4
 
手紙は、ときに心境告白を含み
ときに近況報告であり、依頼であり、質問であり……
公私にわたってさまざまに展開します。
 
昭和6年2月16日の手紙は
やがてデディケートする「羊の歌」のことや
マージャンに明け暮れていた日々のことだけでなく
ほかにも報告が書かれています。
 
ここで、全文を引用しておきましょう。
 
 
 暫らく。
 「ドルジェル伯の舞踏会」、読んで感服しました。
 試験が近づきます。今度は殆ど学校に出なかったので没々準備にかからなければならず、憂鬱です。終るのは3月15日。
 4月からは外語の専修科に行きます。2カ年で卒業。文字通り仏語だけ。午後5児から7時迄。土曜日は休み。因みに、免状をくれます。
 君にデディケートする筈だった詩は、流産しちまいました。
 麻雀は三四日日前からイヤ気がさして来ました。底の知れたものです。僕事、多分初段位ではあるでしょう。三四日前までは、正月以来、毎日三卓はやっていました。
 今夜、消え残りの雪の上に雨が降って来ました。タマに今夕は下宿にいます。ウマイ煙草が吸いたいです。      さよなら。
    16日     中也
    喜弘様 
 
(※「新編中原中也全集・第5巻」より。「新かな」「洋数字」に直してあります。編者。)
 
 
レーモン・ラディゲの小説を読んで感服したり
通っていた中央大学予科の試験が近づいていることを憂えたり
新年度からは東京外語の専修科へ入学することを伝えたり
残りの雪に雨が降ったこと、(こんな日だから?)今夕は下宿にいること、
ウマイ煙草が吸いたい、とは、
ゴールデンバットではない、ほかの上等な葉巻を吸いたいとでも感じていたのでしょうか。
タバコをうまく吸いたいということでしょうか。
 
思いつくことを
手当たり次第書いているようですが
余計なことは書かれていません。

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